※このページは以下の8編のエッセイを収録しています。
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クラシック音楽関連の書籍には、しばしば「大作曲家」という表現が見られる。たとえば、J.S.バッハ、W.A.モーツァルト、ベートーヴェンといった作曲家は文句なく「大作曲家」とみなされている。
確かに、すぐれた音楽作品を残した作曲家を尊重することは悪いことではない。しかしこれが行きすぎると、すぐれた音楽作品を残していても知名度が低いために「大作曲家」とはみなされていない作曲家が不当に軽視されることにもなってくる。
そもそも「すぐれた音楽作品」という概念に絶対的基準があるわけではない。音楽に対する趣味、嗜好は時代とともに移り変わっていくから、ある時期に人気を得た音楽でも、時が経つにつれ忘れられることもあれば、逆に作曲された当時は人気がなくても、やがて広く聴かれるようになることもある。
結局のところ、ある作曲家が現在「大作曲家」と評されるに至った背景には、本人の実力だけではなく、周囲の思惑やら偶然やらも大きく影響しているように思える。ちょうど企業内での出世競争のようなもの。
また、クラシック音楽にもゆるやかな周期の流行があり、50年、100年後には、「大作曲家」の顔ぶれも変化していくだろう。
さて「大作曲家」という概念のもたらすもっとも大きな弊害は、音楽の歴史を大作曲家の連続として、つまり才能ある個人の歴史としてとらえてしまいがち、という点にある。あるひとりの作曲家が「天才」、「偉大な改革者」あるいは「集大成者」と位置づけられると、その周辺の作曲家は彼の放つ華やかな光の陰に追いやられてしまう。
しかし、このような見方にはしばしばある種の偏見や先入観が入り込みやすい。これは、特に作曲家の伝記や評伝、個人研究に見られる。
多くの場合、これらの執筆者は主題となる作曲家に対する個人的思い入れが強い。このために概して出発点において「○○は偉大である」という前提にもとづいて、すべての歴史的事実を解釈することになる。
一見、客観的な研究の体裁を取っているものにも、しばしばこのような「はじめに結論ありき」的なものが見られる。またこのような論述では執筆者の頭の中に描かれた人物像がひとり歩きを始めて、作曲家がとんでもない偉大な人物に祭り上げられてしまうことさえある。
当然のことながらその作曲家の個人的欠陥は故意に無視されるか、あるいは「人間的な側面云々」というような表現で寛大に扱われる。作品そのものの価値については、これはもうどうとでも言えるのであって、すべて「至高の芸術作品」になってしまう。
他の作曲家の主題を借用したり技法を真似ているようなところもしばしば無視される。主題を借用するようなことは19世紀以前の音楽ではごく当たり前のことで、それをどう料理するかが作曲家の力量なのだが、崇拝者にとっては、すべてが「天才の創造物」でなければならないから、主題を借用したなどということさえ認めたくないのだろう。
客観的に見える和声分析や形式分析の中にも同様な現象が見られる。つまり、一見「これこれの和声が巧みで…したがって、この作品はすぐれている」と言っているように見えるのだが、実は「この作品はすぐれている」という結論がまずあって、その結論を補強するために細部の特徴をあれこれ探し出しているに過ぎない、ということも多い。
これは、そもそも楽曲分析というものが作曲教育の一環として、ある作品を模倣するための技術として発達してきたことによる。このために分析の対象となるのは基本的に「すぐれた曲」であって、「不完全な曲」や「駄作」の分析というのはほとんど存在しない。
さて前述のように大作曲家中心で音楽史を見ていくと、その周辺の作曲家は無視されてしまうのだが、しばしば因果関係の逆転解釈さえ起こってくる。ある作曲家Aの前の世代の作曲家Bを「Aの先駆者」とか「Aの音楽のための道を開いた作曲家」などと評価する考え方だ。
もしBが聞いたら、びっくりするか腹を立てるかすることだろう。「オレは、自分の書きたいものを書いただけで、Aのために書いたんじゃないよ」。
ということで今回はJ.S.バッハの陰に隠れがちな作曲家、ゲオルク・ベーム(1661-1733)の組曲を紹介する。G.レオンハルトの演奏もいいが、アレッサンドリーニの新しい録音(1994年)で聴いてみよう*。
様式と規模からいうと、バッハのフランス組曲に近いベームの組曲、なかなか味わい深い。筆者は特にちょっと感傷的なハ短調のアルマンドが気に入っている。
このベーム、音楽事典などには「バッハに影響を及ぼした」と書かれているが、より正確には「バッハが多くを学んだ」と書くべきだろう。
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*Böhm: Suites & Partitas / Rinaldo Alessandrini (ASTREE E 8526)
クラシック音楽の世界には、いつのまにか消えてしまった楽器がある。リコーダーやクルムホルン、リュートなどは、実質的には絶滅した楽器だ。鍵盤楽器では、クラヴィコードやチェンバロが絶滅した。
これらの楽器のいくつかは20世紀に復活した、といえなくもないが、一般にはほとんど用いられないし、そして何よりも、これらの楽器のために新しく曲が作られることがほとんどない、という点では、あくまで「古楽器」=「過去の楽器」として存在しているということになるだろう。
さて現在、微妙な状況にあるのがリードオルガンだ。
この楽器、教育用として幼稚園や小学校では一部ではまだ使われているかもしれないが、一般にはピアノの代用の域をでず、独立した楽器として顧みられることはほとんどない。特に、足踏み式でストップを持つものは、ほとんど見かけなくなってしまった。
以前は日本のキリスト教の教会では、広くリードオルガンが使われていた。しかし最近では、経済力のある教会はパイプオルガンを設置し、あるいはパイプオルガン型の電子オルガンを設置する傾向にあるので、ここでもまたリードオルガンは消えつつある。
家庭用の鍵盤楽器としてはピアノや電子オルガンが主流を占め、若者は電子キーボードを弾く。今ではリードオルガンを弾く人はごく少数だろう。そしてリードオルガン独奏のコンサートが開かれることなど、まずない。どうやらこの楽器は消え去りつつある楽器といってよいようだ。
リードオルガンは19世紀中頃に登場した比較的歴史の浅い楽器。左右の足でふたつのペダルを交互に踏んで、ふいごを動かして送風する。
この足踏みによる送風は、基本は一定のペースで送風ペダルを動かして、一定量の空気を送り込むことだが、踏み方を加減することで、クレシェンドしたり、ディミヌエンドしたり、という変化を付けることもできる。この点では、管楽器の息づかいを足に受け持たせるようなもので、独特の表現が可能だ(パイプオルガンの場合は風圧を変化させるとピッチが変化するので、演奏中に風量による音量調節はできない)。
発音機構から見ると、金属製のリード(フリーリード)に空気をあてて振動させ、音を出すもので、ハーモニカやアコーディオンと原理は同じ。そういえば、ハーモニカやアコーディオンも、近ごろはあまり耳にしなくなった。あまねくフリーリードの音色が飽きられたのだろうか。
それでも19世紀後半から20世紀初頭には、このリードオルガンのために多くの作品が作られた。すぐれたパイプオルガン作品を書いたセザール・フランクも、リードオルガンの一種であるハルモニウム(harmonium、フランス式には「アルモニウム」)のための作品を書いている。
今回は、このフランクのハルモニウムのための作品を収録したCD*を聴いてみよう。
《前奏曲、フーガと変奏曲》op.18。この曲はパイプオルガンの独奏曲としてオルガン音楽ファンにはよく知られているが、フランク自身が「2台のピアノのため」あるいは「ハルモニウムとピアノのため」に編曲した版も残っている。このCDではこの版を、1865年ごろに作られたハルモニウムと、1850年製のエラールのピアノで演奏している。
この演奏、聴き慣れたパイプオルガン版とはだいぶ趣きが異なる。なんといったらよいのだろうか、そもそも主旋律を受け持つハルモニウムの音色が地味というか、ひ弱というか、ちょっと情けなく思えるほど。ただでさえ感傷的な旋律が、よりいっそう物悲しく聴こえる。
こういった印象は、フランクのハルモニウム独奏のための作品を聴くと、さらに強められる。楽器の趣味嗜好も移り変わるもの。誰が悪いのでもないが、リードオルガンの音色は、もう現代の感覚には合わないのかもしれない。
もっとも、ハルモニウムがインドで定着している、という不思議な現象がある。余談ながら、日本の大正琴も、インドでは広く用いられているそうだ。ひょっとすると将来、欧米や日本でハルモニウムや大正琴が忘れらてしまい、記録も残らなくなれば、数百年後の音楽史書には、「ハルモニウムと大正琴は、インド起源で、後にヨーロッパや日本に伝えられたが、普及するには至らなかった」などと書かれることになるかもしれない。
あるいは、チェンバロのように、いつの日か、リードオルガンが「古楽器」として復活する日がやってくるのだろうか。
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* C. Franck - Harmonium (SPRL RICERCAR RIC 075057)
【追記】
日本では粗大ゴミとして処分されることもあるというリードオルガンを惜しんで、1996年「日本リードオルガン協会」が設立された。
音楽の趣味嗜好は、人それぞれ。同じ曲を聴いて「いい曲だ」と思ったとしても、実はまったく違った側面に感動している、ということもある。
人間は新しい音楽を聴くとき、それまで自分が聴いてきたさまざまな音楽の記憶と照合しつつ聴いていくのではないか、と筆者は考えているが、もしそうだとすれば音楽の聴き方が人によって大きく異なるのは当然。
個人の音楽体験の歴史は人によってさまざまだからだ。同じ曲でも聴き方は千差万別。決して「同じようには聴いていない」のである。
音楽から受ける印象は相対的でもある。古典派ばかり聴いていると、やがてマンネリ化して感動も少なくなりがち。こんなときにバロックを聴くと、かえって新鮮に感じられたりする。12音音楽などしばしば「こわーい!」という反応を引き起こすが、たとえばリゲティのクラスターを聴いた後では、シェーンベルクは極めてロマンティックに感じられる。
これは食べ物と似ている。どんなご馳走でも、毎日食べたら飽きるということがある。同じように、どんなにいい音楽でも、続けて聴いたらやがて飽きてしまう。
子供のころ食べた「オフクロの味」が忘れられないという話もよく聞くが、子供の頃聴いた音楽は、あとあとまでその人の音楽の嗜好を左右するといえるかもしれない。
だから、私たちは以下のことを認識しておく必要がある。自分がいい曲だと思ったからといって、すべての人が同じようにいい曲だと思うとは限らない、自分がいい演奏だと思っても、他の人がそう思うとは限らない。
いずれにせよ、ある音楽をどう感じるかはまったく個人的な問題であって、どれが正解ということはないのだ。
このことを極端なところまで押し進めると、20世紀の現代社会では道路工事のコンクリートを砕く音や、工場のさまざまな機械が出す音を音楽と感じる人がいてもおかしくない、ということになってくる。
それが健康的か、病的か、正常か、異常か、ということは別問題として、現代人は幼い頃からこれらの騒音にさらされて生きてきているからだ。「深夜のトラックの音が子守唄」ということも決してありえないことではない。
そこで今回紹介するのは、イタリアのルイジ・ルッソロ(1885-1947)が1910年代に作った《都市のめざめ》という作品。これは、ゴトゴト、ガタガタいう音で構成されたもので、このためにルッソロは「イントナルモーリ」という、いわば騒音発生機といえる「楽器」を作った。
逆にいうと、この作品はイントナルモーリでなければ演奏できないのだ。やがてこの楽器は失われ、その結果この作品が演奏されることもなくなってしまったが、復元された楽器による録音を聴くことができる*。
この作品、後のミュージック・コンクレートや実験的な電子音楽の先駆といえるもの。おそらく、大多数の音楽ファンはこれを音楽とは認めないだろう。確かに一般的な意味で「美しい音楽」とはいえないし、また「心に慰めを与える」とも思えない。しかし意味不明の機械が意味不明の音を出している、という「おもしろさ」は感じられるし、それほど不快感は感じられない。
もっとも筆者がこう感じること自体が問題かもしれない。騒音が日常的に存在する世界に生きているために、この種の音に適合してしまったとすれば、なんとも複雑な心境になってしまう。
音楽は人間の喜怒哀楽を表現したり、人間を力づけたりする、といわれる。これではまるで、音楽が何か神秘的な力を持っているかのようだ。
しかし、基本的に音楽というのは、無色透明、無味無臭の空気の振動であって、聴覚という感覚の刺激に過ぎない。それが人間の意識や無意識によって解釈されてはじめて、なんらかの意味を持つことになるのだ。
人間は、ただ単に音楽に触発されるだけ。「音楽は美しい」とか「心に慰めを与える」というのは、ある意味では錯覚。実際には自分の無意識下に隠れている「美しいと感じる気持ち」、「慰められたように感じる気持ち」が、明確に意識されるに過ぎないのだろう。
《都市のめざめ》は、このことを、つまり音楽がもろもろの音と同じく、単なる聴覚の刺激に過ぎず、それ自体は何の意味も、神秘的な作用も持たないこと、そして真に驚異的なのは、音楽を聴くことによって、自分自身の中になんらかの意味や感動を作り出すことができる人間の能力なのだ、ということを極めて端的に示した作品といえるだろう。
そして数百年後には、この《都市のめざめ》が「極めて美しい、心を慰める音楽」と評されることになるかもしれないのである。
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*Futurism & Dada Reviewed (SUBCD012-19)
音楽は音からなる。したがって器楽の場合は、最終的に音を出す楽器が重要な意味を持つ。作曲家がどんなにすぐれた曲を楽譜に書き記したとしても、それを「音」に具現化する楽器がなければ、音楽としては意味をなさない。
もっとも、曲と演奏がよければ、楽器が多少貧弱でも、よい音楽になりえる。たとえば、すぐれたピアニストが、ショパンを家庭のアップライト・ピアノで弾いた場合。
逆に、いくら楽器がよくても、曲や演奏がダメならば、いい音楽にはならない。
しかし、音楽と人間の接点にあるのが「音」である以上、楽器は重要だ。どんな曲を弾くかは、楽器を前提として考える。すなわち、その楽器をよく響かせる曲を選ぶ、というアプローチがあってもよいだろう。
筆者の経験では、演奏者が音色をコントロールできないオルガンとチェンバロの場合に、特に楽器が大きな意味をもつ。このいずれの楽器の場合も、よい楽器は数時間弾いても飽きないし、疲れない。当然のことながら、どうせ弾くなら、飽きずに、疲れずに弾ける楽器がいい。これが、筆者にとっての「よい楽器」ということになる。
そして、それぞれの楽器には、その楽器に適した曲がある。楽器に適した曲であれば、続けて何回弾いても飽きることはない。むしろ、繰り返し、弾きたくなるほどだ。これが(筆者の稚拙な技術で弾ける範囲での話だが)、その楽器にとっての「よい曲」ということになる。
楽器の質がよいにこしたことはない。ただし、落とし穴もある。楽器の設置場所の音響条件が、最終的な音の響きを大きく左右するからだ。質のよい楽器であっても、設置場所のために本領が発揮されないこともあれば、逆に、そこそこの楽器であっても、設置場所のおかげでよい響きを出す、ということもある。
この点、もっともむずかしいのが大型のパイプ・オルガン。建築物も含めてひとつの楽器といってもよいほどで、どんな名器でも、不適切な環境に置かれたら、動かしようがないだけに悲惨だ。
移動可能な鍵盤楽器の場合、設置場所によって、かなり印象が変わることはしばしば体験される。たとえば、ピアノは、床に絨毯が敷いてあるのとないのとでは、微妙に響きが変わるし、天井の高さの影響も受ける。
筆者は高校生のとき、学校の音楽室のリード・オルガンを階段の近くに移動して弾いたことがある。こうすると、階段の吹き抜けの残響のために、響きが豊かになり、あたかも天井の高い石造りの大聖堂で弾いているかのような雰囲気で、なかなかのものだった。
電子オルガンの場合は、外部アンプとスピーカから音を出すと、これまただいぶ雰囲気が変わる。スピーカの性格によって、同じ楽器とは思えないほど、音が変化することもある。かつて、ハモンド・オルガンと組み合わされて人気を誇ったレスリー・スピーカが、このことを象徴している。
さて、しばしば、私たちは偉大な精神を有する作曲家が、すぐれた曲を作曲し、それをすぐれた演奏家が演奏し…というように音楽を抽象的・観念的レベルから考えがち。しかし、前述のように人間は、音としてしか、音楽を知覚することはできない。とすれば、この「音=はかない空気の振動」を生み出す楽器にすべてがかかっている、ともいえる。
音を豊かに響かせる空間がある。そこに、よい音を出す楽器がある。その音を、意味ある音楽として生み出すために演奏者がいて、その演奏者が弾く曲がある。そして、その曲を作った作曲家がいる。
そう、すべては、具体的な音の響きを目的として存在する、という見方もできるだろう。
そこで今回は、極めてよい音で録音された、チェンバロによるバッハの《ゴルトベルク変奏曲》のCDを紹介しよう。
J.S.バッハ:ゴールトベルク変奏曲.武久源造
(小島録音 ALM RECORDS ALCD-1013)
このCDを聴くと、筆者はまず、楽器の音のよさ、録音のよさに魅了されてしまう。
チェンバロのCDには、なかなか音質のよいものがなく、ほんのわずかでも音がザラついていると、次第に不快感がつのり、とても長時間は聴けない。しかし、このCDの場合、筆者は反復付きのゴルトベルク全曲を、最後まで心地よく(不快感なく)聴いてしまった。これは、曲、演奏、楽器、録音のすべてが良質だということ、特に楽器の生み出す音が良質であることを示しているといってよいだろう。
この録音に使用されているチェンバロ*では、音質を決定する重要な部品であるプレクトラム(弦をはじくツメ)に、なんと七面鳥の羽の軸部分が使われているというが、このこだわりを納得させるだけの音を聴くことができる。
ただし、音質の追及は、聴覚的な快感の追及であり、ある種の快楽主義に陥る危険性もはらんでいる。このあたりをどう考えたらよいのか、筆者にはまだよくわからない。
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*18世紀のハンブルクのチェンバロ製作家、ツエルZellの楽器をモデルに、アメリカのフィリップ・タイアーが製作したものとのこと。いわゆるジャーマン・チェンバロだ。
バッハと同時代のフランスの作曲家フランソワ・クープランは、クラヴサン clavecin(チェンバロのフランス名)のための作品で有名だ。彼は当時のフランスの宮廷に作曲家、演奏者として仕え、またクラヴサンを教えていた。
このような立場から、彼は《クラヴサン奏法 L'Art de toucher le clavecin》という教則本を書いた。
クラヴサンはピアノとはだいぶ異なるので、この本を、そのまま現代のピアノ教育に用いることはできないし、クープランの教育者としての考え方も、無条件に現代に通用するものではないが、それでも、この本は、現在のピアノ教育や音楽教育を考える上で大いに参考になる。
「レッスンの始めの内は、先生の居ないところで子供に練習させない方がよい・・・(中略)・・・私の居ない間に、せっかく私が45分間、非常に注意深く教えたことを彼等が全部たちまちにしてだいなしにしてしまわないようにするためである。」(クープラン:『クラヴサン奏法』.山田貢訳 シンフォニア、1976.10ページ)
ここでクープランが言っていることは、子供は注意が散漫で、ひとりで楽器を弾かせると、かえって勝手な弾き方をしてしまう、ということ。このために、彼は、楽器に鍵をかけておく、とまで言っている。当時クープランは、どれくらいの間隔でレッスンをしたのだろうか。集中的に毎日、レッスンしたのか、あるいは、現在のように、週1回、レッスンしたのか。
残念ながら筆者はこの点に関する当時の状況を知らないのだが、このクープランの書き方からすると、最初の内は集中して、毎日あるいは、1日おきぐらいにレッスンをしたのではないか、と思う。もし1週間に1回のレッスンだったとすると、その間、楽器に触らせなければ、あまり進歩がのぞめないからだ。これは現代でも重要な問題。特に勉強を始めたばかりの初期の段階では、レッスンの頻度を慎重に設定する必要があるだろう。
また、クープランはこんなことも書いている。
「子供には、いくつかの曲が弾けるようになるまで楽譜を教えはじめてはならない。楽譜を見ながら指がもたつかないようにしたり指使いが間違わないようにすることは、子供の場合ほとんど不可能である。装飾はうまくいかなくても、暗譜でやっていると、記憶力が非常によくなる。」(前掲書、10ページ)
現代のピアノ教育では、楽譜と鍵盤を対応させて教えることが主流だ。確かに、ある程度複雑な音楽は楽譜の理解なしに演奏することはできない。暗譜するにしても、個々の音を正確に把握するために楽譜は不可欠だ。
しかし、一方で、クープランの見解も、一面の真理を突いているように思える。楽譜は決して完全に音楽を表しているわけではないから、特に子供の場合、先生の模範演奏を聴き、先生の手の動きを見て、それに倣うことは不可欠だ。
これに関連して、「レコード勉強」(現在なら「CD勉強」)の是非もむずかしい。もちろん、自分で考えずに、単に表面的に誰かの演奏のまねをするような弾き方は厳に慎まなければならない。
しかし、自分なりに演奏を考えていく上で参考にすることは許されると思うし、最初は、むしろ「まねすること」も必要ではないか。また、いくつかの演奏を聴いて、その微妙な違いを聴き分けることは、自分の表現のためにもいい勉強になるだろう。
クープランも、同じようなことを考えていたフシがある。もちろん、彼の時代にはレコードもCDもない。ただ彼は、ことあるごとに「よい趣味が大切だ」と書いているのだ。
この「よい趣味」というのは、わかったようでわからない概念だが、テンポの設定にせよ、表情の付け方にせよ、装飾音の弾き方にせよ、最後は「よい趣味」が問われる。おそらくクープランは、個々の技術的な細部の適否は、音楽全体から判断されなければならない、と言いたかったのではないか。
わが国では、しばしば「音楽的に弾く」という表現がなされるが、これもクープランの「よい趣味」に通じる概念で、いずれも、よい演奏を数多く、注意深く聴くことによってはじめて身につくものだ。
さて、『クラヴサン奏法』には、練習曲としていくつかの前奏曲が収められている。技術的にはそれほどむづかしくはないが、全体として「よい趣味」で弾くのはむづかしい。
今夜はひとつ、センペの演奏*で前奏曲を聴きながら、「よい趣味」とは何かを考えてみることにしよう。
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* François Couperin ・Pièces de Clavecin / Skip Sempé (deutsche harmonia mundi RD77219)
フランスのジャン・アラン Jehan Alain(1911〜1940)*1は、日本ではまだ知名度の低い作曲家だ。彼はオルガン音楽の分野では知る人ぞ知る、20世紀フランスの重要な作曲家なのだが、日本ではオルガン音楽がクラシック音楽の中でも極めてマイナーなジャンルだから、彼の知名度はほとんどないということになる。
今回はこのアランの宗教曲、室内楽曲、オルガン曲が収められたCDから、どこか謎めいていて、美しく、心をなぐさめるような小品をいくつか紹介しよう*2。
キリエ、グロリア、サンクトゥス=ベネディクトス、アニュス・デイの4曲からなる《旋法的ミサ曲 Messe modale》は、ちょっと変わった教会音楽だ。キリエの冒頭など、14世紀の世俗音楽を思わせるが、他方ではラヴェルやプーランクに似た響きも聴かれ、いわゆる「抹香臭い宗教曲」のイメージはない。20世紀のフランス音楽として、構えずに聴くことができるだろう。
この曲、女声2部合唱とフルート、弦楽四重奏という編成も、簡潔ながら、室内楽特有の繊細な表現を聴かせてくれる。全曲あわせても10分足らず、という小品であるため、退屈することもない。
ちなみにこの曲は宗教曲にもかかわらずオルガンを含まないが、これは、オルガンのない、小さな教会のために書かれたからだそうだ。
《フルートとオルガンのためのアリア Aria pour flûte et orgue》は、ちょっと意外な響きの対比を聴かせてくれる。フルートもオルガンも、どちらも基本的に木管系エアリードの管楽器だから、音色は似ている。だから、この組み合わせではあまりコントラストがつかないのではないか、と考えてしまうが、実際に聴いてみると、このふたつの楽器は、はっきり区別して聴くことができる。
フルートとオルガン、確かに音色は似ているのだが、音の持続の仕方が違う。フルートは、音の立ち上がりから時間が経過するにつれて、息づかいによって鳴り方が微妙に変化していく。これは、極めて柔軟に感じられる。
これに対してオルガンの響きは、一度音が立ち上がると、一定不変に、まっすぐに持続する。このような違いが、おもしろいコントラストを生み出すのだ。
またこの曲には風変わりなシンコペーション・リズムも聴かれるが、これはアランがインド音楽に関心を持っていたことに関連しているのだろう。
《ヴァイオリンとオルガンのための3楽章 Trois mouvements pour violon et orgue》。これまた各楽章2分足らずの短い作品だが、叙情的な第1楽章、やや不協和な第2楽章、ヴァイオリンとオルガンが急速なパッセージでかけあいを演じる第3楽章それぞれが、個性的でおもしろい。特に第1楽章のヴァイオリンの旋律は極めて美しく感じられるが、これは、ひとつにはオルガンの柔らかい木管系の響きが、ヴァイオリンの倍音の多い音色をきわだたせるからだろう。
ソプラノとオルガンのための《アヴェ・マリア=ドリア旋法によるヴォカリーズ Ave Maria - Vocalise dorienne》もまた、ユニークな小品だ。最初はヴォカリーズで歌われ、しばらくたってから「アヴェ・マリア」の歌詞が歌われる。「ドリア旋法」とは、グレゴリオ聖歌に用いられている教会旋法のひとつで、d-e-f-g-a-h-c-dの7音からなる旋法。二短調に近いが、導音を持たないため、どこか、日本のわらべ歌にも似た響きとなる。
これらの曲は、いずれも小品だが、それだけに聴きやすく、心理的な圧迫感がない。絵画でいえば細密画、文学でいえば短編小説や詩のようなもの。小品には小品ならではのよさがあるのだ。
ところで前述のようにアランの知名度は低いが、これは、ひとつにはアランが若くして他界し、大作を残さなかったことによる。彼は兵役につき、第2次大戦中、フランスに侵攻したドイツ軍との戦いの中で戦死したのである。
ほぼ同世代のメシアンは捕虜になったものの戦後を生きることができ、大作を多数書いて「20世紀最後の大作曲家」とまで評されるようになった。もしアランが戦後を生きていたらどうなったか…いや、歴史に「もしも」は禁句だ。
たとえ若くして世を去り、大作を書かなかったとしても、アランが、その短い生涯の中で、これだけの素晴らしい「小品」を残してくれたことに感謝するべきだろう。
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*1:一部では「ジュアン」と表記されることがある。しかし、これを「ジュ/アン」と2音節で発音するとすれば間違い。綴りは"Jehan"だが、これは親がちょっと古めかしい綴りを選んだに過ぎず、発音は、一般的な"Jean"と同じだそうである(彼の妹で、著名なオルガニストであるマリー=クレール・アランに、筆者が直接確認した)。
*2:J. Alain - Oeuvres vocales & instrumentales (ARION ARN 68148)
クリスマスと正月の元旦。かたや西洋のキリスト教の祝日であり、かたや、日本の伝統行事で、歴史的にも宗教的にもまったくの別物に思える。しかし現象面では、いくつかの共通点を認めることができる。
まず、クリスマス・ツリーと門松。前者は樅の木で、後者は松だが、いずれも針葉樹という共通性がある。
クリスマス・ケーキと鏡餅。どちらも円形の食品という共通性を持ち、それぞれ、小麦と米という、主食の穀物からできている。
クリスマス・カードと年賀状。いずれも、幸運を祈る性格を持つ。
クリスマス・プレゼントと、お年玉やお年賀。これも他人への(特に子供への)贈り物という共通の性格を持つ。
これは単なる偶然だろうか。
共通点はまだある。クリスマスと元旦、どちらも、前夜が重要な意味を持つ。クリスマスでは、前日の12月24日の夜から準備が始まり、カトリック教会では深夜0時に、イエスの誕生を記念する「真夜中のミサ」が行われる。一方、日本では12月31日の夜は、多くの人が(子供までが)眠らずに、元旦の深夜0時を迎える。深夜に神社に詣でる人も多い。この日は、テレビまでが徹夜の番組を組む。
この共通性は、いずれも太陽信仰に関連がありそうだ。日本は、その名の示すように「日出る国」すなわち太陽の国であり、国旗の「日の丸」は太陽を象徴している。元旦に初日の出を見に出かける人は、ある意味では太陽を「礼拝」しに行くようにも見えるのである。余談だが「紅白歌合戦」というのも、この文脈で考えれば、新たな年=新たな太陽を迎えるために、深夜、歌舞音曲を奉納する神事と位置づけることができる。
クリスマスと太陽信仰との関連はどうだろう。キリスト教自体はユダヤ教から派生したもので、聖書には太陽崇拝の要素はほとんどない。
しかし、これがクリスマスとなると話が別。もともとイエスの誕生日は聖書には記されておらず、よくわかってはいない。では、なぜ12月25日がイエスの誕生日となったのか。
この日は、もともとはオリエントのすべての太陽神の誕生日だった日で、アウレリアヌス帝(在位270-275年)がローマ帝国の統一をはかるためにローマに導入した太陽神「不敗の太陽 Sol Invictus」の祝日だったものだ。ローマでは、以後この太陽神が皇帝崇拝と結びつけられて信仰されることになる。
4世紀のローマ皇帝コンスタンテイヌス(在位306-337年)も、初めはこの太陽神を信仰していたが、やがて自らキリスト教に改宗し、キリスト教を国教化する。このような状況下で、キリスト教はいわば太陽信仰から借用する形で12月25日をイエスの誕生日とし、同時にイエスを「人類に救いをもたらす太陽」というように表現するようになる。
つまり、太陽信仰とキリスト教が習合(混淆)したのである。
ちなみに、なぜ古来から12月25日が太陽神の祝日だったのか。これは冬至を境に日が長くなる、という現象が、古代の人々には太陽の復活の象徴として認識されたから、という説がある。
さて、西欧ではクリスマスは盛大に祝うが、年末年始はずっと地味に扱われている。このため西洋音楽では、クリスマスにまつわる音楽は多数伝えられているが、新年や1月1日に関するものはごく僅かしかない。
バッハのオルガン小品、コラール前奏曲《古き年は過ぎ去りぬ》BWV614は、その珍しい例だ。もとになったコラール旋律はどちらかというと物悲しい雰囲気。そして、このバッハの曲は不安定な和声進行による、やや不思議な曲となっている。
ヨーロッパのキリスト教会では、12月31日から1月1日にかけては特に盛大に祝わない。これは逆に見れば、キリスト教以前の「異教」が、この日を盛大に祝っていたことを反映している可能性もあるが、はっきりしたことはわからない。
このバッハのコーラルには、キリスト教に駆逐された異教の神のかすかな残響、あるいは追憶といったものを聴くことができるかもしれない。
さて、ここでもうひとつ太陽信仰に関連する興味深い説を紹介しよう。新年の風物詩である獅子舞は、612年に百済人の味魔之(みまし)が中国から日本に伝えたといわれる伎楽(ぎがく)に遡る。
この伎楽、大きな仮面をかぶり、音楽にあわせて行列する様子はなかなか異様だ。日本では仏教行事に用いられたが、その起源はよくわかっていない。
小川英雄は、『ミトラス教研究』(リトン、1993年)の中で、伎楽面は古代ローマの宗教、ミトラス教に起源があるとしている。
この宗教には信者に7つの位階があり、これが伎楽面に認められ、獅子もそのひとつであるという。このミトラス教は太陽神を崇拝する宗教で、2世紀から5世紀までローマ帝国で広く信仰されていたが、前述のキリスト教の国教化以後、衰退した。このとき、その一部が中近東からアジアへと伝播し、仏教に習合しつつ、教義はともかく、その7つの位階を象徴する面が伎楽面として日本に伝わったとのことだ。
キリスト教に破れたミトラス教が、今日、東方の太陽信仰の国である日本で、辛うじて獅子舞に名残をとどめている…東西の歴史を考える上で、なかなか興味深い話だ。
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*J.S.バッハ:オルガン小曲集/ハーフォード (LONDON POCL-3660/1)
ここ数年、わが家にもワープロで作成したと思われる年賀状が来るようになった。今でこそ、家庭で簡単に使えるようになったワープロだが、ここまでくるには、乗り越えなければならない課題がいくつもあった。
そもそも欧米では、タイプライターが広範囲に使われていて、ワープロはタイプライターと置き替わる形で普及した。英語は、アルファベット24文字で表記できるから、タイプライターの機構もそれほど複雑ではない。
これに対して、日本語は漢字を使用するので、タイプライターを作ろうとするとはるかに複雑になる。筆者も20年ほど前に、漢字の活字を拾って打っていく和文タイプを使ったことがあるが、常用漢字だけでも結構な数があるため、字を探し出すのに時間がかかり、おそろしく非能率的だった。
その前には、カタカナだけで日本語を表記すれば、単純なカナ・タイプが使えるので、漢字を使うのはやめよう、と主張する大学者の先生もいたが、さすがにこれは普及しなかった。
やがてコンピュータ技術が進み、日本語ワープロが作られるようになったが、最大のネックは、漢字をどうやって入力するかで、初期には、いろいろな試みがなされた。
たとえば、漢字を表記した金属製のボードが、ちょうどファイル・ノートのように何枚もとじられていて、使いたい字をペンで押さえると入力されるものや、部首の組み合わせで入力する、というシステムもあった。
しかし、これらの試みは姿を消し、現在では結局、英文タイプライターのキーボードを基本とし、カナを入力するか、あるいはローマ字入力でカナに変換するか、いずれの場合も入力はカナで行い、あとは「カナ漢字変換」という処理をすることで漢字を入力する方式に落ち着いている。
日本語ワープロのキーボードと入力方式は、ほぼ標準化された、といってよいだろう。昨今は、こういう現象を「技術がこなれてきた」などというようだ。
さて楽器の場合にも、技術がこなれて標準化されるまでには、いろいろな試みがなされる。ピアノも例外ではない。現在のピアノは、細部に微妙な違いはあるものの、大局的にはどこのメーカーもほとんど同じ。しかし、ここまでくるまでには、さまざまな紆余曲折があった。
さて、今さら昔の日本語ワープロを使おうという人はまずいないが、昔のピアノを復元したり、複製を作って使おうという人は存在する。
昨年来、日本でも話題になっている「フォルテピアノ」がそれで、だいたい18世紀から19世紀前半に作られたピアノの名称として、現代の標準的なピアノと区別して用いられる(ドイツ語圏ではハンマーフリューゲルと呼ぶことも多い)。
一般には、イタリアのクリストフォリが1700年代初頭に最初のピアノを作ったといわれているが、およそ19世紀中頃までは、メーカーによる差や地域的な差が大きく、形状もアクションも大きく異なる楽器が作られた。
だからひとくちにフォルテピアノといっても、千差万別なのだが、そのひとつに「ウィーン・アクション」と呼ばれるメカニズムがある。現在のピアノでは、キーとハンマーは分離していて、キーを押すとキーの後部がハンマーを突き上げるようになっている。
これに対してウィーン・アクションではハンマーがキーの後部に取りつけられていて、キーを押すとハンマーがはね上がっていくようになっている。
そしてこのウィーン・アクションは、ハンマーが現在のものよりも遥かに小さく、細く華奢で、キータッチが非常に軽いという特徴を持つ。ハイドン、モーツァルトは、主にこのタイプのフォルテピアノを用いたし、ベートーヴェンも一時用いていた。
ウィーンの製作家アントン・ヴァルターが1795年に製作したフォルテピアノの複製を用いて、ハイドンのソナタを演奏したCDを聴いてみよう*1。
音色はあくまでピアノなのだが、特に速いテンポの楽章では、現代のピアノとはだいぶ響きが異なる。文字どおり、軽やか。これは明らかにアクションの軽快さが音楽に反映しているのだ。
もちろん、現代のピアノでも、ハイドンのソナタを軽快に弾くことはできる。この意味で、確かに現代のピアノは万能で完成されているといえる。
しかし、現代のピアノのキーは、ヴァルターの楽器に比べればはるかに重いから、軽快さを出すのは、並大抵のことではない。現代のピアノでハイドンを弾くことは、いわば1杯の紅茶をいれるためのお湯を、風呂桶で湧かすようなもの。つまり能力が「過剰」ということ。
世の中、必ずしも「大は小を兼ねない」のである*2。
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*1:ハイドン:クラヴィーア・ソナタ集II/シュタイアー (BMGビクター BVCD-609)
*2:この「(鍵盤楽器においては)大は小を兼ねない」という名言は、チェンバロやクラヴィコードを製作されている山野辺暁彦氏による。
bogomil's CD collection 081-088
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