1989年ごろ、ちょっとした「オペラ・ブーム」があった。某屋根付野球場での公演、一般雑誌やテレビで報道まがいの宣伝(今どきは「パブリシティ」というらしい)が行なわれ、結構、話題になった。この公演は従来のオペラ・ファンやクラシック・ファンを対象としたものではなく(動員力はたかが知れている)、もっと広い一般層をターゲットにしたようだ。
しかしドーム球場でオペラがまともに見られるはずはないし、そもそもマイクを使ったオペラなど、まともな神経で聴けないことはわかりきっているから、筆者はハナから行く気はしなかったが、見に行った知人の話によると、舞台ははるか遠くに見えて、空調がうるさくて音楽は聴こえず、演奏中にビールやつまみを売りにきたのでタマげたそうだ。
それに公演の1週間前くらいから、音大などでは大量のタダ券がバラまかれた。いくら派手な宣伝を展開しても、自腹を切ってオペラを見に行こうという人がそうそういるわけがない。で、この手のいかにもバブルっぽい大イベント型オペラは、それっきり見かけなくなってしまった。少なくとも日本での公演はとても採算に合わなかったのだろう。
これなどは特殊なイベントだが、日本で外来のオペラを聴くのは大変だ。案内にはC席とかD席とか安い席もあるように書いてあるが、イザ買おうとすると売り切れ(そもそも数が極端に少ないのではないのか?)。結局A席とかS席を買わされる。まあ、歌手、オーケストラ、舞台装置、合唱まで遠路はるばる運んでくるのだから、入場料が高くなっても仕方ない、バイロイトやウィーンに行くことを考えれば安いものだ、とみなさん納得しているようだ。それでも一晩の演奏会に3万、4万というのは気楽に行ける感覚ではない。
ところで現在ではDVDによってオペラが手軽に見られる。クラシック・ファンの中には「生演奏でなければダメ」という人も多いが、筆者は下手な生演奏を聴きに行くよりは、上手な演奏のCDを聴く方がいいと思っている。オペラも同じ。最高のコンディションの歌手の演奏を、よい席で生で聴き、見るのが素晴らしいことは否定しないが、DVDでも結構楽しめるのである。
さて、オペラのDVDの最大のメリット。まず第一に「字幕付き」であること。よほど語学の才能がないかぎり、イタリア語やドイツ語のオペラをリアルタイムで見ながら理解するのはむずかしい。アラ筋を覚える程度では、歌手の微妙な表現はとても理解できない。だから字幕付きのDVDで見て、初めて音楽の意味がわかった、ということも少なくない。
コンサートホールでも字幕を付ける試みがなされているが「演奏者サイドの要望」という理由で字幕を付けない公演もある。確かにソリストとしては、聴衆の目が自分ではなく、あさっての方向に向いていたらなんとなく歌いにくいのかもしれない。しかし日本での公演では、オペラの理解を促す意味で、やはり字幕は必須だろう。
さてDVDの第二のメリットは「繰り返し見ることができる」ということ。筆者の場合、たとえばヴェルディの《アイーダ》のおもしろさがわかったのは恥ずかしながらかつてLDで3回見たころからだ。ワーグナーの《指輪》になると、2〜3回見たくらいではとても全体を理解できない。極論すれば1回の公演に3万円払って、わけのわからないうちに見終わってしまうのなら、仮に同じ3万円出したとしても、DVDを買ってきて繰り返し見た方が作品についての理解は深まるといえる。
というわけで今回は「みなさんDVDでオペラを見ましょう」という話なのだが、さて何を推薦しようか。《魔笛》、《アイーダ》、《トスカ》、《ローエングリン》などいろいろあるが、まとも過ぎるし、古典的すぎる。かといって《サロメ》や《ヴォツェック》はちょっと気分が滅入ってしまう。「これ1枚」となるとむづかしい。
ここはひとつ意表をついて《シェルブールの雨傘 Les parapluies de Cherbourg》!。え?あれはオペラじゃなくてミュージカルじゃないかって?いやいや、筆者はあれは立派な「オペラ映画」だと思っている。科白はすべて歌われるし、しかも同一音高で歌うレシタティーヴォ・セッコはなくて、すべてユニークなメロディーで歌われる。この点ではジングシュピールやコミック・オペラではなく、正歌劇=オペラ・セリアといってもいいくらいだ。登場人物ごとにライトモティーフ的な技法も使われているし、結婚式のシーンのパイプオルガンの曲にまでメイン・テーマを使う、という凝りようだ。
モーツァルトやヴェルディやプッチーニのオペラはすべて「その時代の音楽」、つまり当時の「現代音楽」だった。それに対応するものとして20世紀の我々は《サウンド・オブ・ミュージック》や《ウエストサイド・ストーリー》、そしてこの《シェルブールの雨傘》を持っている。
現在はオペラとミュージカルとは区別(差別?)されているけれども、数百年後にもし音楽史の本が書かれるとすれば、「20世紀」の章には、いわゆる現代オペラと並んで、あるいはそれ以上のページを割いて、これらのミュージカルのいくつかが掲載されることになるかもしれないのだ。
【追 記】
・《シェルブールの雨傘》は1964年製作。そろそろ40年となる現在見ても傑作だと思うので、筆者は「クラシック」と評価する。新作のミュージカルについては、初演後少なくとも10年経過するまで評価を留保したい。
・本稿の初出は1990年。当時は本文中の「DVD」は「LD」だったが現状に合わせて書き換えた。もちろん《シェルブールの雨傘》はDVDで入手可能。
90/3 last modified 04/3
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