いつの頃からか、ピアノを勉強する人たちのあいだでバッハやベートーヴェンの原典版の楽譜が使われるようになった。もっとも、正確にいうと先生が「原典版の楽譜を使いなさいね」というようになったからかもしれないし、あるいは印刷が美しく読みやすいH版がたまたま原典版だったからかもしれない。
それはさておき、本来演奏する立場で原典版を使うということは、作曲者の意図を尊重するという姿勢を意味する。そしてこの姿勢を押し進めて「作曲者の意図した響き」を再現しようとするとき、そこには楽器の問題が出てくる。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンからショパン、ドビュッシーに至るまで、程度の差こそあれ現在のピアノとは違った響きの楽器を使っていたからである。このところ古典派の作品については当時のピアノで演奏された録音が増えてきた。そしてこれらの演奏を聴くと、いろいろおもしろいことに気付く。
最近筆者が考えさせられたのはベートーヴェンのフォルテの問題。結論を先にいうと、ベートーヴェンのフォルテはかなり荒削り、破壊的、グシャッとした感じで決して美しいフォルテではないということ。
クリスティーン・ファロンの演奏する「月光ソナタ」の第3楽章を聴いてみよう。まず出だしからして衝撃的。第2、第4小節の4拍目右手にくる8分音符の和音(sf)。現代のピアノによる演奏では、丸い響きで倍音が弱く、雑音成分はほとんど聴かれない。ところがファロンの演奏している1788年シュタイン製作の楽器のコピーでは金属的でまるでシンバルをたたいたような衝撃的な音になっている。第33、37小節の8音からなる和音(ff)もすごい。びっくりするような音で、とてもピアノの音とは思えない。
しかしこれがベートーヴェンの意図した響きなのだろう。ベートーヴェンはここで思いきりピアノをたたいて衝撃的な激しさを出したかったのだ。この演奏を聴くと彼の音楽の頑固で激しい性格がよくわかる。これらのことは、楽曲分析の本や陳腐な常套句で語られる評論などの文字資料からはなかなか理解できないし、原典版の楽譜をためつすがめつ、目で見てあれこれ考えてもおそらくわからないだろう。
「百聞は一見にしかず」という諺がある。これに対して「音楽の場合は、百見は一聞にしかずだね」ということをしばしば耳にするが、これは「見る」ということと「聞く」ということの意味を表面的にとらえた誤解というべきだろう。「百聞は一見にしかず」という場合の「聞く」というのは間接的に知ること、「他人から聞くこと」を意味し、「見る」というのは「自分の目で見る」という意味ではないのか。つまり伝聞で知るよりも、直接自分で接することの重要性を説いたものだから音楽の場合にもあてはまる。決して「百見は一聞にしかず」とはならないはずだ。
しかし現実にはこの誤った「百見は一聞にしかず」が当てはまるケースが結構見受けられる。「○○コンクール入賞」とか、音楽ジャーナリズムの仕組んだ宣伝まがいの評論や、デッチ上げられたブームに乗せられてコンサートのチケットを買うような場合。そしてさらに悪いことには、手抜きの演奏を聴かされてもまだ「自分はいい演奏を聴いたハズだ」とだまされたことに気付かないお人好しの愛好家。自分の目で見ても本質を見抜けず、メディアに植え付けられた先入観で価値判断してしまう。だから筆者は「歴史的楽器を使う演奏でなければダメだ」というようなことをここで主張しようとは思わない。これがまた一種の流行になれば、猫もシャクシも「コガッキ、コガッキ」となるだろう。
音楽においてもっとも重要なのは演奏者の力量だ。すばらしいピアニストであれば、公立小中学校の体育館にある君が代と校歌の伴奏用のアップライト・ピアノでも聴く人を感動させられるのであり、逆にウン千万円もするコンサート・グランドを使っても、つまらない演奏はつまらないのである。同様に当然のことながら歴史的楽器を使ってもつまらない演奏、凡庸な演奏は存在する。
それでもなお筆者が歴史的楽器による演奏を評価するのは、多くの場合それが作品をもっとも活かすように思えるからだ。これはかつて来日したフォルテピアノ奏者、メルヴィン・タンに教えられたことである。「なぜ、ベートーヴェンやシューベルトを歴史的な楽器で弾くの?」という質問に対して、気さくな彼は「現代のピアノで弾くよりも楽しいからさ」といともあっけらかんと答えた。聴く立場でも同じ。現代のピアノの響きを好む人は、バッハであれベートーヴェンであれ現代のピアノによる演奏を聴けばよい。個人の好みの問題で「これが正しい」などと押し付けることはできない。
ただし「食わず嫌い」はいけないから、念のため歴史的楽器による演奏も、一度は聴いておくべきだ。ちなみに、現在では、数は少ないものの、ショパン、シューマン、リストあたりまでのピアノ作品を彼らが使っていた当時の楽器を復元して演奏した録音が入手可能である。このペースでいくと近い将来、おそらくドビュッシーあたりまで歴史的楽器で演奏されるようになるだろう。それを聴くまでは多少ボケても生きていたい。
Discography:
Beethoven: Hammerklavier-Sonaten Op.31,2....
Christine Faron
Koch Schwann, CD 310 064 H1
【付記】
その後、1993年にドビュッシーをオリジナル楽器(1897年製エラール)で演奏したCDが発売された(Claude Debussy - Jos van Immerseel. Channel Classics CCS 4892)。ただし、インマゼール自身は、「適切なピアノを探しただけで、別にオリジナル楽器にこだわったわけではない」という主旨のことを書いている。
92/12 last modified 03/07
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