bogomil's CD collection: 1997
089-100

※このページは以下の12編のエッセイを収録しています。

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bcc: 089
ショパンのピアノ

1997.01

 クラシックのピアノ音楽といえば、まずショパン。この人を抜きにしてピアノ音楽は語れない。しかも、他の多くの同時代のピアノ音楽の作曲家、たとえばシューマンやリストあるいはブラームスが、歌曲や、室内楽、管弦楽曲なども書いているのに対して、ショパンは実質的にピアノ曲だけを書いた作曲家だ。

 これは、クラシックの作曲家というとオペラや交響曲を書くもの、とみなされていた当時の社会通念からすると、例外的な行き方といってよい。今さら言うまでもないことだが、さすがにピアノに専心しただけあって、ショパンのピアノ曲は小品から大曲まで、傑作がそろっている。

 では、ピアニストとしてのショパンはどういう弾き方をしていたのか。残念ながら、ショパンの生前にはまだ録音技術が存在しなかったし、彼の演奏のピアノ・ロール(オルゴールの原理で演奏する自動ピアノ用の穴の空いた紙)も残っていないので、今となってはショパンの演奏を知ることは不可能だ。

 しかし、実際にショパンの演奏を聴いた当時の人たちや、ショパンのレッスンを受けた弟子たちが書き残した記述から、ショパンの演奏を想像することはできる*1

 たとえば、ショパンは、非常に身体が柔軟だったらしい。なんと両肩の上に足を置くことができたというから驚きだ。当然、彼の手も柔軟で、指の骨の関節などないかのようになめらかに動いたという。

 さて、ピアノは「キーを叩く」ということで、どうしても力が入りやすい。そのためにフォルテをだそうとして力をかけても、エネルギーが無駄に消費されて、音に反映しない、ということがある。ショパンはどうだったか。どうも、ショパンは大音量を出すピアニストではなかったようだ。

 このため、ショパンはせいぜい200人ほどの聴衆の前で演奏することを好んだ。彼の演奏の魅力は、微妙な、デリケートな表現だったのだ。ただし、ここぞ、というところでは瞬間的にものすごい音を出して、フォルテを印象づけたという記述もある。

 ピアノ教師としてのショパンのレッスンはどんなものだったのだろう。やはり、手の柔軟さをもっとも気にかけ、次いで各指の独立した自由な動きを重視したという。

 また、ショパンの教え方で興味深いのは、ダラダラ長時間練習することを嫌ったこと。ある弟子が、一日6時間練習している、とショパンに言ったところ、ショパンは3時間以上練習することを禁じた、というエピソードも残っている。

 これは、ちょっと意外に思えるが、理由を聞けば納得できる。当時、弟子にかなり長時間の練習を課すピアノ教師もいたが、シューマンと同様、ショパンは機械的な反復練習を嫌っていて、常に精神を集中して練習することを要求していた。人間、集中力を維持できる時間には限界がある。だからショパンは気持ちが散漫になりやすい長時間にわたる練習を禁止したのだ。

 ところで、現在、多くのショパンのCDがあり、多くのピアニストが世界中でショパンを弾いている。テンポの設定からニュアンスの付け方にいたるまで、千差万別。こうなると、どれがショパンの本来の姿なのか、ショパン自身は自分の作品をどう弾いたのか、「正統的な演奏」とは何かを考えたくなってしまうが、この問題には意外な答が用意されている。

 ショパンは、自分の作品を二度と同じ表情では弾かなかった、という記述が残されているのだ。もしそうだとすれば、現在聴かれる、無数のショパンのどれもが、ショパン自身の演奏でありえる、といってよいだろう。

 さて、今回紹介するCD、タイトルがふるっていて、"Genuine Chopin"(純粋なショパン)*2

 何が純粋かというと、このCDはショパンが所有していた、1831年製のプレイエルのピアノで演奏したものなのだ。《革命のエチュード》や《小犬のワルツ》、《葬送行進曲》など、よく聴くショパンの曲が収録されている。ピアノ協奏曲第2番の第2楽章は、オーケストラもショパンの当時の楽器を用いて演奏している、という念の入れようだ。

 このピアノは、18世紀のフォルテピアノに比べればはるかに現代のピアノに近いとはいえ、やはりその音色は独特で、古いピアノの常として、音域によって音色が異なり、また打鍵の強弱による音色変化も、現代のピアノとは異なっている。ショパンがこのピアノで最大限の効果を上げるべく曲を書き、また自ら演奏した、という点で非常に興味深い録音といえる。

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*1:主にMolsen, U.: Die Geschichte des Klavierspiels in historischen Zitaten. 1982(モルゼン編・芹澤尚子訳『文献に見るピアノ演奏の歴史』シンフォニア刊)によった。
*2:Genuin Chopin/Janus Olejniczak (OPUS 111 OPS43-9107)

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bcc: 090
シューベルト:《冬の旅》
---あるいは「音楽家の孤独」

1997.02

 最近、ドイツのリート歌手、D.フィッシャー=ディースカウ(以下ディースカウ)によるドイツ・リートの一連のレッスンがNHKテレビで放映された。「さすが、ディースカウ、教え方がうまい」という見方もできるのだが、筆者は、同時にまた「レッスンの限界」とでもいうべきものも感じてしまった。

 このレッスンを見ていて気になったのは、生徒が自分の歌い方を客観的に把握できていないように思えるケースがあったこと。加えて、「どうあるべきか」という理想的な演奏の在り方を把握していないように思えることもあった。

 ディースカウが生徒にいろいろ注意し、場合によっては自分で歌って見せることもあるのだが、しばしば生徒は、自分の歌い方に確信が持てず、心もとなげにディースカウの判断を仰いでいるように見える。しかも、同じ事を繰り返し注意されても直らないことがある。

 これは、生徒が本質的にディースカウの意図を理解していない、ということだ。日本人がドイツ語で注意されても、細かいニュアンスまではわかりづらい、という側面もあるのだが、基本的に「言葉による指示」には限界がある、ということだろう。

 「言葉による指示」が有効でないときはどうするか。教師がお手本を示すことになる。しかし、これも限界がある。生徒がお手本のポイントを把握できなければ、いくらお手本を示しても進歩は望めない。

 とはいえ、お手本のポイントを把握できたらいいのか、というとそれだけではダメ。生徒は、そのお手本にならって、自分の演奏を改善しなければならない。あるいは、すぐにその場で改善できなくても、改善していく目標を設定し、努力していかなければならない。

 このためには、目標を明確にイメージすると同時に、現在の自分が、その目標に対してどういう状態にあるのか、どこが悪いのか、どこを改善するべきなのか、把握しなければならない。

 そう、教師の教え方もさることながら、生徒の理解力と自己認識が非常に大きな意味を持つのである。こんなことを考えていたら、あるニュース番組で、アメリカの天文学者がおもしろいことを言っていた。

「よい教育をするためには、すぐれた教師とやる気のある生徒が必要だ」

 日本では、教育というと「いい先生に教わる」とか「いい学校に行く」、「いい塾に行く」というふうに、教える側のことだけがクローズアップされがちで、「生徒のやる気」については、あまり問題とされない。「学ぶ主体は生徒」という根本的なことが見過ごされてしまうのである。

 これは、日本では伝統的に教育というのは教師から生徒に知識や技能が伝授されることと認識され、したがって教師のいうことに素直に(無批判に)従う生徒がよい生徒とされてきたからだ。

 教師と生徒の関係だけではない。日本では、親子関係や仕事上の上司と部下の関係でも、「目上に従う」という儒教倫理が尊重されてきた精神風土が今なお根強く存続しているといってよいだろう。

 昨今でこそ、子供の「個性」や「自主性」ということが云々されるようになったが、それでも自己主張の強い子供はしばしば「生意気」あるいは「協調性がない」などのレッテルを貼られがちだ。そもそも「自己主張」という言葉自体、否定的な文脈で用いられることが圧倒的に多いのである。

 このような日本の精神風土からは、自分の姿を客観的に把握できるような人間が育ちにくいのは当然といえば当然だ。自分の判断よりも、目上の、あるいは周囲の判断が優先するからだ。しかし、これではすぐれた音楽家は育たないだろう。

 さて、ドイツ・リートは極めて個人的な音楽表現によって成立するジャンル。リートに限らず、ソロの演奏というのは常に個人的な作業だ。頼れるものはない。闘う相手も存在しない。もし何かと闘うとすれば、それは自分自身との闘いだ。

 ソロでは自分自身を思う存分、表現できるという大きなメリットがある半面、極めて孤独な状況に置かれる。 これは、ある意味では精神的に苦痛なことだろう。なぜなら、演奏の出来不出来は誰のせいでもない、自分自身の責任だからだ。この孤独の中で、常に自分自身を厳しく見つめるためには、強い精神力が要求される。

 しばしば、演奏家や指揮者、作曲家が気むずかしかったり、時として、奇矯とも思える言動を伴うのも、こうした「自分との闘い」を反映しているのだろう。

 ディースカウの歌うシューベルトの《冬の旅》を聴いてみよう*。主人公は「菩提樹」が与えてくれる安らぎを敢えて拒否して孤独な旅に出る。この歌詞は、主人公の孤独を語っているが、これはまた、この曲を歌う音楽家の孤独という、二重の意味を担っているようにも思えてならない。

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*シューベルト:歌曲集「冬の旅」 フィッシャー=ディースカウ、ブレンデル (PHILPS PHCP-1723)

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鍵盤楽器のキーの幅
---ロワイエ:《スキタイ人の行進》

1997.03

 自分の手がもう少し大きかったら、あるいは指がもう少し長くて、広がったら…ピアノを弾く人なら、少なくとも1回や2回は、こう思ったことがあるだろう。もちろん、単純に手が大きければピアノが上手に弾けるというものではないが、同じ敏捷性を前提とすれば、ある程度、大きい方が有利といえる。

 平均的に見て、日本人の手はヨーロッパ人よりも小さく、ピアノを弾くにはちょっと不利。いっそ、キーの幅を狭くした方がいいのではないか。ほんのわずか、キーの幅が狭くなると、ずいぶんと楽になる。

 ところで、チェンバロ奏者の山田貢によると、鍵盤楽器のキーの幅は、16世紀〜17世紀にもっとも広く、その後狭くなっていって、18世紀に最小になり、そして再び広くなって現代に至っている。

 山田によると、測定誤差の影響を少なくするために、3オクターヴ(C〜h')を測定してみると、 以下のような結果が得られている*1

16世紀のイタリア、フランドルのチェンバロ
50.0 cm
1750~70年のドイツのジルバーマンのチェンバロ
48.0 cm
18世紀後半のCh.G.フーベルトのクラヴィコード
46.5 cm
ウィーンのA.シュタインのハンマーフリューゲル
47.5 cm
現代のピアノ
49.7 cm

 筆者は、16世紀末フランドルのチェンバロ製作家ルッカース一族のヴァージナルを復元した楽器を弾いたことがあるが、この楽器は上記のように3オクターブで50cm、1オクターブでは現代のピアノよりも1mm広い。この違いはは結構、バカにならず、パッセージや和音の構成によっては、ちょっと弾きにくかった。

 これに対して、3オクターブで48cm、1オクターブでは現代のピアノよりも約6mm狭い18世紀フランス様式のチェンバロは、だいぶ弾きやすくなる。この楽器では、c〜e'の10度を楽につかめるし、cis〜bの減7度を2と5の指で楽に取ることができる。バッハを弾いてみると、ピアノでは難儀した箇所が、この楽器では簡単にクリアできてしまうことも多い。

 ここ20年ほどの間に、日本でも少しづつ歴史的チェンバロが弾かれるようになってきた。聴く立場からすると、まず音色が重要だが、弾く立場からすると、前述のキーの幅の問題が重要な意味を持つ。

 もっとも、幅の異なる鍵盤が併存することになると、それはそれで問題がないわけではない。筆者など、キーの幅が狭く、ナチュラル・キーのテラスの部分がピアノよりもずっと短いチェンバロばかり弾いているので、ピアノを弾くときには慣れるまでかなり時間がかかる。

 さて、こうしたキーの幅の違いは、当然、音楽にも反映する。クープランやラモーなど、18世紀のフランスのクラヴサン音楽には、結構、広い音程が出てくるが、これは、当時のキーの幅だから弾けるのであって、現代のピアノでは苦しい。

 たとえば、P.ロワイエ(1705頃〜1755)の《スキタイ人の行進》(1746出版)*2。この曲には、バッハの《半音階的幻想曲》の和声進行を想わせる部分があるのだが、なんと10音の和音がいくつか出てくる。つまり、両手の指を全部使うのである。

 この部分、2分音符で書いてあるが、実際にはアルペジョで演奏される。ただし、チェンバロにはダンパー・ペダルがないので、おそらく全部の音を保持したはずだ(ちなみに、バッハの《半音階的幻想曲》の和音は、最大8音)。

 10音を弾くというのは、タッチが軽く、キーの幅が狭い当時のチェンバロでも結構むづかしく、現代のピアノでは相当なテクニックを要するだろう。逆にいえば、こういった曲を弾こうと思ったら、楽器も当時のものを使わなければならなくなる、ということ。

 たとえば前述のシュタインのハンマーフリューゲルでは、現代のピアノよりもはるか楽にモーツァルトやベートーヴェンが弾ける。楽に弾ければ、音楽表現の幅も広がるだろう。キーの幅という、一見、見落とされがちな些細なことが、実は作曲上も演奏上も重大な意味を持っているのだ。

 この意味で、チェンバロやフォルテピアノの復興は単なる復古趣味や骨董趣味ではない。これらの楽器は、「現代の楽器」として、新たに製作され、現代人によって新たに演奏されるだけの意味がある。

 もしもバッハやモーツァルトの音楽が、時代を超えた普遍的な価値を持つなら、同様に、彼等の使ったチェンバロやフォルテピアノも、普遍的な価値を持つ、ということになるだろう。

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*1:山田貢『チェンバロを通しての音楽思考』(東京芸術大学年誌第4集、昭和54年)
*2:Pancrace Royer / Pièces de clavecin / Christie(仏ハルモニアムンディ HMA 1901037)

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bcc: 092
ジョリヴェ:《呪文》
---オンド・マルトノ、人間的に歌える電子楽器

1997.04

 私たちの周囲には、電子音が氾濫している。ゲーム機からも、最近問題になっている携帯電話やPHSからも、電子音が出てくる。洗濯機、電子レンジなどの多くの家電製品も、時計もカメラも電子音を出す。ピコピコ、ピーピー、ヒョロロロだらけ。

 加えて、テレビのニュース、CF、ドラマのバックには、シンセサイザを使っているとおぼしき音楽が頻繁に聴かれる。しかし無神経に作られ、安直に使われる電子音は、しばしば不快だ。特にデジタル・シンセの音は、クリアといえばクリアだが、一歩間違えると、鋭く、刺激的になり、聴き苦しい印象を与える。

 だからテレビ・ドラマなどのバックに、ヴァイオリンやチェロやクラリネットといった「ナマ楽器」の音が聴こえてくると、どこかほっとする。電波を媒介にして、電気的に増幅されて聴こえてくるとはいえ、やはりアクースティック楽器の音は、電気的に合成された音とは別物だ。

 さて、ではなぜ昨今、シンセが多用されるようになってきたのか。まず、シンセは手軽、ということが挙げられる。通常の弦楽器や管楽器では、そもそもよい音を出すために相当の訓練が必要であり、さらに複雑な音楽を演奏するための訓練にも、膨大な時間と労力が必要だ。

 これが、シンセだと、音を出すのは簡単。しかも、パソコンを組み合わせれば、かなり複雑な音楽まで、とりあえずは演奏できる。もちろん、微妙なニュアンスや表現の点まで考慮すると、シンセとシーケンス・ソフトで、「打ち込み」で作ったものには限界があるのだが、CFのバックといったような鑑賞目的ではない音楽は結構簡単に作れてしまう(つまり、経費がかからない)、という側面がある。

 こういう論調で書いてくると「こいつは電子音やパソコン・ミュージック否定派だな」思われるかもしれないが、筆者は頭から否定しているつもりはない。

 美しい電子音や、パソコンによるすぐれた演奏が存在する可能性まで否定しているのではない。ただ、現状では、まだまだ無神経な、安直な代用品的電子音やシーケンス(自動演奏)が多い、ということを言いたいだけである。

 そこで今回紹介するのは、独特の表現力を持つ電子楽器、オンド・マルトノのために書かれたA.ジョリヴェの《呪文》(1937)を収録したCD*1

 この楽器、考案されたのは1928年、今から70年近く前で、広義には電子鍵盤楽器の一種。この意味では、現在のシンセの先駆け、とみなすこともできる。

 しかし、電気的に音を生み出すとはいえ、オンド・マルトノは電子オルガンや、シンセとは根本的に異なる楽器というべきだろう。それは、この楽器が度独特の演奏装置を備えているからだ。

 この楽器は基本的には単音楽器で、旋律を演奏するためのもの。そして通常のピアノ式の鍵盤ではなく、無段階に(スライド・トロンボーンのように)音高を変化させることができるリボンを備えている。奏者はこのリボンの上で手や指をすべらせてピッチを決めるのだ。

 このために、オンド・マルトノは弦楽器や管楽器の持つ、なめらかに、微妙に音高の変化する表現ができ、きわめて表情豊かな演奏が可能だ。これは、この楽器を考案したモーリス・マルトノがチェロを演奏したことを反映しているのだろう。

 ジョリヴェの《呪文》は、オンド・マルトノ・ソロのための作品であるため、楽器の特性が非常によくわかる。魔術的な笛のような、弓奏弦楽器のような、なんとも不思議な響きだ*2

 さて、このCDでオンド・マルトノを演奏しているのは、おそらく日本人でただ一人、フランスでこの楽器の奏法を専門的に学んだという「オンディスト」原田節(はらだたかし)。筆者は10年ほど前に、彼の演奏を実際に聴いたことがあるが、そのとき、印象的だったことは、彼が感情を込めて、いわば全身全霊を傾けて、この楽器を「歌わせて」いたことだった。この意味で、彼の演奏は極めて人間的だった。

 どんなにテクノロジーが発展しようとも、微妙なニュアンスがまったく欠落した機械的な演奏が好まれる時代がくるとは思えない。乾いたタッチの電子音やメカニックな奏法を前面に出した「テクノポップ」も、一時的な流行に終わっている。

 むしろ、周辺環境が人工的になり、機械的になればなるほど、音楽にはより微妙な情緒的表現が要求されるようになるだろう。

 未来に生き残る電子楽器があるとすれば、少なくともそのひとつは、オンド・マルトノか、あるいは、そのコンセプトを受け継ぐ「人間的に歌える」電子楽器であると筆者は確信している。

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*1:『湖を渡る風・オンド・マルトノの幻想的世界』 (ビクターVICC-69)
*2:ホフヌングの楽器シリーズのマンガでは、オンド・マルトノの中で猫が騒いでいるように描かれている。

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bcc: 093
舞曲=器楽の源流
--- ピリスの弾くバッハの組曲

1997.05

 西洋音楽においては、まず声楽が発達し、その後に器楽の時代がやってきた。そのため、現在は器楽固有の曲種になってはいても、もともとは声楽に起源を持つものも多い。

 たとえば、フーガは、15〜16世紀の模倣対位法様式、通模倣様式による宗教的な合唱曲に起源があると考えられる。これらの合唱曲は、人声で演奏するのが基本だが、管楽器やオルガンで増強することも行われた。聖歌隊のメンバーが揃わないときには、オルガニストがいくつかのパートを代行したり、オルガンだけで演奏することもあっただろう(オルガン用に編曲された楽譜が現存している)。

 やがて、この様式の音楽がはじめからオルガン曲として作曲されるようになり、これがリチェルカーレという器楽形式を経てフーガとなった。フーガは3声、4声というふうに厳格に声部書法を守るが、これはもともとが合唱曲だった名残りなのだ。

 ソナタもまた、合唱曲から発達した。ただし、フーガが宗教的な合唱曲、つまり教会音楽から発達したのに対して、ソナタの元になったのは、フランスの「多声シャンソン」という世俗的な合唱曲。ジャヌカンの《鳥の歌》などが有名だが、これがイタリアでも人気を呼び、やがてこの様式を器楽に転用した「カンツォーナ・フランチェーゼ(フランス風の歌)」という器楽ジャンルが生まれた。

 このカンツォーナには、いくつかの段落点があり、一曲の中で、速い部分と、遅い部分が交互に現れるようになる。この各部がやがて分離して「楽章」となり、多楽章のソナタへと変化していったと考えられるのだ。

 協奏曲も、どうやら合唱音楽に由来するようだ。ルネサンス後期には、4パートの合唱を2組(計8声部)、3組(計12声部)用いるような、大規模な複合唱様式の合唱曲が作られた。たとえば、ヴェネツィアの聖マルコ大聖堂では、2組の聖歌隊と2台のオルガンが左右に配置され、いわばステレオ効果を生み出したらしい。

 この2群の「対比」の概念が、室内楽であるトリオ・ソナタに取り入れられて、やがて17世紀には、独奏楽器群(コンチェルティーノ)と総奏(リピエーノ)が対比される合奏協奏曲へ受け継がれ、最終的には独奏とオーケストラが対比される古典派以降の協奏曲へと変化していく。

 このように、西洋音楽での器楽は声楽なしでは存在しなかった面がある。しかし、器楽の、より根元的な起源は「踊り」だ。

 古今東西、世界中の様々な民族が独自の舞踊の伝統を持っており、それらの多くはリズミックな音楽を伴う。西洋音楽でも、古くから多くの舞曲が作られ、踊られてきたが、キリスト教は概して舞踏の要素を嫌ったから、教会が権力を握っていた時代には記録されることがなく、このため教会や修道院で記録された宗教的な声楽曲が先行しているかのような印象を与えるのだろう。

 前述の声楽起源とされるフーガ、ソナタ、協奏曲にしても、器楽として独立してからは、相当程度、舞曲の要素を取り入れて発達してきている。急速なフーガやソナタのアレグロ楽章には、舞曲的なものも多い。

 そんなことを考えながら、今回はピリスによるバッハの鍵盤用舞曲=組曲のCDを聴いてみよう。

J.S.Bach: Partita Nr.1 etc. Maria Joao Pires 独Grammophone 447 894-2  

 このディスクには《パルティータ》第1番、《イギリス組曲》第3番、《フランス組曲》第2番が収録されている。

 ピリスは、これらの組曲を非常に軽やかに演奏しているが、これは単にテクニックにまかせて速く弾いている、という次元の問題ではない。彼女の演奏の「軽やかさ」は、すぐれたリズム感に由来する。そして、このリズム感というのは、日本人がもっとも苦手とするものといってよいだろう。

 では、どうしたらクラシック音楽特有のリズム感を身に付けることができるだろう。「しょせん、日本人には無理さ」といいたくなるが、ひとつ、多少なりとも有効と思われるのは、ヨーロッパの古典舞踏を実際に踊ってみることだ。

 自分で踊る、ということは文字どおり、リズムを「体得する」ことにつながる。リズムに限らず、よい演奏をしようと思うなら、観念論、精神論や耳学問ではなく、まず具体的・実践的に学ぶことが必要だろう。

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ストーカーの心理?
--- ベルリオーズ:《幻想交響曲》

1997.06

 「好き嫌い」という言葉がある。一般には「好き」の反対語は「嫌い」ということになっているが、筆者は最近、ちょっと違った見方をするようになった。「好き」と「嫌い」は、どちらも対象に対して「強いこだわり」を持つ、という点では同じ心理的性質のもの。だから、意外にこのふたつの感情は他方に変化しやすい。

 たとえば、初対面では、態度やしゃべり方が気になって、好意が持てなかったのに、ちょっとしたことがきっかけで親しくなり、結構、仲のいい友達になってしまう。逆に、ずっと仲が良く、親友と思っていたのに、何かのはずみで気まずくなり、絶交状態になってしまう…

 「かわいさ余って憎さ百倍」という言葉もある。これは、対象への強いこだわりがプラス方向に作用していれば強く愛する感情になるが、これがマイナス方向に作用すれば、激しく憎む感情に容易に転化することを示しているように思える。

 この意味では、おそらく、「好き」の反対は「無関心」、「嫌い」の反対も「無関心」だろう。

 さて、ベルリオーズの《幻想交響曲》*は、この「こだわり」の転化を音楽的に描いているという点で興味深い。この曲には、短い説明(プログラム)が付されていて、全体がひとつの物語として理解されるようになっている。また、音楽面では主人公の青年が恋する女性を表す「固定楽想」(イデー・フィクス)とよばれる主題が、さまざまに形を変えて現れる。

 この主題、まず第1楽章《夢、情熱》では、導入部の後、優美に提示される。これは、青年とその女性との出会いを象徴しているかのようであり、さらには、彼の心の中で、その女性が極めて重要な存在であることを象徴しているようでもある。

 第2楽章《舞踏会》では、この主題は3拍子のワルツのリズムで提示される。青年が舞踏会に行くと、憧れの女性が軽やかにワルツを踊っていて、彼はそれを遠くから見守っている…といったイメージだ。

 第3楽章《野の風景》はのどかな音楽だが、主題の扱いはちょっとした疑念を抱くような雰囲気になり、雲ゆきがあやしくなってくる。

 そして第4楽章。青年は失恋し、阿片を飲んで自殺を計るが、死にきれずに悪夢を見る。この悪夢の中で、彼は恋人を殺してしまい、そのために死刑を宣告され、断頭台に送られる。

 処刑の最後の瞬間、彼女の主題の冒頭が一瞬、回想するかのように提示される。しかし、直後にギロチンの刃がパシャンと落ちて中断される。続く低音弦のピッツィカートは、首がコロン、コロンと落ちるイメージ。

 ここが転換点。

 続く第5楽章では、恋する女性のイメージは一変する。青年は幻覚の中で、魔女の夜の宴会(サバト)に紛れ込んでしまう。真夜中、得体の知れないものがうごめく中、よく見ると、彼女は醜悪な魔女になっている…この部分、主題がクラリネットによっておどけた調子で提示され、あたかも魔女がケラケラ笑っているかのように聴こえる。

 そして教会の鐘の後に《レクイエム》(死者のためのミサ)の中の有名な聖歌《ディエス・イレ》(怒りの日)の旋律が流れてくる。すべては終わり、葬り去られるのである。

 ところで比較宗教学的見地から見ると、征服された民族の神は、神として存続することを許されず、征服者の宗教体系の中に悪魔として組み込まれるという。ヨーロッパの魔女現象は複雑な様相を呈していて簡単に一般化はできないが、ひとつ興味深い説がある。

 魔女は、もともとはキリスト教以前の土着の宗教の呪術師や巫女(みこ)のような存在で、産婆の役割を果たしたり、煎じ薬を作って治療を行っていたような女性。それがキリスト教によって排斥され、魔女とみなされるようになった、というのだ。

 中世のキリスト教は、民衆の日常生活を支配し、誕生、結婚、死という人生の様々な局面で儀式を義務づけることによって金集めをした。しかし「魔女」がおまじないで病気を直したりすれば、本来教会に入るべき「献金=お布施」が減ることにもつながりかねない。

 だから、少しでも商売がたきになりそうな存在は激しく敵視したのである。しばしば魔女の行いとして描かれる「子供を食べる」とか、「毒薬を作る」、「病気にする」というのは、産婆と民間療法の機能を歪曲したイメージということになるだろう。

 こういった背景を考え合せると、《幻想交響曲》に現れる魔女は、単なる怪奇趣味や幻想ではなく、崇拝の対象としての女性が、憎悪の対象に変化したことを象徴していると解釈できる。

 簡単にいえば、ここに描かれている主人公は、女性に対して勝手にイメージを作り上げてしまうようなタイプの男性。すべては彼の頭の中で、実在の本人とはほとんど無関係に肥大化していき、妄想の域に達してしまう。好意を持っていたかと思うと、突然、激しい憎悪の感情を抱く。現代なら、さしずめストーカーのお話し。くわばら、くわばら…

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*歴史的楽器によるノリントンの演奏がおもしろい。 Berlioz: Symphonie fantastique Norrington (EMI CDC 7 49541 2)

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知識の功罪(1)
--- スクリャービン:ピアノ・ソナタ

1997.07

 下條信輔著『サブリミナル・マインド—潜在的人間観のゆくえ』(中公新書1324)。この本には、たとえば「人間は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」という、ちょっと意外なことが書いてある。

 また「人は自分で考えているほど、自分の心の動きをわかっていない。人はしばしば自覚がないままに意思決定をし、自分のとった行動の本当の理由には気づかないでいるのだ」と表紙折返しにあるが、これなど、まさに音楽体験にピッタリではないか。

 私たちは、しばしばある特定の音楽を聴いて感動するが、なぜ感動するのか、その理由はわかっていない。好みの問題も同じ。なぜ、あの曲ではなく、この曲が好きなのか。旋律が違う?和声が違う?なぜ、ピアニストAの演奏ではなく、Bの演奏に感動するのか。タッチが違う?歌い方が違う?

 確かに違いはあるから、なんとなく「こっちがいい曲」とか「こっちがいい演奏」と思うのだが、本当のところはわかっていないのである。

 で、わからないことは、わからないままにしておけばいいものを、人間は、何か理由がなければ納得できない。そのために「理由探し」をし、そしてしばしばこじつけや、見当外れの思い込みが生じる。

 たとえば、ある曲に感動するのは「それが名曲だから」という言い方。しかし、これは説明にならない。概して多くの人が感動する音楽が「名曲」と呼ばれるのだから、「名曲だから感動した」というのは、どうどうめぐりの同語反復になってしまう。

 「作曲家の偉大な精神が感動をもたらす」というのも同じこと。その曲が感動をもたらすがゆえに、「その曲を作った人物の精神も偉大だったのだろう」と逆向きに推論しているに過ぎない。

 「生理的興奮そのものはさまざまな情動経験の間でよく似ており、どの情動経験に至るかという点ではまだ『未定』です。情動経験は、むしろそこから先の、一種の自己知覚・自己認知・自己帰属の過程に負うところが大きいのです。その際に認知的にラベルづけられる(あるいは帰属される)おおもとの生理的興奮は、あくまでも一般的で『無名』なものなのです。」(同書p.53)

 音楽の場合で考えてみよう。AさんとBさんが同じ曲を聴いたとする。そして、その結果、同じ生理的興奮状態がもたらされたとしよう。しかし、この段階では、まだその興奮状態は意味付けられてはいない。次の段階で、無意識的に、なんらかの感情(情動経験)として認知されることになるのだが、ここで、個人差が出てくる。

 Aさんは、この興奮状態を肯定的に受け入れて「心躍る、ウキウキした気分」と認知した。対してBさんは否定的に受け入れて「騒々しくて気にさわる」と認知した。

 つまりAさんとBさんの聴いた音楽は同じ、そしておそらくその音楽が喚起した生理的状態も同じ。しかし、そこから先の「自分の感情をどう(無意識的に)解釈するか」が、AさんとBさんでは異なり、その結果、Aさんはその曲を好きになり、Bさんは嫌いになる、ということが起こってくるのだ。

 さて、音楽の解釈が、このようにごくちょっとした心理的要因で左右されるとすれば、音楽に関する言語による予備知識や先入観というのは非常に危険だ。

 あらかじめ「この曲は○○を描いている」とか「この曲を作曲したとき、作曲家は○○だった」といった音楽外の情報を与えられると、その曲の「音楽そのもの」の解釈が大きく影響を受けてしまうのではないか。

 こういったことを踏まえて今回聴いてみようと思うのは、スクリャービンのピアノ・ソナタ*。彼は、当時としては破天荒だった私生活の面でも、独特の思想への傾倒の面でも、いろいろエピソードに事欠かない。しかし音楽外の情報も、多すぎれば弊害が出てきそうだ。

 筆者は、スクリャービンのピアノ・ソナタを聴いたり演奏する場合、「神智学」やらなんやらの知識を予備知識として持つことには疑問を感じる。あるいは、こうした情報は話半分ぐらいに考えておくべきだと思う。

 虚心に音楽だけを聴けば、多少、奇妙な響きはあるものの、彼のピアノ曲が、当時のロマン主義的な音楽に立脚したものであることがわかる。それを出発点として、各自が自分なりに、この曲に対してイメージを作り上げていくべだろう。

 中途はんぱな「知識=音楽外情報の理解」は、私たちの自由な音楽的想像力を押さえつけ、「スクリャービンの生涯の理解」は促進するかもしれないが、かえって「スクリャービンの音楽の理解」は妨げる、といっても過言ではないだろう。

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* Scriabin: The Complete Piano Sonatas Marc-Andre Hamelin (hyperion CDA67131/2)

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知識の功罪(2) 音楽は自分なりに聴くしかない
---フォーレ:《レクィエム》

1997.08

 日本のクラシック・ファンがときおり抱く疑問。典型的なのが「日本人は西洋音楽を理解できるか」。

 この答えは、大きく2つある。クラシック支持派の人の答えは「クラシック音楽は、人類の普遍的遺産で、民族や言語宗教に関係なく広く人々の心に訴えかける」。

 これに対して、日本におけるクラシック音楽のありかたに批判的な人の答えは「西洋音楽はあくまで異文化のもので借り物。理解できるわけがない」。筆者は、どちらかといえば後者の立場に近いが、「日本人は、日本人なりに西洋音楽を理解すればよい」と思っている。

 これに似た疑問として「日本人は西洋音楽を演奏できるか」というのもあり、これまたいくつかの回答パターンがある。

 「日本の音楽教育も進んでいるので、充分、世界に通用する演奏家が育っている。だから日本人は西洋音楽を演奏できる」という人もいれば「日本人は、確かにあるところまでは演奏できるが、どうも最後の微妙な点では欧米人には及ばない」という人もいる。

 これはむずかしい問題だが、筆者はやはり「日本人は日本人なりに西洋音楽を演奏すればよい」と思う。そもそも「日本人」とか「欧米人」といった区別がナンセンスであって、人はだれでも「自分なりに理解すればよい」、「自分なりに演奏すればよい」のではないだろうか。

 さて、「キリスト教の背景を持たない日本人が西洋音楽、特に教会音楽を理解できるか」という疑問にもときたま遭遇することがある。この場合も、筆者の答えは同じ。「クリスチャンのように理解する必要はない」。

 キリスト教や聖書に関する知識がまったくなくても、パレストリーナのミサ曲やバッハの《マタイ受難曲》を聴き、あるいは演奏して、自分なりにそこから感動を得ることは充分可能だ。極端な場合には、表題や歌詞の意味がまったくわからなくても、音楽は聴けてしまうし、演奏できてしまうのである。

 こういった音楽の聴き方や演奏を「本来のものではない」とか「本当に理解したことにはならない」などというのは、余計なお世話だ。

 確かに西洋音楽は欧米の社会的文化的産物だ。だからそういった背景と関連付けて音楽を考察することは啓発的かつ興味深いことではある。しかし、音楽を音楽たらしめているのは、最終的には極めて抽象的な「音の変化」だ。だから「文化的背景を知らなければ音楽を理解できない」というのは、いわば「肥料の成分を知らなければ花の美しさを理解できない」というに等しい。

 そこで今回聴いてみようと思うのは《レクィエム》。もともとこれはカトリック教会の「死者のためのミサ」の音楽で、葬儀や死者を追悼する際に用いられた音楽。日本では死に対する禁忌の感情が強いから「そんな音楽、縁起でもない」という声も聞こえてきそうだが、現在では純粋に音楽として(宗教的目的ではなく)演奏会で取り上げられるようになってきている。

 この《レクィエム》、グレゴリオ聖歌に始まり、15〜16世紀の多声合唱曲がいくつもあるし、18世紀以降ではモーツァルト、ブルックナー、ヴェルディ、フォーレ、ベルリオーズ、デュリュフレ、リゲティなどの作品がある。その中で筆者がひとつ選ぶとすれば、フォーレ*1

 人によっては感傷的に感じられるかもしれないが、全体的に静かな音楽で、心を慰めてくれるところがある。演奏時間も40分前後と、この種の曲としてはそれほど長くはなく、聴きやすい。疲れて何もする気がしない、といったときに聴いてみることをお薦めする。

 そして、この曲についての予備知識は「死者を追悼する音楽」ということで充分。

 「死」は民族、宗教、時代を問わず人間だれもが避けることのできない普遍的なテーマだ。キリスト教固有の死生観はそれはそれとして興味深いが、音楽としての《レクィエム》を聴くためにあえて勉強したりする必要はない。

 なまじ、典礼における《レクィエム》の役割や、歌詞の意味を追及し始めると、全キリスト教史はおろか、ゾロアスター教で知られる古代イランの二元論宗教あたりまで遡らなければならなくなるだろう*2

 もしあなたが、この曲を聴いて、どこか心を慰められるような気分になったとしたら、たとえキリスト教についての知識がなくても、歌詞がわからなくても、あなたは自分なりのしかたでこの音楽を「理解した」といってよいのであり、それがかけがえのない体験であることは、誰も否定できないのだ。

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*1:Faure: Requiem (1893 version) and other sacred music (Hyperion CDA66292)

【追記】
*2:レクイエムとイラン的二元論宗教の関連については、以下の拙論で検討している。

『隠された信条 ---2つのマリア讃歌と《怒りの日》に見る非キリスト教的性格』2005 (PDF)

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「プレリュード」は「前奏曲」か
---リスト:交響詩《前奏曲》

1997.09

 新聞記事によると、厚生省の文書から、わかりにくいカタカナ言葉を追放しよう、という動きがでてきたそうだ。確かに、昨今の日本、カタカナ言葉が氾濫している。しかし、だからといって何でも無理やり日本語に訳せばよい、というものでもない。

 特に文化的・歴史的背景を持つ言葉の場合はむづかしい。クラシック音楽でも、当然のことながら、明治以来、多くの訳語が用いられてきた。

 たとえば「前奏曲」という訳語がある。バロック時代には、トッカータ、プレリュード、ファンタジアといった名称が、自由で即興的な性格の器楽全般に、しばしば、区別なく用いられていた(ただし、ファンタジアは、対位法的な曲の表題として用いられることもあった)。

 ただし、現代の感覚で「自由」とか「即興的」というと、音楽的インスピレーションに触発されたジャズのアドリブのような演奏をついつい想像してしまうが、たとえば17世紀初頭の鍵盤用トッカータは、音階的パッセージや分散和音が連続するものや、単純な和声進行のものが多く、必ずしも名人芸的な意味での「即興演奏」ではない。

 さらに時代を遡ると、16世紀末のイントナツィオーネという曲種に行き当たる。これは教会で合唱曲や聖歌を歌う前の前奏として、それらの合唱曲の調(あるいは主音)を提示するために音階やカデンツを演奏した2〜3分程度の小曲。そう、これが前奏曲やトッカータのルーツのひとつだ。

 これはいわば「音取り」という実用的な目的を持つものだから、その調での音階を上下に駆けめぐったり、カデンツを弾いてみたり、ということに意味があり、曲としての完成度は問題とならなかった。

 前奏曲のルーツには、この他にもリュートなどの調弦をするための曲や、鍵盤楽器の指ならし的な曲などもあるが、いずれも実用的な目的のものだった。

 しかしこれらは、やがて実用目的を離れて、独立した楽曲として発展していき、17世紀中頃からは音楽的にも充実し、さらにはフーガ風の部分や変奏形式を含む形へと変化してく。そして、19世紀にはショパンの「前奏曲」のように、単に自由で比較的簡潔な曲種の表題として使われるようになったのだ。

 このように、曲のタイプとしての「プレリュード」を「前奏曲」と訳すのは、まあ妥当といってよい。

 しかしリストの交響詩《前奏曲》の場合はちょっと事情が異なる。解説などでは、この曲の場合は「前奏曲」という語が上述のような曲種としてではなく、「我々の人生というのは、死によってその厳かな第1音が鳴り響く未知の歌のための、一連の前奏曲である」(ラマルティーヌ)という、象徴的な詩に基づくといわれているが、このように文学的意味合いを帯びて使われる言葉はクセモノだ。

 この曲の原題はフランス語で"Les Prèludes"。まず、これは複数形。これを「前奏曲」と訳すと、一般的な日本語の感覚では単数形に読めてしまう。かといって、「前奏曲たち」とか「前奏曲集」と訳すわけにもいかない。このあたりは翻訳の限界だ。

 もっと重大な問題もある。この語の元になったのは、ラテン語の"Praeludium"(バッハが《平均律》の前奏曲にこの表記を使っている)で、"Prae-"という接頭辞と、"lud-"という語幹にわかれる。前者は「前の」という意味だが、後者の動詞形 "ludo" は非常に幅広い意味を持つ。

 ここで中学や高校の英語の授業を思い出してほしい。「私はピアノを弾きます」は"I play the piano"、「私はテニスをします」は"I play tennis"。  そう、英語では、「遊ぶ」、「競技をする」、「芝居を演じる」、「舞う」、「楽器を奏でる」が、すべて"play"という動詞で表現されるのだが、ラテン語の"ludo"も、この"play"と同じ多様な意味で使われる。

 そして現代フランス語の"prèlude"も、依然として演劇や舞踊に関連する意味を持っているのである。

 これを日本語で「前奏曲」と訳してしまうと、音楽以外の意味は切り捨てられてしまう。しかし、このリストの曲の場合、文学的な標題として提示された"prèlude"という語は、「人生は、死の前に、音楽を演奏するようなもの」という意味の背後に、「人生は、死の前に音楽を演奏したり芝居や踊りを演じたりするようなもの」、さらには「人生とは、死(という永遠の時間)を前にして、たかだか、ひととき遊ぶことに過ぎない」といった意味の広がりを持つようになる。これを音楽上の意味に限定して訳してしまうのは、いささか不完全な訳といわざるをえない。

 こう考えてくると、このリストの曲の場合は、カナ表記で《レ・プレリュード》と表記しておいた方が、中途半端な理解を促さないだけ、まだまし、といえるかもしれないが、今度は、何のことか、皆目、見当がつかない人も出てきてしまう。いずれにせよ、翻訳には限界があることを忘れてはならないだろう。

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* Franz Liszt - Poèmes Symphoniques (仏ハルモニア・ムンディHMP 39030 49)

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わけがわからなくて美しい
---シェーンベルク:《月に憑かれたピエロ》

1997.10

 ふつう、言葉はコミュニケーション、つまり意志疎通の道具と考えられている。言葉は何かを意味し、それが相手に伝わって用をなす、というわけだ。これによって人間関係が形成され、維持され、あるいはより親密になっていく。

 しかし、言葉はしばしば理解されず、あるいは誤解され、その結果、人間関係がこじれたり、壊れてしまうことも起こってくる。

 また多くの言葉は多義的で曖昧な意味を持つため、誤解とまではいかなくとも、受け手の解釈にはかなりの幅がある。

 たとえば、「広い庭」という表現。筆者のように、日本の都会に住む庶民としては、まずは100坪程度の庭を想像してしまう。しかし、これがルイ14世なら、ヴェルサイユの広大な庭園を指して「もっと広い庭がほしい」と言ったかもしれないのだ。

 「広さ」という客観的な尺度のある言葉でさえ、自分の日常的な語感で判断することが危険だとしたら、「美しい」というような抽象的・観念的な言葉の場合は、解釈の範囲は、もうほとんど「なんでもアリ」といえるところまで拡散してしまう。

 にもかかわらず、私たちは「このメロディーは美しい」などという言葉を使い、その意味をロクに確認もせずに安易に同意し、他人も自分と同じように感じている、と錯覚してしまうのだ。

 そこで今回紹介するのは、音楽そのものも、歌詞も、安易な「理解」を拒否している音楽。シェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》op.21*。

 この作品は、ピアノ、フルート(ピッコロ持ち替え)、クラリネット(バスクラリネット持ち替え)、ヴァイオリン(ヴィオラ持ち替え)、チェロの5人の奏者と女声によって演奏される。いわば「室内楽伴奏付き歌曲」なのだが、一般的なリートやオペラ・アリアとはだいぶ趣きが異なる。

 際立った特徴として、第一に、いわゆる「無調」であること、第二に、女声が語るように歌う、「シュプレッヒシュティンメ」という唱法によること(この作品は、もともとある女優の依頼によって作られた)、そして第三に詩人アルベール・ジローの象徴主義的な詩の独訳を用いていること、の3点を挙げることができる。

 おそらく、ふつうのクラシック・ファンが聴けば、音楽は不気味、歌い方は奇妙、歌詞の内容は意味不明、ということになり、全体として「わけのわからない音楽」と受け止められるだろう。

 たとえば、第1曲。「目で飲むワインを、夜の月が波に注ぎ込む…」という歌詞で始まる。なんとも奇妙な表現だが、まあ説明できなくはない。「目で飲むワイン」というのは、つまり月の光のこと。ヨーロッパでは、月の光は人間を恍惚とさせたり、あるいは狂わせる、というイメージがある。これをワインが人を酔わせることにたとえているわけだ。

 そして、この「ワインを波に注ぐ」というのは、月の光が波に反射しているような状態。中学や高校の「国語」の時間にこの詩が取り上げられたなら、教師はこんな説明をするかもしれない。

 では、第4曲はどうだろう。「青ざめた洗濯女が、夜、色あせた布を洗っている…」。ごく、あたりまえの文章のようで、しかし、よく考えるとこれまた意味不明のイメージだ。 こういった詩に、いちいちもっともらしい解釈を施す必要はない。また、なんらかの「合理的説明」をもって「この詩を理解した」とするのもおかしい。

 この詩は、通常の意味での「理解」を拒絶しているのであり、どのように解釈するか(あるいは解釈しないか)、読み手にゲタを預けているようなものだからである。

 だからこの詩には、歌っているような、語っているような唱法が、あるいは「歌っているのでもなく、語っているのでもない」唱法がふさわしい。この曲のCDは各種出ていて、歌い方は千差万別だが、どちらかといえば、語りに近い唱法の方が効果的。

 通常の歌曲のような「きれいな発声」で歌ってしまうと、詩の非現実的・幻想的な雰囲気が矮小化されてしまう。

 そして、シェーンベルクの音楽。文学的表現力に乏しい筆者としては「美しい音楽」としか書きようがない。この曲は、モーツァルトのオペラ・アリアやシューマンのリートが美しいのと同様に美しい。ただ、それらの音楽よりはいくぶん奇妙で、幻想的で、かつ非現実的であるに過ぎない。

 この曲が作曲されたのは1912年。そろそろ「20世紀の名曲」といってよい時期だ。19世紀に生きているならともかく、20世紀後半に生きていながらこの曲を聴かないとしたら、なんとももったいない話である。

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*Schönberg/ Denisov (仏ハルモニア・ムンディLDC 278806)

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過ぎたるは及ばざるがごとし
---4人のピアニストで聴くバッハ:《平均律》

1997.11

 J.S.バッハの《平均律クラヴィーア曲集》第1巻から、《前奏曲とフーガ》第7番変ホ長調 BWV852を、4人のピアニストのCDで聴いてみよう。

 まず依然として根強いファンを持つG.グールド(CBSソニー/1962年録音/前奏曲4分13秒/フーガ1分42秒)。前奏曲はかなりゆっくり始まり、16分音符に細かいアーティキュレーションが施される。しかし25小節からは一転して速くなり、驚かされる。また後半の16分音符進行に対置される、4分音符と2分音符からなる主題をかなり強く弾いて強調し、フーガでは例によって16分音符をノンレガートで演奏するなど、グールドらしい大胆な演奏だ。

 A.シフもグールドに近いアプローチ(ロンドン/同1984年/3分46秒/1分39秒)。フーガ主題の最後の装飾音はいちばん細かい。

 以上の2人はそれぞれユニークな工夫をし、自己主張しているのだが、これとは対照的なアプローチに感じられるのがV.アファナシェフ(デンオン/同1995年/4分54秒/1分57秒)。

 今回取り上げた4人の中では、前奏曲もフーガもいちばん遅い。瞑想的で静かな演奏だ。テクニック的には完璧だが、これ見よがしの主題の強調はなく、音楽の流れは自然。

 K.ジャレット(同1987年/4分02秒/1分37秒)も、妙な小細工はしていない*。この人は知る人ぞ知る、アメリカのジャズ・ピアニストなので、クラシック系ピアニストよりも大胆に弾いているかと思うと、そうではなく、むしろオーソドックス。音楽の流れはなめらかで軽く、音色もソフトだ。フーガは今回取り上げた中では最速だが、屈託なく弾いているので、「速すぎる」という印象はうけない。

 これに対してシフのフーガはジャレットとほぼ同じテンポなのだが、鋭いスタッカートが耳につき、だいぶ印象は異なる。

 ピアノは表現力があるだけに、演奏の可能性が広すぎて戸惑ってしまう。そこで比較対照のためにチェンバロによるK.ギルバートの演奏(アルヒーフ)と、クラヴィコードによるC.ティルニーの演奏(ハイペリオン)を聴いてみよう。

 チェンバロは、プレクトラムと呼ばれる、長さ5〜7ミリほどの細いツメ(かつては鳥の羽の軸が、現在では合成樹脂が使われることが多い)が、金属の弦をはじくことにより、音が出る。音量はツメの柔軟性によって決定され、タッチによる制御はできない。このため、クレシェンドやディミヌエンドの表現はできないから、ちょっと長めのこの前奏曲の場合は、ピアノに比べると、単調で平板に感じられる。

 しかし、よく聴くと、この曲では作品そのものに、和声の変化や旋律の動きによる強弱変化が組み込まれており、チェンバロを用いても、ある種の起伏や陰影が出てくることがわかる。逆にチェンバロの演奏を基準にすれば、前述のグールドやシフの演奏で、特定の声部を強調しているような部分は「過剰」ともいえる。

 かたやクラヴィコードは、小さな金属片(タンジェント)が弦をたたいて音が出る。このために、打鍵の強さを加減することで、わずかながら、ひとつひとつの音に強弱を付けることができる。ただ、この楽器、おそろしく小さな音で、仮に演奏会を行うとすれば、小さな部屋で、聴衆10〜30人程度が限界。数百人規模では、おそらく無理だ。

 しかしバッハはこの楽器の微妙な表現を好み、インヴェンションやフランス組曲、そして平均律は、この楽器のためにか書かれた、という説もある。クラヴィコードによる演奏を聴くと、この曲があまり自己主張しない控えめな曲に感じられるから不思議だ。

 ピアニストが自分の個性を主張し、他のピアニストとの違いを明確にしようとするのもいいのだが、バッハの場合は行きすぎるとイヤ味で不自然。どのあたりまでが許容範囲かは聴き手の個人差もあるだろうが、筆者には、グールド、シフの演奏は、いささか、わざとらしく、考えすぎに思える。もっと、素直に弾いてもいいのではないか。

 これに対してアファナシェフとジャレットは、他の2人ほどには曲を恣意的にいじらずに弾いているので、すんなりと聴くことができる。ある意味で自然であり、作品そのものに語らせているといえるかもしれない。なにごとも「やり過ぎ」はダメなのだ。

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* J.S.Bach: Das Wohktemperierte Klavier, Buch I Keith Jarrett (ECM NEW SERIES 1362/63, 78118-21362-2)※ポリドールから国内版も発売されている。

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イチゴとミルク、組み合わせの妙
--- デュプレ:《オルガンとオーケストラのための交響曲》

1997.12

 東京新宿に第二国立劇場がオープンした。これに隣接して、パイプオルガン(以下オルガン)を備えたクラシック用コンサート・ホールもオープンした。

 もともとオルガンは古代ローマ時代から存在しており、中世以後、主に西欧のキリスト教会固有の楽器として発達してきた長い歴史を持つ。

 一方、コンサートホールの歴史は比較的新しく、18世紀以後のこと。それも、最初は他の目的で建てられた大きな建物を流用してコンサートを行っている。たとえば、初代のベルリン・フィルハーモニー・ホールは、ローラースケート場を改装したものだった(このホールは第2次大戦で焼失し、現在のホールは1960年代に再建された2代目)。

 つまり、オルガンとコンサートホールの組み合わせは、本場ヨーロッパでも、それほど古い歴史を持つものではないのだ。

 このため評価の高い大オルガンの大半は、教会に設置されているもので、コンサートホールのオルガンは歴史が浅いこともあって概して評価が低い。「コンサートホールのオルガンは成功しないよ」というオルガン製作家もいるほどだ。

 一方、日本では、キリスト教は少数派の宗教であり、したがって大きな教会堂も少なく、さらにそこに大きなオルガンが設置されることも少ない。結果として、日本では多くの大オルガンがコンサートホールに見いだされることになる。

 コンサートホールといっても、オルガンを備えていたのは、はじめは音大のホールぐらいだったが、やがて県営、市営の公共ホールにもオルガンが設置されるようになり(東京では、都営、区営のホールにもある)、さらには民間企業が運営するホールにも設置されるようになってきた。

 ただ、これらのホール自体はそこそこ利用されているものの、オルガンが活用されているかどうかは疑問。なぜなら、日本では、そもそもクラシック音楽ファンの大部分は管弦楽やピアノ音楽、オペラのファンであり、オルガン音楽ははるかに普及度が低いからだ。

 しかし、ホールのオルガン、設置してしまった以上は、単なる飾りにしておくのはもったいない。なんとか楽器として有効活用してほしい。まず考えられるのはオルガン独奏曲のリサイタル。バッハに代表されるバロックのオルガン作品をはじめ、メンデルスゾーンやフランク、ヴィエルヌからJ.アラン、メシアンなど、レパートリーは広い。

 さらには、せっかくコンサート・ホールに置かれているのだから、オルガンと管弦楽の作品も広く取り上げるべきだろう。そこで、今回紹介するのは、フランスのオルガニスト、マルセル・デュプレ(1886-1971)の《オルガンとオーケストラのための交響曲》ト短調作品25*。

 デュプレは日本ではまだまだ知名度が低いが、筆者はオルガン音楽のビッグ・スリーとして、バッハ、フランク、そしてこのデュプレを挙げたい。当然、デュプレのオルガン独奏曲も、もっと取り上げられるべきだが、彼がオルガンと管弦楽のために書いたこの作品は、それぞれの楽器の性格を際立たせる点で、独奏曲とはまた違ったおもしろさがある。

 オルガンと管弦楽のための作品というと、たとえば、プーランクの《オルガン、弦楽オーケストラとティンパニのための協奏曲》があるが、プーランクはピアニストであり、オルガンの可能性を充分引き出しているとは言い難い。  

 これに対して、恐るべきテクニックを持つオルガニストだったデュプレは、オルガンの、よくも悪くも硬質で機械的な音と、柔軟な管弦楽の響きを巧みに組み合わせている。

 オルガニストが作ったからといって、決してオルガン主体でオケは添え物、ということではない。デュプレは、むしろオルガンが突出して目立つことを抑えているくらいで、オルガンとオーケストラをバランスよくブレンドしている。

 これは、ちょうどフォアグラとトリュフとか、イチゴとミルクといった、食材の組み合わせの妙に似ている。それぞれが引き立てあって、別々に食べたときとは違った、新しい味が生まれる。デュプレもまた、オルガン独奏だけでは味わえない、また管弦楽だけでも味わえない新しい効果を生み出したといえる。

 こういう作品が広く聴かれるようになって初めて、教会にのみ奉仕する特殊な楽器としてではなく、また古めかしい楽器としてでもなく、現代に生きる普遍的な楽器として、オルガンも正当に認識されるようになることだろう。

-----* Marcel Dupré Symphonie für Orgel und Orchester (MOTETTE CD40111)

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bogomil's CD collection 1997

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