bogomil's CD collection: 035

交響曲の「祖父」サンマルティーニ

Sammartini: Early Sumphonies

 「交響曲=シンフォニー」といえば、現在ではクラシック音楽の重要なジャンルのひとつだ。では、この交響曲はいったいいつごろ誕生したのだろう?クラシック入門書などにはしばしば「交響曲の父ハイドン」という記述が見られる。確かにF.J.ハイドンは古典派交響曲のスタイルを確立した作曲家といえるかもしれない。しかし、もしこれがハイドンが交響曲というジャンルを「創始した」と解釈されるとしたら、これは歴史的には誤解あるいは錯誤ということになる。

 交響曲が発展したのはドイツ・オーストリアだが、交響曲が生まれたのはイタリア。おおざっぱにいうと18世紀初頭にイタリア・オペラの序曲が独立して演奏されるようになり、やがてそのスタイルで作曲されるようになったのが交響曲の始まり、という見方がもっとも妥当に思える。もちろん、交響曲はバロック時代のコンチェルト・グロッソ、コンチェルト・シンフォニア、ソナタなどにも密接に関連しているが、そのルーツの中核はオペラの序曲にあったといってよいだろう。たとえば古典派の交響曲の多くは、非常に明確に、強い「ジャン」といった和音で始まる。これはもともとオペラの序曲がまず観客を静かにさせる目的を持っていたことの名残りと考えられるのだ。

 さて、しばしば音楽史の概説書ではバロックと古典派を対比させ、「バロックのコンチェルト・グロッソはすたれて、古典派では交響曲が作られるようになった」などと説明されているが、これは時代の区分を明確にするために、ことさら違いを強調した見方。実際には変化は少しづつ進行しているので、簡単にバロックと古典派を区別することはできない。時代の変化は曖昧で、細かく見れば見るほど境界はぼやけていく。

 たとえば日本ではバロック音楽というとヴィヴァルディ、ヴィヴァルディといえば《四季》、と単純にとらえられているフシがあるが、ヴィヴァルディの作品には既に古典派的な傾向が認められるものも多く、《四季》も、そういった傾向を示している。ヴィヴァルディは基本的には「後期バロックの作曲家」ではあるが、しかし古典派的な要素も持っていたということなのだ。

 そもそも「バロック」、「古典派」、「ロマン派」といった概念は、そのほとんどが後の時代の研究者や評論家が作り出したもの。さらにこれらの概念の多くは美術や文学といった他の芸術領域の概念を借用したものだ。つまり音楽として自立した時代概念ではない。音楽は具体性に乏しく、また言語で説明することもむずかしいので、えてして文学や美術、建築との類推で表現されやすい。しかし他の芸術の概念を無理やり音楽に適用しようとすると、しばしば本末転倒のこじつけ、自己撞着的な概念操作といった弊害も生まれてくる。特に境界線上の、あるいは過渡期の作曲家の位置づけはむずかしい。

 交響曲のルーツの話にもどろう。オペラから独立した初期の交響曲=シンフォニアの最初の作曲家、あるいは最初の作曲家たちのひとり、と目されるのが、ミラノのG.B.サンマルティーニ(1700頃〜1775)だ。最近、彼の20曲の交響曲がイタリアで録音されCD化された*。このCDを聴いて感じるのは、前述した時代区分や様式区分のむずかしさ。弦楽オーケストラで演奏されるこれらの作品は、ハイドンやモーツァルトの交響曲に比べるとはるかにシンプル。そのため現在ではサンマルティーニは「初期の交響曲の作曲家」として、いかにも未熟で、未発達な作品を書いた、という誤解を招きかねない。

 しかし、サンマルティーニは、決してハイドンやモーツァルトの交響曲の準備をするためにこれらの作品を書いたのではない。確かにサンマルティーニの初期の交響曲は、3楽章全部で10分前後の小規模なものだから、規模の点で「未発達」と表現することは許されるかもしれない。しかし音楽の質は規模で決まるものではない。編成が巨大で何時間もかかる大曲だけが、すぐれた曲ではない。サンマルティーニの交響曲は、他の作曲家、特に後代の作曲家の作品との相対的な位置づけによって評価されるべきではなく、独自のものとして評価されなければならないだろう。

 個人的には、筆者は「交響曲の父」という称号をハイドンから剥奪し、サンマルティーニに授与したい。しかし、すでにこの称号はハイドンとは切っても切れない関係になってしまった。うーん、困った…そうだ!父がいなければ子はできないが、祖父がいなければ、父も生まれなかったのだから、ここはひとつ、サンマルティーニには、「交響曲の祖父」という称号を与えることにしよう。


*Discography:

G.B. Sammartini - The Complete Early Symphonies (Nuova Era 7206/08)


*追記:キリスト教的類推

 ハイドンの洗礼名はヨゼフ。ヨゼフは聖書中に何人かおり、中世の聖人にもいるが、まず思い浮かぶのが聖母マリアの夫の聖ヨゼフ。マリアは神によって身ごもり、カトリックの教義では「終生、処女」だった。ということは、ヨゼフとの間には性的関係はなかったことになる。したがって、しばしば絵画などではヨゼフは老人=性的能力の欠如した男性として描かれる。いってみれば彼は育ての親である。交響曲をイエスに見立てれば、「ヨゼフ」ハイドンは交響曲の「父」ではあっても「真の父」ではなくて「養父」ということになるだろう。

 一方、サンマルティーニの洗礼名はジョバンニ=バティスタ。これは新約聖書に描かれている洗礼者聖ヨハネだ。聖書の記述を注意深く読むと、このヨハネは当時かなりの影響力を持っていた人物だったことがわかる。聖書の著者も無視することはできなかったようで、イエスがこのヨハネから洗礼を受けたことを記している。

 イエスが神の子なら、人間であるヨハネから洗礼を受ける必要などないとも考えられるのであって、ここでヨハネが特別な役割を与えられているのは、当時ヨハネとその弟子や信奉者がかなり重要なグループとして存在したことを暗示している。またヨハネの洗礼を受けた者が遠くエフェソにもおり、宣教に赴いたパウロが出会ったことが(ついうっかり)『使徒言行録』に取り上げられている(第19章1〜5節)当時、原理主義的なユダヤ教の派が複数存在し、ヨハネをリーダーとするグループ、イエスをリーダーとするグループ、あるいは死海文書(死海写本)で知られる「義の教師」をリーダーとするグループなどが拮抗していたのではないか。

 さて、ここで交響曲をイエスに見立てると、洗礼者聖ヨハネの名を持つサンマルティーニには「交響曲の先駆者」という役割を果たすにふさわしい人物、ということになる。

 もちろんこの類推は、いずれも筆者の単なるこじつけである。しかしキリスト教文化圏では、こういった類推が、なんらかの形で人々の無意識あるいは深層心理に影響している可能性がある、とはいえるだろう。


*サンマルティーニ生誕300年

 2001年、サンマルティーニゆかりのミラノで彼の生誕300年を記念して開催された演奏会で本稿「交響曲の『祖父』サンマルティーニ」がイタリア語に訳され、プログラムに掲載された。

G.B.Sammartini, nonno della sinfonia
di Osamu Sakazaki

 このイタリア語訳は下記ページに掲載されている。

Giovan Battista Sammartini / Le origini italiane dello Stile Classico

95/5 last modified 04/7


bogomil's CD collection: 035
(C) 2005-2013 Osamu Sakazaki. All rights reserved.