bogomil's CD collection: 011

バルバトル:クラヴサン曲集
——チェンバロの音は貧弱?

Balbastre: Pièce de clavecin

 チェンバロからピアノへの移行に関して、しばしば「チェンバロは音量が小さく、また音に強弱をつけられないのでピアノに取って替わられた」という主旨のことが語られる。これは間違っているとはいえないが「チェンバロはひ弱な楽器」という印象を与えてしまうとしたらちょっと問題だ。

 確かにチェンバロは千人規模のホールで演奏するには音量が小さく、現代のピアノには太刀打ちできない。しかし然るべく作られた鳴りのよいチェンバロを、適度な残響を持つ200席程度の小さなホールで演奏するなら充分な音量が得られる。もっと小さくかつ適度な残響を持つ室内ならば、強すぎるほどに感じられることさえある。

 かつては筆者も、チェンバロの音は貧弱だと思っていた。20年ほど前、筆者が最初に弾いた楽器は今ではあまり見かけなくなったドイツ某N社の、いわゆる「モダン・チェンバロ」。ピアノ並みの重い楽器で、弦も高張力で張られており、低音弦には捲線が使われていた。当時日本ではヒストリカル・チェンバロ(16〜18世紀の様式で製作されたもの)はほとんど知られておらず、レコードでもモダン・チェンバロを使ったものがほとんどだった。

 やがてまずレコードでヒストリカル・チェンバロを聴くようになり、その優雅で繊細な音に感激したものだが、それでも「これは録音だからはっきり聴こえるのであって、実際の音はか細いものなんだろうな」と勝手に決めつけていた。今となっては愚かな思い込みなのだが、この思い込みの背景には「チェンバロは音量が小さく…」という、通説が大きく影響していたといえる。

 この思い込みは日本のチェンバロ製作家K氏の楽器を弾くまで、筆者の脳裏にこびりついていた。筆者の弾いたK氏の楽器は、厳密にいうと16世紀に流行したヴァージナルというタイプでケースは長方形、鍵盤は1段のごく小さいものだった。たまたま訪問した知人の家にあったものなのだが、この楽器を弾いてびっくりしてしまった。高音はやや余韻が短いものの、低音が素晴らしくよく鳴るのである。

 また音域によって微妙に音色が異なるので、1段鍵盤であるにもかかわらず表現が豊かで、たとえばバッハの《半音階的幻想曲とフーガ》やパルティータなどを弾いても(もちろん筆者はヘタクソだから正確には「弾こうと試みても」と書くべきだが)、充分な手ごたえがある。2段鍵盤のモダンチェンバロで弾くよりもはるかに楽しめる、というよりも音楽に没入できる、という感じだった。いや、この楽器を弾いているときの気持ちは「楽しい」などという軽い言葉では表現できない。キザな言い方になってしまうが、「深い感動をもって弾いた」といいたい。

 その後、K氏の楽器をいくつか試奏する機会があり、いろいろ興味深い発見をした。まずあたりまえといえばあたりまえのことだが、チェンバロにもひとつひとつ個性があるということ。同じ原型に忠実に製作したものであっても、木材の性質の微妙な違いからか、楽器ごとに個性がある。K氏は同型の楽器を必ず2台製作する方針なので、工房にうかがって試奏させていただいたことがあるのだが、外見は全く同じでも、鳴り方は明らかに違うのである。

 また2段鍵盤の楽器は必然的に大型になり、特に長手方向に大きくなるので、演奏している本人にはよく響いているようには感じられない傾向がある。演奏者にもよく響いて聴こえる2段鍵盤の楽器は、相当よく鳴る楽器でなければならず、したがって製作もむずかしいと思われる。自分ひとりで楽しむなら、むしろ前述のヴァージナルも含めて1段鍵盤の楽器の方が基本的によく鳴り、弾いていて気分がいい。

 ヒストリカル・チェンバロといっても、時代や国によって性格が異なる。質のよいイタリアンは驚くほど明確な発音をするし、よくできたフレンチは余韻の長い繊細な音を聴かせてくれる。しかしやはりルッカースに代表されるいわゆるフレミッシュはよくできている。よく鳴るフレミッシュ様式の楽器なら、まずどんな曲を弾いても満足できるだろう。

 さて今回紹介するのは、鳴りのよいチェンバロのCD。フランスのクラヴサン)音楽の最後の輝きというべき、G.B.バルバトル(バルバストル)の作品を、 Ursula Duetschlerが演奏したCD*(この人、スイス生まれなので、読み方がむづかしそうだ。日本語版解説では「ウルズラ・デュチュラー」となっている)。楽器は18世紀にフランスで製作されたもの。楽器を非常によく響かせた録音もすばらしく、第1曲の《ブロンニュ》からして豪華絢爛。「チェンバロの音は貧弱」などという固定観念を豪快に吹き飛ばしてくれることだろう。


*Discography:

Balbastre/Pieces de Clavecin 
Ursula Duetschler. 
Claves CD 50-9206
輸入元:キングレコード

【追記】
 C.B. Balbastre/ I. Piveteau 《Du clavecin au piano-forte》(ADDA581160)も興味深いCDだ。ここでは、一般的な鳥の羽軸のプレクトラムと水牛の皮のプレクトラムを備えたJ.H.エムシュのチェンバロと、P.タスカン製のピアノフォルテで、バルバトルの作品が演奏される。水牛の皮のプレクトラムの音色はかなり柔らかく、チェンバロ独特の鋭さが後退している。17〜18世紀の音楽様式の変化に伴って、楽器の音色も変化したことがよくわかる。なお、このCDでは《ブロンニュ》がピアノフォルテで演奏されているので、デュチュラーと聴き比べてみるのもおもしろいだろう。

94/11 last modified 03/07


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