ブラームスの《ラプソディ》第2番ト短調op.79-2は深刻な響き、低音域の独得の用法、沈痛な雰囲気を特徴としている。この面では極めてロマン主義的な作品ということになるが、他方、形式面ではほぼ標準的なソナタ・アレグロ形式として分析することが可能で、ブラームスの古典主義的側面を示しているともいえる。ここでアルゲリッチ(アルヘリチ)、ルプー、ポゴレリチの3人の演奏を聴き比べてみよう。
まず全体的な表現。アルゲリッチ(1960年録音)はロマン派的な雰囲気をよく出しており、多少のテンポのゆれ(アゴーギク)はあるものの音楽は自然に流れている。ルプー(1978年録音)は、あっさりしていて思い入れは少なく、この曲の深刻さはあまり強調されていない。これに対してポゴレリチ(1992年録音*)はこの3人の中でテンポのゆれがもっとも激しく、重苦しい雰囲気が強調されている。
この3人、基本的なテンポ設定もさまざま。演奏時間で比較すると、ルプーの5分41秒がもっとも速めで、次いでアルゲリッチ6分27秒、ポゴレリチ8分21秒となる。ルプーとポゴレリチの差は大きい。しかもルプーがイン・テンポで進んで行くのに対し、ポゴレリチはときおりかなり音楽を停滞させる。特に展開部の最後で息の長いリタルダンドをかけていて、この先どうなるのか…と心配になるほどだ。「軽妙なブラームス」が好みの人にはルプー、「重厚なブラームス」が好みの人にはアルゲリッチ、ポゴレリチ、ということになるかもしれない。筆者はアルゲリッチをまず最初に聴いていることもあって、ルプーは軽すぎて物足りず、ポゴレリチは過剰、といった印象を受ける。
演奏解釈の細かい点でも、それぞれ違いがある。特に考えさせられるのは第2主題(提示部では第14小節以降)の弾き方。アルゲリッチとルプーが控え目に、弱音で弾いているのに対し、ポゴレリチは決然とかなり強い音で弾いている。これはちょっと普通には聴かれない弾き方なので(ヘンレ版ではmpと指定されている)、ドキッとさせられる。よい意味での個性的解釈として評価するか、恣意的すぎると評価するか、意見の分かれるところだろう。
ただこの曲の雰囲気には合っているような気もするし、全体のまとめ方の点から見ても、ひとつの持って行き方として評価できるかもしれない。またポゴレリチは提示部の第2主題の後半で内声を強調して対旋律を浮かび上がらせている(再現部では、やっていない)。
この3人の演奏は同じであって同じではない。筆者の聴く限り、楽譜のレベルではこの3人の演奏は同一の音から成り立っており、その意味では同じ曲の演奏だ。しかしこの曲が音になり、聴き手の聴覚を経て聴き手に心理的作用を及ぼすところまでを考えると、とても同一の演奏とはいえない。
前述のように筆者は最初にアルゲリッチを聴いているので、どうもこれが基準になってしまっている。もし最初にルプーを聴いていたら、この曲をそれほど深刻な曲とは感じなかったかもしれない。逆にまず最初にポゴレリチを聴いたとすると、あまりに陰鬱でやりきれない曲という印象を持ったかもしれない。こういった点にこだわると、クラシックもジャズと同様、演奏まで含めないと評価できない、ということになるだろう。言い方を変えるなら、たとえば「ブラームスのラプソディが好き」と感じていても、それは正確には「アルゲリッチの演奏するラプソディが好き」ということで「ルプーのラプソディは嫌い」かもしれない、ということだ。
楽譜を見るだけですべての音が頭の中にイメージできるような人はさておき、プロ、アマを問わずたいていの人は実際に音にならなければその曲を聴くことはできない。この意味では音楽は音になったときに初めて音楽になる、ということになるが、音になった音楽というのは決してひとつの固定されたものではなく、「演奏されるごとに」まったく違ったものになるといえる。
演奏会で聴くにせよ、CDで聴くにせよ、その曲との「最初の出会い」というのは、後々まで大きな影響を及ぼすような気がする。そしてこのことを敷衍すると「クラシックとの最初の出会い」も、「楽器との最初の出会い」も、「音楽教師との最初の出会い」も、同じように重要な意味を持つといえるだろう。にもかかわらず、これらの大切な「最初の出会い」が偶然の産物であったり、何の考えもなしになされていることもしばしばだ。「最初にいいものに出会う」。音楽の場合には、これは大変むずかしいことといえるかもしれない。
*Discography:
Brahms: Intermezzi Op.117 / Rhapsodien Op. 79 U.A.
Ivo Pogorelich.
Deutsche Gramophon 437 460-2
94/03 last modified 03/07
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