※このページは以下の12編のエッセイを収録しています。
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依然としてイスラエルではイスラム過激派による自爆テロ事件が発生している。典型的なのは小型爆弾をベルトに取り付け、単独で人の多い場所に行って自らスイッチを押し、自爆するというもの。当然、犯人自身も確実に死ぬ。これは一般市民を巻き添えにする非道な行為であり、決して容認されるべきものではない。しかし彼ら自爆テロ犯が自らの命をかけてまでこのような行動に至るにはそれなりの動機、あるいは背景といったものがあるはずだ。
イスラエルはユダヤ教国家。そのイスラエルによって住み慣れた地を追われたイスラム難民から見れば、ユダヤ教徒がイスラム教徒を迫害しているという図式が成り立つ。だからそのユダヤ教徒を殺すために自ら命を捨てる自爆テロは、イスラムの側から見れば聖なる戦い、殉教となるのだ。
またイスラム教では殉教した者は天国に行ける、という信仰がある(これはキリスト教にもある)。イスラム教の天国というのは山海の珍味や酒が食べ放題、飲み放題で、美女もいるところ。そこで永遠に楽しく暮らせるという。真偽のほどは定かではないが、かつてこんな話を読んだことがある。
その昔のイスラム国の話。若者を絶対に使命を果たす暗殺者(刺客)に仕立て上げる方法があった。まず元気のいい青年男性を選び、薬物を与えて半覚醒状態にする。そして食事、酒、美女のいる邸宅に連れて行き、しばらくいい思いをさせる。その後、正気にもどしてこういう。「君は今、天国に行ってきたのだよ。もしイスラムの教えのために殉教すれば、君は永遠にあの天国で暮らせるのだ」。
そしてその若者にある人物の暗殺を命じる。もちろん、それが「イスラムのため」という大義名分を付け加えて。かくしてその若者は自らの命を捨ててもその人物を確実に殺害する、というのだ。
この話、「そんな、バカな」と一笑に付すことができるだろうか。近代的な意味での教育を受けず、貧しい暮らしをしてきた純朴な若者が本気で信じたとしても不思議はない。
さらにいえば、現実の世界で虐げられ、希望のない過酷な生活を送っている若者なら、たとえ天国を信じていなくても半ば自暴自棄で暗殺者に、現代では自爆テロ犯になるのではないか。
とすれば問題は強制移住や宗教的・民族的迫害、そしてそれによって引き起こされる不安定な生活と貧困にあるといってよいだろう。
テロとはドイツ語のテロルTerror「恐怖」に由来する言葉。 「あらゆる暴力手段に訴えて政治的敵対者を威嚇すること」(広辞苑)だ。一般には悪い意味で使われるが、そこには標的とされる側が善である、という暗黙の前提がある。
しかしもし標的の側が悪ならば、テロは正義ということになるから単純に善悪は決められない。テロは国家間、民族間でも起こるし、ひとつの国の中でも起こる。特に貧しい国で権力の側が庶民を抑圧すると、しばしば内乱が起こる。江戸時代以前のわが国でも、しばしば過酷な税(年貢)を強いられた農民が一揆を起こして幕府に反抗したが、これは幕府の側から見ればテロということになる。
ところでクラシック音楽はもともとキリスト教の高位聖職者や王侯貴族あるいは富裕な中産市民階級など、権力者や支配階級が楽しみ、保護してきた芸術。だから貧しい庶民や虐げられた人々を題材とすることはほとんどない。
そんな中でムソルグスキーの《展覧会の絵》の第7曲《ビドロ》は19世紀東欧の貧しい農民の悲惨な生活を描いた稀な例だ。ビドロ bydlo(ビドゥオbydło)とは、もともとはポーランド語で「牛」のことで、転じて牛が引く荷車のことだそうだが、さらに「家畜のように虐げられた人々」という意味を持つという。ポーランドやロシアは寒冷な気候で農業生産性が低く、長年、貧しかった国だ。そのため、ロシアでは19世紀に至るまで農奴制が存在し、多くの農民が家畜並みに働かされたのだ。
そういうことであれば、この曲の異様に重苦しく陰鬱な雰囲気も納得がいく。個人的にはラヴェルの管弦楽編曲よりも原曲のピアノソロ版の方が、この曲の、いわば絶望の灰色の世界をより深く表現しているように思える。
アファナシェフの演奏*で聴いてみよう…この曲には心安らぐところがほとんどない。ただただ、苦しい道を歩いていくしかない、という意味で「虐げられた人々」を象徴しているようにも思える。そして歩き続けた先にも決して救いはない。やり場のない怒りと無力感。この曲を聴いていると、ぬくぬくと安逸な暮らしをしている自分にはパレスチナの自爆テロ犯のことを非難する資格などまったくない、と思えてくる。
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*ムソルグスキー:組曲《展覧会の絵》アファナシェフ(DENON COCO-70530)
【追記】
作曲家の團伊玖磨によれば、ムソルグスキーがこの曲の着想を得たガルトマンの絵は、反乱を起こした農民が領主の側に捕らえられ、村の広場で見せしめのために吊し首の刑に処せられた情景を描いた素描だったという。ネットで「bydlo」で画像検索すると、その素描を見ることができる。
しかし、このムソルグスキーの重苦しく単調な音楽は、やはり牛の牽く荷車のイメージだと筆者は思う。特に最後にディミヌエンドすると、荷車が遠くに去っていく情景が思い浮かぶ。2016年12月、ひょんなことがきっかけで稚拙な鉛筆画を描いてみた。
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last updated: 2016.12.24
現在はピアノで演奏されることが多いバッハの鍵盤作品のうち、組曲やパルティータは原則としてチェンバロあるいはクラヴィコードを意図していたと考えられる。これらはオルガンにはあまり適していない。
しかし《平均律》になるとオルガンによる演奏もおもしろい。バッハの時代には手鍵盤のみの家庭用小型オルガンもあり、チェンバロ用、クラヴィコード用、オルガン用の曲が明確に区別されていなかったので、バッハがオルガンでの演奏もひとつの選択肢として《平均律》を書いた可能性もある。
同様にオルガンで演奏するとおもしろいのが2声《インヴェンション》BWV 772-786。今回はベルナール・ラガセが演奏したCDを聴いてみよう*。
まず第1番。前半の16分音符進行はリコーダーで吹いているようなかわいらしい感じがする。そしてハッとさせられるのが第15~18小節上声の2分音符。これらの音はピアノやチェンバロでは減衰してしまい、印象が薄くなって下声の動きに耳がいくが、オルガンでは持続音となるのできちんと「歌っている」感じがする。
これはオルガンならでは。他の曲でも繋留音が最後まで保持されるので不協和音がしっかり不協和に聴こえ、それが次に解決して協和するとき、緊張から安定へのコントラストが明確に感じられる。しかしこれは逆にいえば不協和音程がきつく響くともいえ、やわらかい響きを好む場合には歓迎されないだろう。それでもオルガンで演奏すると声部間の和声的な響きが豊かになるように感じられる。
さてオルガンというと教会のイメージが強く、荘厳でゆったりした音楽を想像しがちだが意外とアップテンポの舞曲風の音楽にも向いている。たとえば第10番。ジーグ風のリズムと分散和音がオルガンではピアノとは異なる軽快さを聴かせる。
またオルガンの持続音ではレガートはレガート、スタッカートはスタッカートと明確に区別されるのでアーティキュレーションが明確になり、ピアノとは違ったメリハリがつく。
この点では残念ながらラガセが使っている3段鍵盤38ストップの教会オルガンはやや反応が鈍い感じがする。たとえば第13番などはちょっと動きが重い感じがして不満が残る。これは単にテンポの速い遅いではなく、音楽にどれだけ推進力があるか、ということだ。筆者としてはもっと小型で反応がよく、アタックの明確なオルガンで演奏したとき、この曲のメカニックな軽やかさがより活き活きと発揮されるのではないかと思う。
さてバッハはインヴェンションとシンフォニアの序文の中で「…すぐれた着想を得てそれを巧みに展開すること…」と書いている。ここでの「着想」という語が原文ではインヴェンツィオ inventio。ラテン語で「発明の才」、「独創性」という意味がある。つまりバッハはこの曲を作曲の素養を身につける曲としても意図していたらしいのだ。※注
ところでこのインヴェンツィオという語は中世ヨーロッパでは「聖遺物発見」という意味があった。聖遺物とはイエス・キリストがはりつけになった十字架のかけらとか聖母や聖人の衣服の断片、あるいは骨の一部などで、それに触れたり祈ったりすれば病気が治るなど霊験あらたかなものとされ、しばしば教会に安置されて崇敬の対象となった。
興味深いことに、これらの聖遺物はしばしば「発見」された。たとえばある時、教会の地下を掘ってみたら数百年前の高名な聖人の遺骸が出てきた、ということがあったのだ。このような聖遺物の発見をインヴェンツィオと呼んだのだが、もしかすると発見されたというよりは、「発明された」というべきものもあったかもしれない。
いずれにせよ聖遺物が発見されると、その教会には各地から多くの人々が巡礼に訪れるようになり、当然献金も増えるし、周辺の町や村も潤う。つまり大きな経済効果があった。今でいえば観光地の目玉。そのため教会の間で聖遺物を奪い合う騒動も起こったという。
また個人が所有するためのごく小さい聖遺物も売買された。このような聖遺物は御利益のあるお守り的な性質を持っていたが、当然のことながらホンモノかどうか、となるとほとんどが疑わしかったようだ。
さてバッハが15曲のインヴェンションについて「聖遺物発見」という意味を念頭に置いていた可能性は低い。しかし数百年後の今日でもピアノ初学者の練習曲として立派に機能している、つまり御利益があるのだから、結果的にこの15曲はニセモノや捏造品ではなく正真正銘のインヴェンツィオ=聖遺物発見だったといってもよいのではないだろうか。
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*Bach: Intégrale des œuvre d'orgue & autres œuvres pour clavier. Bernard Lagacé (ANALEKTA FL 2 4022-43)
バッハのオルガン作品全集。他に平均律、ゴルトベルク変奏曲、フーガの技法もオルガンで収録されている。
注:
バッハに直接的な影響を与えたのは、ヨーハン・クーナウ Johann Kuhnau(1660-1722)の《新鮮な鍵盤楽器の果実 Frishe Clavier Früchte》(1696)だろう。このソナタ集(クーナウはSuonataという綴りを用いている)の副題に、「Invention」の語が見られる。
Sieben Suonaten von guter Invention und Manier auff dem Claviere zu spielen.
鍵盤楽器を演奏するための、すぐれた発想と手法(を学ぶため)の7曲のソナタ
クーナウは1712年に、バッハとともにハレの新オルガンの試奏(新たに建造されたオルガンが、仕様を満たしているか、検査することを目的としたもの)を行っているから、バッハとは面識もあったと思われる。クーナウはライプツィヒ聖トーマス教会のカントルを務め、1722年に没する。そして翌1723年、バッハがその職を継ぐことになる。
last modified: 2013.06.25
5月1日が何の日かご存じだろうか。今回はこの日にまつわる2つの曲について考えてみよう。
まずは中世南フランスの吟遊詩人トルバドールのひとり、ランボー・ド・ヴァケラス(1155頃-1207頃)の《5月1日》。原題は「Kalenda maya」。「Kalenda」とはカレンダーの語源で、月の最初の日を意味する。「maya」とは英語の「may」で5月のことだが、その語源はギリシャ・ローマ神話の豊饒の女神マイア Maiaに由来すると考えられている(ちなみにこのマイアは、さらにヒンズー教の女神マーヤーにつながり、仏陀の母、摩耶夫人につながる、という説もある)。
つまり「Kalenda maya」とは「女神マイアの月の最初の日」という意味になる。さてこの曲は恋の歌で、もともとは宮廷でジョングルールと呼ばれる芸人たちが踊っていた舞曲エスタンピーの音楽にヴァケラスが歌詞を付けたものと伝えられる。
ではなぜ「5月1日」なのか。 西ヨーロッパの広大な地域には、かつてケルト文明が存在した。ケルト人は紀元前6世紀にはドナウ河流域に定住していたらしい。そして彼らは1年を11月1日に始まる「寒い季節(ギアモン)」と5月1日に始まる「暑い季節(サモン)」の2つに区分していた。暑い季節とは農作物が成長し、実る季節であり、また家畜が繁殖する季節でもある。このために5月1日には豊饒を祈る儀礼が行われた。
これらは今でもイギリスのメイポール(5月の柱)の祭りやドイツ、スイスなどライン河流域に見られるマイバウム(5月の木)の祭りに名残りをとどめている。いずれも5月1日に長い木の柱を立て、横木やリボンで飾って、その周りで踊ったりする祭り。この柱は男性の象徴ともいわれ、古くはこの祭りの夜に若い男女が森に入り夜明けまで過ごす、という慣習も各地にあったらしい。
この意味では5月1日は「恋の日」であり、ヴァケラスが恋の歌をこの日に託して歌ったのもうなづける。
ちなみに1日には言及していないものの、シューマンの歌曲集《詩人の恋》の第1曲《美しき5月に》も5月に恋が始まる歌であり、「恋の日」としての5月1日のかすかな残響を聴き取ることができる。
さて2曲目は旧ソヴィエト時代にロシアのショスタコーヴィッチが作曲した交響曲第3番《メーデー》(1930初演)*。ここでの「メーデー=May Day」とは「労働者の日」としての5月1日のことで、各国で労働者による集会やイベントが行われる。そのためこの曲のラストでは労働者を讃える合唱が歌われる。
ではなぜこの日が「労働者の日」になったのか。それは1886年の5月1日に、アメリカの労働者が8時間労働制を求めてストライキを行ったことに由来する。
当時のアメリカの労働者は酷使され、14時間の労働を強いられる者もいたという。そんな彼らが「8時間の労働、8時間の睡眠、8時間の自由時間を」という要求を掲げて立ち上がったのだ。しかしこの要求はそう簡単には受け入れられず、長い苦難の年月が続く。そして1890年、各国の社会主義政党の国際組織(第2インターナショナル)がこの日を労働者の団結の日としたことがメーデーの起源となった。
ちなみに8時間労働制は1919年にILO(国際労働機関)第1回総会で「1日8時間、週48時間の労働」が国際的に労働基準として定められたことにより、欧米では急速に普及していく。
現在の日本のメーデーはいささか切実感に乏しく形骸化している感がある。これは日本が経済的に発展して国民の生活水準も向上し、社会保障制度も整備されてきたからで、ある意味では幸せなことなのかもしれない。
しかし国民の大多数は「賃金で働く者」という意味での労働者であり、昨今の雇用形態の多様化やさまざまな局面での格差の拡大が労働者の健康や人間性を損なう懸念もある。この意味で5月1日に働く者の歴史と未来について考えることには大いに意味があるといえるだろう。
さてこの労働者の日としてのメーデーと、前述の古代ケルト起源の豊饒祭としての5月1日とは一見、無関係に見える。しかしこの日が季節の区切りの日、特別な日であるという観念が長年にわたって受け継がれ、これが1886年のアメリカの労働者たちの集団的無意識になんらかの影響を与えた可能性もありそうだ。とすればこれは古代ケルトの宗教儀礼と20世紀の社会運動とのシンクレティズム(習合)といえるかもしれない。
ところで今年の5月1日。あなたにとっては「恋の日」だろうか、それとも「労働者の日」だろうか。あるいは「恋する労働者の日」だろうか。
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*ショスタコーヴィッチ・交響曲第1番・第3番(NAXOS 8.550623)
テレビ番組「なんでも鑑定団」ではホンモノと思っていたものがニセモノとわかり持ち主がガックリするというシーンをよく目にする。書画骨董にはニセモノが多いのだ。
音楽の世界で骨董的お宝といえばまずはストラディヴァリウス。ごくたまにオークションに出るが、小さなヴァイオリンが1憶円ぐらいする。もっともこれは名器=よい音の楽器としての評価に加えて希少価値によるところが大きい。
オルガンやチェンバロにも名器が存在する。今回はバッハ《平均律》第1巻の前奏曲ハ長調をチェンバロの歴史的名器による演奏で聴いてみよう(各項目は演奏者/録音年/レーベル)。
(1)ヴァルヒャ/1974/Archiv
アントワープのヤン・ルッカース Jan Ruckers(1578-1642)が1640年に製作したチェンバロを使用。ルッカース一族は当時フランドル地方ですぐれた楽器を製作していた。彼らの楽器は「銀の鈴」にたとえられる輝かしく余韻の長い音を特徴とする。いわゆるフレミッシュ・チェンバロの代表格だ。この録音ではヴァルヒャの気負いのない演奏が楽器を活かしている。
(2)ギルバート/1983/Archiv
前述のルッカースのチェンバロは18世紀フランスでも人気があり、パリでは古いルッカースの楽器を改造して音域を広げたり、1段鍵盤を2段鍵盤に改造することが行われた(ラヴァルマン)。中には新しく作った楽器を「ルッカースを改造」と称して売るニセモノもあったというからおもしろい。
ここでギルバートが使っているのはヤン・クーシェ Jan Couchet(1615-1655)が1671年に製作した楽器を1759年にパリのブランシェが拡張し、さらに1778年にパリのパスカル・タスカンが拡張したもの。ヤン・クーシェはルッカースの工房で働いていた父と、前述のヤン・ルッカースの姉妹のカタリーナを母とするので、広い意味ではルッカース一族のひとりとみなしてよい。
この楽器の音は(1)よりも繊細で余韻も長め。この例が示すようにフレンチ・チェンバロはフレミッシュをベースに発達したといえる。
(3)ドレフュス/1992/DENON
パリの製作家、ギョーム・エムシュ Guillaume Hemsch(1709-1776頃)が1763年に製作した楽器を使用。これはフレンチ・チェンバロの最終型だ。音色は(2)に近いが、微妙に異なる。ただしこれは20世紀に修復した修復家のセンスや録音方法(マイク位置や間接音の取り込み方など)によるところも大きい。
さてこれらの楽器は世界に一台の貴重な楽器でストラディヴァリウス並みの価値があるし、また音も素晴らしい。そのためにこれらの楽器を忠実に複製した、いわゆるコピー楽器も20世紀後半以降広く製作されるようになった。
コピーというとなにやらニセモノのイメージがつきまとうが、もちろんホンモノと偽って売買するためのものではない。歴史的名器の本来の響きを再現するためにコピーが製作されるのだ。木材は時が経つにつれて乾燥し、やがて朽ちてしまう。だから製作後400年近くも経ったストラディヴァリウスは木材の乾燥が進み、もう楽器としてのピークは過ぎてしまって今後は音は悪くなっていく、ともいわれている。
チェンバロの場合はヴァイオリンよりも構造が複雑で弦の数が多く、その張力が本体に及ぼす力も大きいので、古い楽器の中にはもはや弦を張って音を出すことが不可能なものも多い。
前述の(1)~(3)も決して17~18世紀の状態ではなく、20世紀にかなり手を加えて演奏可能にしている。
そこで最近製作されたコピーによるCDをひとつ紹介しておこう。若手チェンバロ奏者ピエール・アンタイが2001/02年に録音したもの。使用楽器はバッハゆかりのドイツ・チューリンゲン地方の無名の製作家が1720年に製作したチェンバロのコピー(1999年製)*。
この楽器はケースの板厚や弦長がフレミッシュ/フレンチとは異なるジャーマン・チェンバロと思われる。余韻は短めでパキパキした響きを聴かせ、ラストの低音も明快な響きとなっている。バッハが《平均律》1巻を浄書したのは1722年。もしかするとバッハはこんな楽器でこの前奏曲を弾いたのかもしれない。
骨董品としての評価はホンモノなら高額でニセモノなら二束三文。しかし楽器の場合は状態の悪いホンモノの音はもはや当時の音ではない、という意味で「ニセモノの音」で、よくできたコピーの方がむしろ当時の音に近い「ホンモノの音」を聴かせてくれるといえるのだ。
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*J.S.バッハ「平均律クラヴィーア曲集第1巻」ピエール・アンタイ (MIRARE MIR 9930)
輸入・発売元のウェブ:http://www.mercury-coo.com
高級オーディオ製品を扱う雑誌には、しばしば数百万円のCDプレーヤ、アンプ、スピーカを愛用するマニアが紹介される。中にはリスニングルームや建物にもかなりの費用がかかっていると思われるケースもある。
筆者は以前はそういう記事を見ると「お金持ちの道楽さ」と冷ややかに見ていた。そこまでの財力がない庶民の羨望と嫉妬が入り混じった気持ちもあったのだが、やがて考えが変わってきた。裕福な人がオーディオにのめり込むのは、それなりの事情があってのことだろう。
たとえば企業の経営トップ。財力も権力もあるかもしれないが、成功すればするほど失敗や倒産への恐怖心、強迫観念が増すのではないか。一見、自信に満ちているようでもそれは弱みを見せまいとする虚勢で、内心は常にビクビクしているということもあり、意外とストレスがたまりそうだ。
弁護士も人によってはかなりの高収入を得ることができる。しかし弁護士の仕事というのは、ほとんどが事故や事件、もめごと、つまりイヤな話の後始末。いくら高収入が得られるとはいえ、そういうイヤな話に付き合うのだからストレスは大きいだろう。
医師の中にも高収入な人がいる。しかし、これまた病人やケガ人が相手だから楽な仕事ではないし、責任も重い。治療や手術が成功すれば大きな達成感があるだろうが、患者が死亡した場合は、たとえ自分にミスがなかったとしても無力感や挫折感を感じることがあるだろう。
歯科医師は患者の生死にかかわることは少ないとはいえ、ちょっとでも歯神経にさわれば患者に痛がられ、恨まれるから、これまたストレスがたまりそうだ。
これらの職業の人たちが仕事のストレスから逃れるためになんらかの没頭できる趣味に、特にオーディオにのめり込むのはある意味で当然のことで、そのストレスに比例してオーディオに注ぎ込む情熱と費用も増すような気がする。この種のオーディオマニアは、いわば自己音楽療法を行っているといえるかもしれない。
さてクラシック音楽の歴史を眺めてみると、しばしば王侯貴族など、時の権力者や富裕階級が音楽家を保護・援助している。いわゆるパトロンだ。これはひとつには権力の誇示という側面があった。豪華な宮殿やそれを飾る絵画彫刻とならんで、音楽もまた富と権力の象徴となる。
しかし、おそらくそれだけではなかったのだろう。権力者には権力者の悩みや苦労があったはず。たとえばいつの時代にも政争や権力闘争は存在する。いつ権力の座を追われるかわからないし、まかりまちがえば毒殺や刺客で命を落とすことさえある。だから庶民からみれば一見、何不自由ない贅沢な生活を送っているかのように見えても、権力者やその家族には大きなストレスがあったはずだ。
ここでアルカンジェロ・コレッリ(1653-1713)のヴァイオリン・ソナタ集がどんな人物に献呈されていたか見てみよう。作品1(1681年)は元スエーデン女王で当時退位してローマで暮らしていたクリスティーナに、作品2(1685年)はローマのパンフィーリ枢機卿、作品3(1689年)はモデナ公フランチェスコII世に、作品4(1694年)はローマのオットボーニ枢機卿に、作品5(1700年)はブランデンブルク選帝候妃ゾフィー・シャルロッテに献呈されている。
いずれもかなり高位の王侯貴族=富裕階級、権力者といってよい(枢機卿というのはカトリック教会の高位聖職者だが当時は実質的には富裕な貴族で、大邸宅を構え豪華なパーティーを催したりしている)。
当時コレッリは彼らのために作品を書き、演奏していたのだ。これらの曲集に収められているコレッリのソナタはいずれもひとつあるいはふたつのヴァイオリンと通奏低音(または低音弦楽器)による小規模室内楽で、演奏時間もほとんどが1楽章2~3分程度と短く、ごく私的な場で楽しむ性格が強い。当時の権力者たちもオフのときにはひとりの人間にもどって、これらのソナタをヒーリングミュージックとして聴いたのだろう。
感傷的な《ラ・フォーリア》を含む12曲のソロ・ヴァイオリンソナタからなる作品5を、A.マンゼのヴァイオリンとR.エガーのチェンバロで聴いてみよう*。コレッリのヴァイオリン技法は今となってはそれほど技巧的ではないが、そのぶん、くつろいでヴァイオリンのよさを聴くことができる。
これらの曲は上品で優雅であると同時に、心にしみる何かを感じさせる。特に短調の緩徐楽章は心をなぐさめてくれるので、さまざまなストレスにさらされて慢性的な疲労に陥っている現代人にも向いているといえそうだ。
今では庶民もこれらの曲を手軽に聴くことができる。こういう点では世の中はよくなっているというべきかもしれない。
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*Corelli Violin Sonatas, Op.5. Manze/ Egarr. (harmonia mundi usa HMA 907298.99)
よい演奏をするためには何が必要か。いろいろな考え方があると思うが、何よりもまず「よい耳」、つまり演奏の微妙な差異を聴きわける能力が必要ではないだろうか。
この「よい耳」とは広い意味での聴音能力といってもよいのだが、筆者が考えているのはひっかけのための非音楽的な音や不自然に複雑なリズムパターンを含むような聴音課題を5線に書き取る能力ではなく、音のつながりや強弱は自然か、リタルダンドは適切か、といった側面の微妙な違いが判断できる能力なので、敢えて「よい耳」と呼ぶことにする。
さてよい耳がなければ、いくらテクニック的に指が回っても、また暗譜力や初見能力があってもよい演奏はできない。その理由は聾唖者がなぜ話すことができないかを考えてみればわかる。
耳が聴こえないと、たとえ声帯や舌、あごなど発音・発声に用いられる身体の各部が正常でも話すことはできない。自分の発している音声を確認することができないからだ。
幼児は周囲の大人の話す声を聴いてそれをお手本として発話を試み、自分の話す声を聴いて不完全なところを補正しながら少しずつ話せるようになっていく。
同様に演奏技術を習得するには音楽的な演奏をお手本として、自分の演奏をそれに近づけていくというフィードバックが必要で、それには音楽を聴く能力が不可欠なのだ。
とはいえ生徒がよい耳を持っていなくても、教師が手取り足取り、細かいところまで教え込んで演奏させればよい演奏をすることも多い。しかしそういう生徒は新しい曲をゼロから自分で作り上げることができない。何がよい音で、何がよくない音か本人が自分の耳で判断できなければ、自力でよい演奏を達成することは不可能なのだ。
子供の頃あるいは音楽大学時代には優秀でも、その後あまりパッしないという場合、この「よい耳」の欠如のケースが多いように思える。逆にいえば、教師は生徒によりよい耳を身につけさせるように努力するべきであって、その部分をおろそかにしてとりあえず形にすることばかりに力を注いでしまうと、それは長い目で見れば生徒のためにならないということになるだろう。
ところで聴覚が正常でも、お手本がなければ幼児は言葉を話せるようにはならない。1920年、現在のバングラディシュの森の中でオオカミに育てられた少女がふたり発見された(アマラとカマラと名付けられた)。彼女たちは乳幼児期にジャングルに放り出され、そのまま野生の中で生き延び、奇しくもオオカミに育てられて成長したのだ。
まさに驚異的な話だが、彼女たちはうなったり奇声を発することはできても、言葉をしゃべることができなかったという。それは人間のお手本から学ぶ機会がなかったからだ。
この話もまた演奏教育にとって極めて示唆的だ。よい演奏をするためにはよいお手本が示されなければならない。19世紀のすぐれたピアノ教師は「あなたはこう弾いているけど」とまず生徒の不完全な演奏を弾いてみせ、その後に「こう弾くといいのですよ」とよい演奏を弾いてみせたという。
現在では生徒の演奏を録音して聴かせることができるし、教師の模範演奏を録音して生徒に与え、繰り返し聴いて「よい耳」を養うように指導することも可能だ。またすぐれた模範演奏のCDも手に入る。
おすすめはエッシェンバッハによるピアノ教材のCD。バイエル、ブルグミュラー、ソナチネ、ソナタ、チェルニー30番、40番などが出ている。このシリーズでもこれまでいくつか取り上げてきたが、今回はソナチネ・アルバム1の最初の10曲*を聴いてみよう。
ごく初歩的な練習曲とみなされているソナチネも、エッシェンバッハが弾けば立派な音楽作品として鑑賞できるレベルになる。第1楽章や第3楽章は単に速いだけではなく、自然な躍動感がある。対照的に中間楽章は優しく穏やか。また音楽がなめらかで、どこか気品が感じられるから不思議だ。まさに目からウロコ。これらを目標に練習すれば、生徒はソナチネを弾くことに大きな達成感を感じることだろう。
さてよい耳を育てるにはどうしたらよいか。宝石の鑑別鑑定士になるには、ホンモノをたくさん見ることが必要といわれる。そうすればおのずとニセモノは見抜けるのだそうだ。これを音楽にあてはめると、よい耳を育てるためにはホンモノの演奏を数多く聴くことが必要、ということになる。そうすればダメな演奏はおのずとわかるようになるはずだ。この意味でエッシェンバッハのソナチネはホンモノの演奏だから、ただ聴くだけでも大いに有益といえるだろう。
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*ソナチネ・アルバム1(1)〔第1番ー第10番〕エッシェンバッハ(独グラモフォン UCCG-3056)
【追記】
いわゆる「オオカミ少女」、アマラとカマラについては、これまで「乳児の頃ジャングルに放り出され、オオカミに育てられた」といわれてきた。しかし、一定の年齢まで成長した自閉症児や発達障害児がジャングルに捨てられたのではないか、という説もある。なおヨーロッパにも、類似の野生児の記録が残っている。
2009.2.21
アテネ・オリンピックにちなんで、今回は古代ギリシャの音楽思想について。
まずピュタゴラス(569頃~475頃)。彼とその弟子たちは、音楽に魂を清める浄化作用があるという思想を持っていた。彼らは天体(マクロ・コスモス=大宇宙)の星の運行の規則性を「宇宙の調和」とよび、人体(ミクロ・コスモス=小宇宙)の調和に通じると考えた。そして人間が病気になるのはこの調和が崩れるからで、それを治療するには音楽の調和を用いて、天体の調和を人体に注入すればよいと考えた。
ピュタゴラスといえばピュタゴラスの定理やピュタゴラス音律が有名で数学者のイメージが強いが、音楽による魂の浄化に関してはむしろ神秘的で神話的だったといえる。
他方プラトン(前427-347)は理想的な国家を形成するには青年の教育が重要であると考え、その教育には音楽と体育が不可欠と主張した。彼は音楽が勝れば軟弱になり、体育が勝れば粗暴になる、両者のバランスが大切とも述べている。
次いでアリストテレス(前384-322)は、音楽を以下の3種に分類した。
(1)教育に適する道徳的音楽
(2)無害な喜びを与える実践的音楽
(3)心理的浄化作用を有する熱狂的音楽
(1)はプラトンと同じ考え方で、現在の学校教育での音楽の位置づけや、教養としてのクラシック音楽の発想に通じる。(3)はピュタゴラスの思想を受け継いだもので、現在でも世界各地の祭りでの熱狂的な音楽や、若者が陶酔する激しいロックミュージックに通じるといえるだろう。そして(2)は現代の一般的な音楽のあり方にもっとも近い現実的で常識的な考え方。街中やスーパーのBGMや気軽に聴くポピュラー音楽などがこの分類に含まれるだろう。
これがピロデモス(110頃-30頃)になると「音楽は感覚的な楽しみに過ぎない」となり、さらにセクストス・エンペイリコス(3世紀頃)は前述の天体の音楽や道徳的音楽は無意味で、音楽は「酒のような単なる気晴らし」と述べている。
このように古代ギリシャの音楽思想は神秘的・道徳的なものから、より現実的でドライなものへと変化していったように見える。
ピュタゴラスのように音楽に神秘的な心理効果を期待したり、プラトンのように道徳的意味づけをするというのは、なんらかの目的に音楽を利用することだ。
これに対してピロデモスやエンペイリコスの考え方は、一見音楽をバカにしているように見えても、実は音楽を音楽としてのみ受け入れるという点で音楽を自立した存在と見ることになり、これはこれで妥当な音楽思想といえる。音楽はそれ以上でも、それ以下でもないのだ。
ところで日本の音楽界の一部ではいささか過剰な期待が高まっている音楽療法だが、現代医学の立場から疑問視する声が根強い。それももっともな話で音楽療法が有効とされる「心の病い」も、脳神経の生化学的プロセスの異常として解明されつつあり、いずれ化学物質や脳神経外科的手法による治療法が開発されることだろう。音楽療法はそれまでの補完医療、代替医療と見るべきだ。
補完・代替医療とは、現代西洋医学領域において、科学的未検証および臨床未応用の医学・医療体系の総称。アメリカでは音楽療法が盛んといわれるが、これはアメリカの医療保険制度が日本と異なり、一定の条件をクリアすれば音楽療法を含めて補完・代替医療にも保険適用が認められるという背景による。
ノースカロライナ大学医学部のキャシレスは『代替医療ガイドブック』(春秋社)の中で次のように述べている。
「音楽療法は立証済みの補完療法であり、多くの病状や問題に効果を上げている。治癒力はなく、いくつかの補完療法のように、重大疾患の治療法として勧められることもない。しかし、優れた補完医療法の例にもれず、幸福感や生活の質を高め、症状を軽減し、初期治療やリハビリテーションの効果を高めてくれる」(402ページ)
これは裏を返せば音楽療法がエンペイリコスのいうところの「気晴らし」や「気休め」程度のもの、といっているに等しい。
ということで今回紹介するのは、19世紀末のブラジルに登場したショーロの名曲《愛しの花 Flor amorosa》*。
ショーロはフルート、ギター、カヴァキーニョ(小型ギター)を使った軽音楽で、その押しつけがましさのないあっさりした性格は後のサンバ、ボサノバにつながっていく。どうということのない音楽、ちょっとした気晴らし、アリストテレスのいう無害な喜びを与える音楽に過ぎない。
しかしそこには音楽をなんらかの目的に利用しようとする意図も感じられない。ありのままの音楽が、ただそこにあるだけだ。
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*ショーロ1900(ビクターVICG-60256)
2004年8月某日、アマチュアのパイプオルガンプレーヤーのオフ会でMさんがおもしろいものを見せてくれた。キャストパズルシリーズのキャスト・バロック*1。2つのピースからなる一種の知恵の輪で、形もバロック風だが、なんとこのパズル、「バッハの楽曲『大フーガ』をモチーフに、絡み合うメロディのイメージをカタチにしたキャストパズル」なのだそうだ。バッハ好きのMさん、この解説に惹かれて購入してしまったとのこと。
この「大フーガ」とは、バッハの幻想曲(前奏曲)とフーガ ト短調 BWV 542のフーガをさす。日本では長年、バッハのフーガ ト短調 BWV 578が中学校での音楽の鑑賞教材に指定されてきたので広く知られているが、BWV 578の68小節に対して、BWV 542のフーガは115小節と大規模。また技巧的にもより高度だ。
そのため、いつしか前者を「小フーガ」、後者を「大フーガ」と呼ぶようになった。BWV 542の幻想曲は半音階的和声進行を駆使した劇的で荘厳な曲で、続く躍動的なフーガが好対照をなしている。バッハのオルガン曲の中ではベスト10に入るといってもよい名曲だ。
この小フーガと大フーガ、録音も多数出ているが、筆者の手持ちの中から国内盤が出ている録音をいくつか聴いてみよう(カッコ内はレーベル、小フーガ/大フーガの録音年と演奏時間)。
・H. ヴァルヒャ(グラモフォン、1970、4:08/1962、6:48)*2
一聴、何の変哲もない演奏でこれといったインパクトはないが、何回か聴いているうちに次第に味が出てくる不思議な演奏。大フーガ*2は今回紹介する中ではもっとも遅いテンポだが、堂々とした風格ある演奏ともいえる。録音年代は古いが音質は以下の新しい録音に比べてそれほど聴き劣りしない。またあまり残響を取り入れていないためにフーガの対位法が明確に聴き取れる。
・P. ハーフォード(ロンドン、1977~80、4:14/同、6:07)
端正であっさりした現代的演奏。逆に荘厳さとか崇高さはあまり感じられないだろう。音色も現代的で倍音ストップが強く、輝かしいが、やや硬質な感じもする。
・W. リュプサム(フィリップス、1977、2:52/同、5:38)
小フーガは筆者の知る限りでは最速。主題冒頭はノンレガートで、一般的な演奏を聴き慣れた耳には多少違和感があるが、雑な感じはなく、これはこれで爽快だ。大フーガはやや散漫な感じがする。
・T. コープマン(テルデック、1994、3:41/同、5:46)
いずれもアーティキュレーションが明確。また装飾を付加しているのが特徴。よくいえば自由闊達だが、落ち着きがなくせっかちな演奏にも感じられる。特に大フーガの64~65小節が急に速くなるのは不自然。
・S. プレストン(グラモフォン、1995~96、3:51/1991、5:36)
ハーフォードに近い現代的な演奏。控えめのレジストレーションで軽快さを強調している。2曲ともテンポはかなり速い。今回紹介する中では大フーガのアーティキュレーションがもっとも明確。残響はいずれも豊かだが、引き替えに音の輪郭はややぼやける。
・M.-C.アラン(エラート、1993、4:40/同、5:36)
日本では人気のあるオルガニスト。アランの小フーガを中学時代に学校の音楽の時間に聴いた人も多いだろう。大フーガのテンポは速めだが、やや乱れるところがある。またプレストンと同じく教会の残響が豊かな反面、オルガンの響きはやや混濁している。
以上6種、おススメはオーソドックスな演奏が好みならヴァルヒャ、アラン、軽快さや個性派が好みならハーフォード、プレストン。リュプサムの小フーガもおもしろい。
ところでオルガンという楽器は荘厳で多彩な音色を持つ反面、微妙なニュアンスの表現は苦手で単調な音しか出せない。つまり不器用な楽器。それを速めのテンポやアーティキュレーションで補おうとしても限界がある。コープマンが典型的で、従来のバッハ演奏と一線を画そうとする姿勢はわからなくもないが、ではそれが納得できるものになっているか、となると疑問だ。
たとえばアーティキュレーションがまったくなければノッペリつまらなくなるが、逆にブツブツ切りすぎると聴き苦しくなるし、装飾も過剰になればうるさい。
それならば無理をせずに、たとえ地味で無骨な演奏になったとしても、あくまでオルガンをオルガンらしく弾くべきだろう。この意味ではヴァルヒャがオルガンの長所と短所をもっとも的確に把握しているように感じられる。
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*1:http://www.hanayamatoys.co.jp
*2:《J.S.バッハ:オルガン作品集》ヴァルヒャ(グラモフォン UCCG-9346)
最近、ヴェルディ《レクイエム》の《怒りの日 》の冒頭をテレビでしばしば耳にする。ちょっとしたブームのようだ。
《レクイエム》とはカトリック教会の死者ミサ(鎮魂ミサ)の音楽のこと。このミサの最初に唱えられる(歌われる)入祭唱が「彼らに永遠の安息を与えたまえ Requiem aeternam」という言葉で始まることに由来する。《怒りの日 Dies irae》は続唱(セクエンツィア)と呼ばれる長い祈祷文で、世界の終わりに死者が灰の中からよみがえり、神の前に引き出されて裁きを受けるというもの(最後の審判)。
そこにはすべての人間の生前の行いを記録した書物が持ち出され、それにしたがって裁きが行われるから、言い逃れはできない。正しい行いをしてきた者でさえ、恐れおののく…。そして最後に「やさしきイエスよ、彼らに永遠の安息を与えたまえ Pie Jesu Domine, dona eis requiem」で終わる。
《レクイエム》はまずグレゴリオ聖歌の形で歌われるようになり、15~16世紀には多声合唱曲の形で作曲されるようになる。ラッスス、パレストリーナ、ビクトリアのものが知られているが、興味深いことに彼らは《怒りの日》は作曲していない(この部分はグレゴリオ聖歌で歌われたと考えられている)。
18~19世紀になると《怒りの日》は合唱、重唱、管弦楽からなる大規模な音楽として作られるようになり、《レクイエム》の中心的部分に発展する。特にモーツァルト、ヴェルディ、ドヴォルザークの《レクイエム》では《怒りの日》は激しく劇的に始まる。これがベルリオーズの《レクイエム》になると《怒りの日》は弱音の女声合唱で始まり、恐怖のイメージよりは悲嘆のイメージが強い。またフォーレの《レクイエム》では《怒りの日》の大半は作曲されず、最後の《やさしきイエスよ》のみが穏やかな音楽として作曲されている。
興味深いことに、カトリック教会は20世紀後半にこの《怒りの日》を死者ミサから除外してしまった。現在のカトリックの教えでは世界の終わりや最後の審判は、限りなく永遠の未来に先送りされている。本来、キリスト教では神の子イエス・キリストが自ら十字架上で死ぬことによって人類の罪が贖われ、信徒はキリストを信ずることで天の国に入るとされる。だから「死は天の国にいたるための喜ばしきできごと」ともいえ、これらの点からすれば、最後の審判の恐ろしさを描いた《怒りの日》はマイナス思考であり死者ミサにふさわしくないということになったのだ。
さて中世ヨーロッパでは素朴な民衆を支配し抑圧する手段として、ことさら地獄や最後の審判の恐怖が強調された面がある。しかしルネサンス以後、教会の権威が弱まり、さらに啓蒙思想によって非合理的な宗教や迷信に対して理性からの批判がなされるようになると、それらは結局、人間が作り上げたものではないのか、という疑念が生じ、人々は聖書や教会の教えを字義通りには信じなくなる。
こうなると地獄や最後の審判の恐ろしい描写もその現実味は薄れ、象徴的な寓話に変質していく。このようなキリスト教の衰退に伴って《怒りの日》は葬儀や命日の慣習行事となった死者ミサを荘厳に演出するための、あるいは残された者が悲しみを共有するための音楽として聴かれるようになっていったのだろう。
もっとも、絵画に描かれた地獄の情景(たとえばボッス)や、モーツァルトあるいはヴェルディの《怒りの日》の描写は今となっては他愛のないものに思える。なぜなら、私たちはアウシュビッツやヒロシマ、ナガサキ、ドレスデン大空襲、東京大空襲をはじめとする惨状を、あるいはコソボ、アフガニスタン、イラクやスーダンでの惨状を、つまり死後の世界ではなく、人々が生きている他ならぬこの世界に出現した地獄のような、あるいはそれ以上に残酷で悲惨な状況を知っているからだ。これらの惨状の犠牲者や体験者の苦しみを共有できるような《レクイエム》が存在するだろうか。
強いて挙げるとすればリゲティの《レクイエム》*あるいはペンデレツキの《怒りの日》か。これらの曲なら、その強烈な不協和音によって上述の惨状の悲惨さのごく一部をかろうじて共有できるかもしれない…いや、想像を絶する惨状に直面した人々からすれば、これらの曲でさえ、安逸な生を生きる私たちの後ろめたさの表明あるいは言い訳以上のものではないだろう。
悲惨な現実に直面したとき、おそらく私たちは音楽を演奏する気にも聴く気にもなれず、ただ沈黙するしかないだろう。ナチスによるユダヤ人虐殺を描いたドキュメンタリー映画『ショアー』では一切、音楽は使われていなかった。
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*György Ligeti: Requiem etc. (Wergo WER 60 045-50)
クラシック音楽に関する文章もさまざまだが、よく目にするのが歴史上著名な作曲家の生涯や主要作品について書かれたもの。この種の記述では作曲家がいかに偉大で独創的、革新的であるかがさまざまな角度から論じられ、あるいは作曲家がいかに苦労したか、などが記述される。しかし冷静に読んでみれば、単に「偉大な作曲家は偉大だ」あるいは「偉大な作品は偉大だ」という同語反復に終始している場合が多い。
また一般向けの記述では愚にもつかない通俗的なエピソード(トリビア)が取り上げられることも多く、エピソードが捏造されることさえある。たとえばベートーヴェンの《月光ソナタ》に関するお話し。ある晩、ベートーヴェンが友人と町を歩いていると、ある家からピアノの音が聴こえてきて、その家には女の子と男の子がいて…という話だが、これは19世紀に創作されたものだ。
また安易なレッテル貼りも行われる。たとえばチャールズ・アイヴズ(1874-1954)はしばしば「アマチュア作曲家」とか「日曜作曲家」といわれる。確かに主たる収入を作曲で得ていない、という意味ではアイヴズはプロの作曲家とはいえないが、だからといって「専門的音楽教育を受けていない素人が趣味で作曲した」というようなイメージを抱いたらそれは誤解だ。
彼は7才からピアノ、オルガン、作曲を学び、15才で教会オルガニストとなり、イェール大学で作曲を学んだ。しかし作曲家としてアメリカで生きていくとなれば、当時のアメリカのクラシック界のアカデミズムに適応しなければならない。アイヴズはそれがいやだった。彼は何にも束縛されずに自分の書きたい曲を書くために、敢えて職業的な作曲家にはならず、生活は保険業からの収入でまかなうことにしたのだ。結果としてアイヴズは凡庸な自称プロ作曲家以上に独創的な作品を残すことになる。
さて、なぜ作曲家、とりわけ大作曲家について書かれるのか。大きく2つの需要がある。まず第一に、音楽愛好家は自分の好きな作曲家に関する知識を増やすためにこうした記述を読む。これは人間心理として自然なことで、誰でも興味のある人物についてはいろいろ知りたくなるものだ。それに教養がありそうな知識自慢、蘊蓄自慢もできる。また程度の差こそあれ愛好家は特定の作曲家や演奏家を偶像視する傾向があり、自分の好きな人物が賞賛されている文章を読むことで満足感を得る。
第二に、しばしば作曲家は国や民族の誇りとなる。18~19世紀ヨーロッパではナショナリズムや民族主義の台頭にともなって、自国の偉大な人物を愛国心や民族意識を高めるために利用するようになる。その結果、科学者や文学者、作曲家が英雄視され、彼らの伝記が書かれるようになった。1802年に出版されたフォルケルの『バッハ伝』が典型的な例。M.ゲックによれば、この時期ドイツでは「ひとつのドイツ国家」の理想が追求され、「ドイツは詩人と思想家の国」というイメージが強調されていたという。このような背景からフォルケルはバッハを音楽における「国民的英雄」として提示したのだ。
このような国威発揚の伝記は、ある作曲家を賛美し、美化し、しばしば偶像化するという点では教典あるいは聖人伝と呼ぶべき宗教的な性格を帯びる。教祖や聖人は絶対視され、批判は許されない。同時代の他の作曲家との公正な比較がなされることは少なく、さらに他国の作曲家の影響を受けた点はしばしば故意に無視される。なぜなら彼はあくまで独創的でなければならず、国や民族の美点や優秀性の象徴として描かれる手前、他国の影響を受けていてはならないからだ。他の作曲家の影響を認めざるをえない場合は「それらを総合して新しい境地を開いた」といった論法が取られる。いずれにせよその作曲家の実像よりは虚像や幻想が肥大化する。
そこで今回紹介するのはバッハの同時代人、ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681-1767)。バッハとは親交もあり、息子のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの名付け親を務めているが、生前はバッハよりもはるかに高く評価されていた。彼の《ターフェルムジーク》(食卓の音楽)中の協奏曲や序曲はバッハの協奏曲や管弦楽組曲と非常によく似ており、聴きくらべてみると、どこまでが当時の一般的な時代様式で、どこからが個々の作曲家の個性かがよくわかる。この《ターフェルムジーク》、ラインハルト・ゲーベルの演奏*はアグレッシブで新鮮。適度に軽やかで野暮ったさがない。生前のテレマンの絶大な人気も納得できる。
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*Telemann: Tafelmusik. Musica Antiqua Köln/ Goebel. Archiv 427 619-2(国内盤もある)
キース・ジャレット。もしあなたがこの名前を初めて目にするなら、何も問題はない。しかしもしあなたがこの名前を知っていて、しかも彼のことを「ジャズピアニスト」と思っているとしたら、ちょっと気をつけてほしいことがある。
ショップではキースのCDはジャズのコーナーに並んでいることが多い。ところがそこにはときおりバッハの平均律やゴルトベルク変奏曲、ヘンデルの組曲、ショスタコーヴィッチの前奏曲とフーガが並ぶ。そう、彼はクラシックも弾いているのだ。それを見て、あなたは「ジャズピアニストが弾くのだから、ジャズっぽい演奏かな?」と思うかも知れない。では試しに彼がチェンバロで弾いたフランス組曲*を聴いてみよう。
ジャズ的に崩したところはまったくない。ごくまっとうな演奏だ。テンポもそれほど速くなく、むしろ遅め。しかしこれによってチェンバロが優雅に響く。テクニックを誇示したり、意表をつく解釈でいたずらに自己主張することはなく、むしろ「作品に語らせる」演奏。落ち着いて聴け、いつのまにか引き込まれてしまう。
「本当の金持ちは自分を金持ちらしく見せようとはしない。成金の小金持ちほど見栄を張る」という。これを音楽家にあてはめると、本当に才能のある音楽家はことさら才能を際だたせようとはしない、才能に乏しい音楽家ほど、えてして不必要なまでに自分の才能を誇示しがち、といえる。
さてイアン・カー著『キース・ジャレット---人と音楽』(蓑田洋子訳、音楽之友社)を読むとキースのバックグラウンドがわかる。彼は1945年にアメリカ・ペンシルヴェニア州アレン・タウンで生まれた。父親はフランス系あるいはスコットランド/アイルランド系移民の子孫、母親はオーストリア/ハンガリー系移民の子孫で、アフリカ系ではない。幼い頃から音楽への強い関心を示し、3才になる前に、ラジオから流れるメロディーをピアノで弾いた。その才能を伸ばそうと、両親は3才の誕生日直前からピアノのレッスンを受けさせたという。
7才のときにキースが行ったピアノリサイタルのプログラムがある。
【第1部】
モーツァルト:ロマンス 変イ長調
C.P.E.バッハ:アレグロ ヘ短調
ブラームス/ウィリアムズ:ララバイ
J.S.バッハ:幻想曲ハ短調
【第2部】
ベートーヴェン:
《わが心もはやうつろになりて》による変奏曲
3つのコントルダンス
---休憩---
【第3部】
サン=サーンス:白鳥
ラヴィーナ:練習曲
グリーグ:ノクターン
モシュコフスキー:スケルツィーノ
シューマン:トロイメライ
メンデルスゾーン:無言歌
ムソルグスキー:ゴパック
【第4部】
キース・ジャレット:
《動物園の散歩》A Walk in the Zoo
(散歩/象、鳥、カンガルー/散歩/ライオン、キリン、ラクダ/散歩/アザラシ、猿、蛇/出口)
《山の情景 Mountain Scene》
(訳は筆者による)。
これを見てキースがモーツァルトやメンデルスゾーン並みの神童だったというのは早計だとしても、彼が幼い頃からクラシックの幅広いレパートリーを体得していたことはほぼ確実といえる。したがって彼に対して「(ジャズピアニストだから)クラシックの素養がない」といった先入観を抱くべきではない。
後に彼は家庭の事情からクラシックピアノのレッスンを受けなくなり、当時アメリカで流行していたジャズやダンス音楽に関心を持つようになってジャズピアニストの道に進むことになるが、才能ある人物はどんな分野に進んでもその才能を発揮するもの。彼は凡庸なクラシックのピアニストやチェンバリストよりは遙かに格が上だ。
ところでキースが使っているチェンバロは日本のチェンバロ製作家、高橋辰郎が18世紀ドイツの様式に基づいて製作した2段鍵盤の楽器。筆者は高橋が製作した同タイプの楽器を試奏したことがあるが、よく伸びる中低音の響きと高音の輝かしさには独特のものがあり、また豊かな響きの楽器だった。
わが国では、楽器に関してはまだ舶来信仰、欧米崇拝が根強いが、オランダの高名なチェンバリストLが録音に使ったという同じドイツの様式にもとづく楽器(オランダ在住のKが製作)は実際に弾いてみるとひ弱な音。高橋の楽器の方がはるかに完成度が高い。キースが高橋の楽器を選び、適切なテンポ設定と奏法によってチェンバロのよさを最大限引き出していることもまた、クラシックやジャズといったジャンルを超えた次元での才能の一端を示すものだ。
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*Bach: French Suites / Keith Jarrett. (ECM New Series 437955)
www.amazon.comで試聴・購入できる。
【追記】
グレン・グールドもフランス組曲を録音しているが、エキセントリックな解釈が鼻につき、いい加減、飽きてきた。音質も今となってはよくない。もしピアノによるフランス組曲を聴いてみたいということなら、アンジェラ・ヒュイットを推薦する。グールドは確かにユニークなピアニストだったが、もう過去の人物だろう。
しかし、依然としてグールドは人気があり、グールドをネタにした書籍もいくつか出版されている。客観的な事実関係を記述したものは読む価値があるが、ほとんどはいわば聖人伝、グールド教の教典というべきもの。この種の書籍は、19世紀以降の大作曲家伝と同じく、気の利いた言葉を並べ立て、グールドの演奏の魅力を利用してファンの心理をくすぐり、満足させる、という点でたいこ持ち=幇間的な書籍というべきだろう。あるいは、グールドをテーマにすれば売れる、という意味においては、「他人の褌で相撲を取る」というべきか。
筆者はグールドの残した録音のいくつかは未だに傾聴すべきものと思っているし、実際にCDを聴くこともある。しかし、彼の音楽について論じた評論やエッセイにはまったく興味がない。この種の書籍を買う余裕があるならCDを買うし、これらの書籍を読む時間があれば、グールドのCDを聴いた方がはるかに有意義な時間を過ごせる。(2009.5.29)
2005年はどんな年になるのだろうか。まず世界情勢。イラクはかつてのベトナムのように泥沼化しているし、アラファト議長亡き後のパレスチナ情勢も予断を許さない。チェチェンなど、旧ソ連圏の民族問題も混迷の度合いを深めている。国内はどうだろう。昨年は景気の回復の兆しが見られるといわれたが、どうやらそれは一部大企業がリストラによって合理化した結果。庶民の生活感覚からすればとても景気が回復したなどといえる状況ではなさそうだ。加えて定率減税の段階的廃止は実質的な増税だし、消費税アップも時間の問題。せめて地震や水害が起こらないことを祈るばかりだ。
こういう社会情勢の中で音楽業界も低迷している。バブル期のような高級志向、成金趣味のクラシック・ブームはもう期待できないだろう。しかし厳しい時代にクラシック音楽が聴かれた例がある。第2次大戦中、ドイツの空爆を受けていたイギリスでは、享楽的な大衆音楽よりもクラシックがよく聴かれたという。これはクラシックの持つ生真面目さ、地味だが確固とした響きが、過酷な現実に直面した人々の心の支えになったということだろう。
ということで今回紹介するのは厳しい時代に生きる私たちの心をなぐさめてくれる音楽、ラフマニノフ《ヴォカリーズ》のCD*。この曲の13種類の演奏を聴くことができる。
[1]ソプラノ:A. モッフォ。ストコフスキー編曲・指揮のオケ伴奏。やや古い録音(1964)だが歌唱表現はすばらしい。
[2]ヴァイオリン:V. スピヴァコフ、ピアノ伴奏。筆者にはややきつい音に感じられるが、弦の響きは心にしみる。
[3]ラフマニノフ自身の編曲と指揮、フィラデルフィア管弦楽団。だいぶ古い録音(1929)なので音質は悪いが、作曲者による演奏はこの曲のひとつのスタンダードとして意義深い。
[4]カウンターテナー:B. アサウ、N. マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団。カウンターテナーの発声にはしばしば無理が感じられ、筆者は抵抗があるがアサウは別格。声質、表現ともにすばらしい。バックの室内オケも聴かせる。
[5]ピアノソロ:E. キーシン。よい演奏だが、クライマックスを盛り上げようとして音を増やしている編曲はちょっとくどいかも。
[6]フルート:J. ゴルウェイ。C. ゲルハルト編曲・指揮のオケ伴奏。このフルートはやや硬質な音で好みが分かれるだろう。
[7]ストコフスキー指揮、ノーマン・リュボフ合唱団、オケ伴奏。この曲に暖かみが出るから不思議。独唱とはまた違った人声のよさが感じられる。
[8]シンセサイザー、オケ:富田勲。電子オルガンに親しんている人には好印象だろう。シンセならではの微妙な音色の重なりもおもしろい。
[9]チェロ:W. フシュケ。この曲はチェロとの相性が非常にいいのだが、このトラックではどういうわけかバックに雨の音や雷の音などが入っている。映画のサウンドトラックかもしれないが、ちょっと違和感がある。
[10]ピアノデュエット:V. ヴロンスキーとV. バビン。録音が古いので(1940)レンジが狭く、テンポの変化にもやや疑問があるが、編曲そのものはおもしろい。
[11]Y. テミルカーノフ指揮、サンクト・ペテルブルク・フィル(弦合奏)。遅めのテンポで、落ち着いて聴ける。オーケストレーションがなかなか聴かせるので解説書をよく見たら、編曲は名指揮者のC. ザンデルリンク。後半にヴァイオリンソロを持ってくるところが憎い。
[12]二胡:許可(シュイ・クウ)、ピアノ伴奏。二胡は中国の擦弦楽器でヴァイオリンの遠い親戚。独特のポルタメント奏法を特徴とするシュイの演奏は素晴らしいが、どうせなら揚琴で伴奏してほしかった。
[13]ソプラノ:R. A. スウェンソン。最後にふたたびソプラノだが、こちらはオリジナルのピアノ伴奏。1994年録音なので[1]よりも音質はよい。歌唱表現の点でも文句の付けようがない。
このCD、おそらくどなたが聴かれても、少なくともひとつはグッとくる演奏があるのではないかと思う。この曲によって心がなぐさめられれば、悲観的な気分から脱することができる。そしてあきらめたり後ろ向きになったりせずに、冷静に状況をとらえて最善を尽くせば未来は自分で作り出すことができる、と考えられるようになるだろう。
ちなみに筆者のベスト・スリーは[7]、[11]、[13]。ベスト1は迷うが…今回は[11]にしたい。ちなみにソプラノならナタリー・デッセー(EMI)、チェロならハインリッヒ・シフ(PHILIPS)、クララ・ロックモアによるテルミン(DELOS)もぜひ聴いてほしい。
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*ヴォカリーズ・リラクゼーション(BMGファンハウス BVCC-35036)
bogomil's CD collection 2004
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