曲に対する好ききらい、演奏に対する好み、といったものは個人の音楽体験の積みかさね、その人の音楽体験の「歴史」によって大きく異なるように思える。そして演奏についての好みは、どうもその曲を最初に聴いたときの演奏に大きく左右されるようだ。
たとえば筆者の場合の《運命》。最初に聴いたのはカラヤン指揮、フィルハーモニア管弦楽団の演奏だった。その後、数多くの演奏を聴いてきたが、どうも心の底では最初に聴いたカラヤンと比較してきたような気がする。
つまり最初に聴いた演奏が、その曲のいわば「型」を記憶の中に刻み込み、それ以後はその型と比較参照しながらいろいろな演奏を聴いてきた、というイメージだ。ただし型が刻み込まれるためには、その演奏のインパクトが非常に強いか、あるいは繰り返し聴く必要がある。凡庸な演奏は型を残すところまではいかないようだ。
ところで筆者は、いちど刻み込まれた型は不変だろう、それまでの型を消去して、新しい型が刻み込まれるということはないだろう、と思っていた。しかしこの問題についての再考を迫られた演奏がある。それはカツァリスの演奏するショパンの嬰ヘ短調ワルツ op.64-2だ(「ショパン・ワルツ集」TELDEC 8.43056)。このカツァリスの演奏は、いちど聴いたらもうそれまでのようにはこのワルツを聴けなくなる演奏だ。
最初はごく普通に演奏されている。しかし97〜128小節のリフレインが33〜63小節と微妙に異なっているところで、まず「あれ?」と感じる。問題となるのは129小節から冒頭が再現されるところ。ここでカツァリスはソプラノの旋律ではなく、まったく別の、今まで聴いたことのない旋律を響かせる。これには唖然としてしまう。この曲に別の草稿があったのか、と思うくらいだが、どうして耳慣れない旋律が聴こえてくるのか、楽譜をよく見てやっとわかった。
カツァリスは内声の和音構成音を強調し、巧みにつないでいくことによってまったく新しい旋律を浮び上がらせてていたのだ。彼は決して音を変更したり付加したりしているわけではない。ただ「弾き方」を変えているに過ぎないのだが、聴こえてくる音楽は別物といっても過言ではない。
このテクニックはこれまでも程度の差こそあれ、いろいろなピアニストが試みている。筆者の知っている例では、サンソン・フランソワが、もう少しおとなしいやりかたで、内声を強調していた。しかしカツァリスの場合、この新しい旋律の歌わせかた、盛り上げかたはかなり強烈で、それだけにおそるべき副作用がある。
他の演奏家のオーソドックスな演奏を聴いていても、この箇所にくると、なんと「カツァリスの旋律」が聴こえてきてしまうのだ。一般的な演奏では概してソプラノが旋律として強調されているが、弱いとはいえ内声の音も鳴っている。だから、無意識的に内声部の音をカツァリス風につなげて聴いてしまうのである。筆者の場合は、誰の演奏を聴いても、もうカツァリス風にしか聴けなくなってしまった・・・
筆者の記憶にあるこのワルツの「型」は完全に書き換えられてしまった。あるいは、この曲はさらっとしていてあまり押しつけがましくないし、後半の繰り返しはやや冗長な感がじもする。だから筆者の記憶にある「型」は、そんなに深くは刻まれていなかったのだろう。そこへカツァリスの演奏がザックリ深く刻み込まれた、といえるかもしれない。もしそうなら「いちど刻まれた型は不変」という筆者の仮説(というほどのものではないが)は依然として有効、ということになるのだが・・・
いずれにせよ、あなたがこのカツァリスの演奏をまだ聴いていないのなら、もしかしたら聴かないほうがいいかもしれない。筆者のように、うっかり聴いて取り返しがつかないことになるといけないから、聴くときには、充分、注意するように。これは冗談ではなく、真面目な話である。
ところでシューマンはショパン自身の演奏を批評した文章の中で、次のように述べている。
「‥‥‥その和声を通して大きな驚くべき旋律が聞かれ、中声部ではその主要主題の歌とならんでテノールが和音の中からあざやかに浮かび上がってきた。‥‥‥」
(ウリ・モルゼン編、芹澤尚子訳『文献に見るピアノ演奏の歴史』110 頁)
このシューマンの批評からすれば、カツァリスの特異な解釈は決して思いつきや奇をてらったハッタリではなく、ショパン自身の演奏に通じるものだ。シューマンといえば、カツァリスの弾く《トロイメイライ》もユニーク(TELDEC 8.43467)。後半で内声の短い動機を模倣風に強調して、上声だけを強調した一般的な演奏とは一線を画している。
おもしろいことをよくやるカツァリス、このショパンのワルツの演奏に関しては、ショパンの演奏に忠実、という点で、むしろ歴史的に正統な演奏とさえいえるだろう。
【追 記】
その後、カツァリスは、「ショパンを弾く」というテレビ番組(NHK教育テレビ、1993年)に出演したが、ここでもときおり内声を強調するテクニックをほのめかしていた。
89/11 last modified 02/6
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