初期鍵盤楽器製作家・演奏家副嶋恭子


KyokoSoejima, cembalist
チェンバリスト 副嶋 恭子

エッセイ


1.那須野が原のレクチャーコンサート
2.チェンバロとの出会い
3.私が今まで出会ったチェンバロ(日本編) 
4.私が今まで出会ったチェンバロ(海外編)
5.ヨーロッパでのレッスン

6.オルガンとの出会い
7.
ブルージュ国際コンクール
8.ゴルトベルクの夏
9.レコーディング記
10.サロンコンサートによせて

11.第17回古楽コンクールを聴いて
12.アンサンブルの愉しみ
13.レコーディング記(2004) 
14.デビュー20周年リサイタルによせて
15.ブルージュ国際コンクール2007&近況

16.第22回 古楽コンクール<山梨>を聴いて
17.ヨーロッパ旅行記 2008 その1
18.ヨーロッパ旅行記 2008 その2
19.発表会
20.リサイタルによせて

21. 2009年は
22. 第23回 古楽コンクール〈山梨〉を聴いて
23. ロベール・コーネン氏の公開レッスン
24. 教え子たちの活躍
25. スペース”調”コンサート再開

26. チェンバロによる現代曲
27. 通奏低音講座 実践
28. 2010年は
29. 趣味の話


1.那須野が原のレクチャーコンサート

 こんにちは。このコーナーでは、チェンバロにまつわる話や私が感じている事などを書いていきたいと思います。

 まずは昨年12月19日に栃木県の那須野が原ハーモニーホールで行われたレクチャーコンサートでのエピソードを書きます。

 このコンサートはクリスマスの時期だったので、レクチャーコンサートの前に地元の合唱団と管弦楽団とも一緒に弾くことになっていました。何も考えずにOKのお返事をしていたのですが、2週間位前に譜面が送られてきて、あっ、と思いました。

 モダンオケのピッチは442ではないですか。しかも、その後のレクチャーコンサートまでに調律をなおす時間がない!考えた末、レクチャーコンサートは415の平均律でやることにしました。

 でも、415の平均律では弾いたことがないのです。最初は気持ち悪くてしょうがなかった。特にフローべルガーや、ハ長調の曲は耳がおかしくなりそうでした。でも、1週間ほどで何とか慣れました。(慣れていいものかどうかわかりませんが)

 楽器は私のを運んだのですが(堀栄蔵作フレンチモデル)オケと合唱団との合わせがあり、前日の朝搬入しました。その日は夜までリハーサルがあったのですが、会場がものすごく乾燥していて湿度が30パーセントをきってしまいました。

 饗板が下がってきてジャックがスティックしてしまい、チェンバロの下にビニールシートを敷いてその上に濡れ雑巾を何枚も置いて、それ以上乾燥するのを防ぎました。本番当日もギリギリまで濡れ雑巾を置いておきました。

 無事本番は終わったのですが、楽器の面倒をみてくれた池末隆さんに感謝!

 次回は私がチェンバロを始めたきっかけなどについて書きたいと思います。

2000.1.10

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2.チェンバロとの出会い

 私がチェンバロを始めたのは「劇的な出会い」があったわけではありません。子供のころからピアノを勉強していて人前で弾くのが好きだったのですが、手が小さいため「ピアニストになるのは無理だ」と小学生の時に宣告されてしまいました。その時「チェンバロをやってみたら?」と言われましたが、「手が小さいからチェンバロ」というのがイヤで拒否しました。

 その時代はまだモダンチェンバロが全盛期でしたから、その時にチェンバロを始めていたら全く違う方向に行っていたでしょう。

 そして大学では作曲を専攻しましたが、机に向かって音楽を作っていく作業は私の性に合わず、はやり人前で演奏したいと思っていました。副科でチェンバロをとる事ができたので、子供の時は拒否したけど一体どんな楽器なのか知りたくなり、3年生になって始めました。最初はすごく簡単な曲しか弾かせてくれなかったので、正直あまり楽しくありませんでした。

 その上悩まされたのがピッチの問題です。徹底した絶対音感教育を受けてきた私にはCの音がHに聞こえてしまったのです。簡単な曲を弾くのにもすごく苦労しました。C-durの曲を弾いていても手が勝手にH-durに移調した状態で弾いてしまうのですから・・・。

 でもそのうちピアノとは全く違った音楽へのアプローチの仕方に興味がわき、いつの間にか「チェンバロをやりたい」という気持ちが芽生えていき、大学卒業時にはもうチェンバロの道に進むことを決めていました。

 子供の頃は手が小さかったため、バッハとモーツァルトしか弾けませんでした。そのせいかモーツァルトは弾く気がしないのですが、バッハは一度もいやだと思ったことがないんです。やはりバロックが性に合っていたのかもしれません。

 それからトントン拍子にスピネット、一段鍵盤、そして今持っている二段鍵盤の楽器を順に手に入れることができました。これには面白いエピソードがあるのですがまた次回に。

演奏会情報
2000年5月7日(日) くにたち市民芸術小ホール
2000年8月6日(日) 愛媛県松山市「エスパス21

プログラムなど詳細は今しばらくお待ち下さい。

2000.2.10

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3.私が今まで出会ったチェンバロ(日本編) 

 大学を卒業してチェンバロの道に進むことを決めた私はまず故鍋島元子先生の「古楽研究会」に入りました。とりあえず「弦をひっかく楽器」が欲しいと思っていたのですが、たまたまいらした鈴木雅明さんが「神戸でスピネットを売りたい人がいるんだけど、誰か買わない?」とおっしゃり、私は即座に手をあげました。

 グランドピアノが置いてあった部屋の片隅にスピネットを置いたのですが、ピアノには目もくれず、ただただ「弦を爪ではじく感触」が楽しくて色々な曲を弾きまくっていました。

 そのうち一段鍵盤の楽器を譲ってくれる方がいて、買い替えました。(柴田雄康作、フレミッシュ)この時は「チェンバロがある」という事が嬉しくて大学時代の友人を招いてお披露目をしました。

 柴田さんはリコーダー奏者でもいらっしゃるのでまだ作曲の世界に半分足を突っ込んでいた私に「チェンバロとリコーダーの曲を書いてみない?」と言われ、3本のリコーダーとチェンバロのための曲を書きました。初演の時にはこの楽器を使いました。のちにこの曲はドイツで出版されました。

 その楽器もたいへん気に入っていたのですが、やはり鍵盤が二段ないと弾けない曲もあります。だんだん二段の楽器が欲しくなってきました。そんな時、堀栄蔵さんの工房に出入りしていたガンバ奏者の福沢宏さんが「ちょうど楽器が出来たから見にいかない?」と誘ってくれました。

 それはある方が注文して作られたのですが、饗板に富士山の絵(銭湯と壁のような)が書かれてしまい、注文者がその楽器をキャンセルしたのです。ただ、メカニズムも音色も素晴らしく、それまで私が弾いた楽器の中では最高でした。饗板の富士山の絵は全部削られ、鳥や花が描いてありました。

 ちょうど堀さんも「売ろうか貸し出し用にとっておこうか」考え中だったので、私は「是非欲しい!」とお願いしました。翌日だったと思います。堀さんから「売っても良い」というお返事をいただきました。

 工房に伺ってから一週間後には私の手元に来たのです。柴田さんの楽器も置いておきたかったのですが、売らないと二段が買えなかったので、やむなく手放しました。武久源造さんが買ってくださいました。

 というわけで今ある楽器がこの二段鍵盤の楽器です。私が留学をしていた間は芝崎久美子さんと現在オランダ在住の古賀裕子さんが交互に弾いていてくださって、楽器がよく鳴っていい状態に保ってくれました。

 ヨーロッパに持って行く事も考えたのですが、船で運んでいる間に湿気で饗板がふくれあがった、という話も聞いていたので、楽器をいい状態に保つことを第一に考え、日本に置いておく事にしました。

 最初は415と440しか設定できなかったのですが、のちにフレンチピッチで弾く機会があり、思いきって楽器を改造しました。楽器の左側を切って左側にも鍵盤が移動できるようにし、ピンを付け足しました。もっともまだ2回しか演奏会では使っていませんが。

 ヨーロッパではコーネン先生のオリジナルをはじめ、いい楽器に巡り会ったのですが、また次回に。

2000.3.12

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4.私が今まで出会ったチェンバロ(海外編)

 1982年にベルギーに留学した私は、まずコーネン先生のお宅に伺いました。そこに置いてあったのはオリジナルのチェンバロでした。中世の街並が残っているブリュッセルにオリジナルのチェンバロ。私は夢の中にいるみたいでした。

 先生の楽器は1755年にアントワープで製作されたデュルケンです。鍵盤がとても軽くて、本当に繊細なタッチが要求されます。鍵盤の幅がピアノと同じぐらい広いので、手の小さい私にはちょっと厳しいものがありました。弾いたことのないタイプの楽器だったので、最初はとまどいましたが、弾いているうちに楽器が色々なことを教えてくれるようになりました。こういう楽器はそうそうありません。

 私の演奏会の時は先生がこのオリジナルをみずから運んで調律もしてくれました。当時は何もわからなかったので甘えてしたのですが、今は、なんてお世話になったんだろう、と思います。調律の仕方は決まっていなくて「今日は何調と何調を弾く?」と聞くので「何調と何調」と答えると「わかった」と言ってササッとやってくれるのです。それがとてもきれいに調律されているんです。このやり方は今でも私にはできません。

 留学して最初の一ヶ月は住むところが決まっていなかったので、楽器博物館のオリジナルで練習させてもらいました。これも夢のような事でした。残念なことに今はどこの楽器博物館も弾かせてもらえないそうです。

 パリの楽器博物館では、3台のオリジナルを弾くことができました。タスカン、エムシュ、そして私の持っている楽器のもと、グジョンです。グジョンは私の楽器とよく似ていて、とても嬉しかったのを覚えています。どの楽器も個性があり、何時間弾いていても飽きませんでした。

 1985年に帰国しましたが、86年にはブリュッセルでリサイタルを開いてくれ、また渡欧しました。その時もコーネン先生がオリジナルを貸してくれました。久し振りに弾くデュルケンだったのでなかなか感触がつかめず、苦労しました。

 その年はブルージュでコンクールがあったので聴きにいきました。楽器の展示もあって自由に試奏できるので、私も色々な楽器を弾いてみましたが、その中でとても気に入ったものがありました。デビッド・レイ氏作でブランシェのコピーでした。

 装飾も素晴らしく何より、弾いていて手にピタッとくるのです。他にもいい楽器はあったのですが、「私には弾きこなせない」と思ったものもありました。楽器に自分が負けてしまうのです。その点、レイ氏の楽器は余計な事をしなくても楽器がちゃんと答えてくれるのです。夢中になって弾いていたら、レイ氏が声をかけてくれ、パリ郊外のアトリエにも遊びに行きました。

 その後は一時曽根麻矢子さんが所有していたので、パリに行った時に弾かせてもらいました。7年ぶりに弾いたので「感動の再会」という感じでした。

 その楽器は現在は日本のアマチュアの方が所有しています。私は今でも時々その楽器を弾きに行きますが、いつも新たな発見があります。

2000.5.20

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5.ヨーロッパでのレッスン

 今年6月、2年ぶりにヨーロッパに行ってコーネン氏のレッスンを受けてきました。日本で活動を始めて15年になりますが、自分ひとりで勉強していると、ときどきいきづまることがあります。そんな時はヨーロッパに行ってレッスンを受けて、空気を吸ってくるとリフレッシュできます。

 今回のメインはバッハの「ゴルトベルク変奏曲」でした。私はまだ、この曲を演奏会で弾いたことがありません。どうにも太刀打ちできない「何か」があって敬遠していたのです。でも、いつかはやらなければいけない、と思っていましたから、時間のある時に引っぱりだして少しずつ練習していました。

 「アリア」は演奏会のアンコールで何度も弾いたことがあります。でも、レッスンではこの「アリア」からずいぶん直されました。全体的に言われたことは「テンポが速すぎる」ということです。たくさんの人がこの曲を録音していますが、私もそれを聴いて「速い」と思っていたので、自分なりのテンポを設定したつもりだったのですが、それでも「速すぎる」と言われました。

 特に第23変奏曲は「これはただの音階じゃないんだ。なんてきれいな音階なんだ!と思って弾かなくてはいけない」と言われました。テンポに関しても「僕も1年さらえばKyokoと同じテンポで弾けるようになるだろうけど、絶対にそんな速いテンポじゃ弾かない」と言われてしまい、けっこうグサッときました。

 留学中、レッスンを受けていてこんなことがありました。「なんでKyokoは黙って僕の言うことをウン、ウンと聞いているんだ。僕先生、貴女生徒、という時代は終わったんだよ。先生と生徒はディスカッションしなければいけない。」日本では考えられないことです。


 まず学校教育の違いから、日本人は議論して自分の意見を言う、ということに慣れていないから、そうなってしまうのかもしれません。そして目上の人に自分の意見を述べる、ということは日本人にとってはとても勇気のいることです。

 6月のレッスン以来、忙しくてゴルトベルクを弾いていないのですが、来年夏、初めて演奏会にかけることにしました。どんな風に仕上がるか、私にもまだわかりませんが、ヨーロッパの空気、空間を忘れずに曲を作っていきたいと思っています。

2000.9.16

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6.オルガンとの出会

 私がオルガンの音を耳にしたのは、実はチェンバロよりずっと早い時期でした。音楽マニアだった父は家でよく音楽を聞いていましたが、その中にオルガンもあり、バッハのパッサカリアなどはかなり小さい頃から聞いていました。オルガンは「足を使って弾く」というのがすごく珍しく、またとても難しそうだったので、私には無縁の楽器だと思っていました。

 時が経って、ベルギーに留学しましたが、ヨーロッパには教会がたくさんあります。教会に入るとオルガンの音が聞こえてくる事がよくありました。「教会で聞くオルガンの音」にいつしか惹かれていきました。留学中に師事していたコーネン先生は、もともとオルガニストです。そこで留学2年目に「オルガンも勉強したいんだけど」と相談したところ「じゃ僕の教えているブリュッセルアカデミーに入ればいい」と言ってくれました。先生と一緒に登録に行った時「ここはフラマン語圏だから、フランス語はしゃべってはいけない」と言われ、先生とは英語で会話したのを覚えています。

 初めはペダルの少ない曲から勉強しましたが、楽譜を見ていると、左手がどうしてもバス(つまりペダルのパート)を弾いてしまい、すごく苦労しました。つまり、左手が内声を弾くのに違和感があって、できなかったのです。慣れるのに1年ぐらいかかりました。

 ある時先生がバッハの「前奏曲とフーガ ロ短調 BWV544」を弾いてくれました。その曲がすごく気に入り「どうしても弾いてみたい」という衝動にかられました。楽譜屋さんで譜面を手に入れ、手の部分だけチェンバロで弾いていましたが、どうしてもペダルも入れて弾きたくて、時間を見つけては教会に行って練習をしました。いきなりこんな大曲を弾こうというのですから、そう簡単にはいきません。かなり意地になってさらい、やっと前奏曲だけ弾けるようになりました(形だけですが)。この曲は猛烈にさらっただけあって、後に弾いても手と足が覚えていてくれました。

 帰国してからは、オルガンの事は気になっていたものの、物理的にできる状態ではありませんでした。しかし、あるきっかけが私をオルガンへと引き寄せてくれたのです。98年にヴェネツィアに行った際、たまたま入った教会でオルガンの音が聞こえてきたのです。留学時代に惹かれた「教会で聞くオルガンの音」でした。この時「今オルガンを再開しないと、一生できないだろう」と思い、決心をしました。昔私がピアノを教えていた生徒がオルガンに転向していたので、その子の先生を紹介してもらいました。

 留学時には、弾きたいものを弾かせてもらっていたので、テクニックに関しては先生も目をつぶっていたんだと思います。再開後は一から教わりました。まず、ア−ティキュレ−ションの違いにびっくりしました。チェンバロのア−ティキュレ−ションがしみついてしまっているので、ある音型を見ると自動的にチェンバロっぽく弾いてしまいます。しかし、オルガンはすべて切って弾かなければいけません。慣れるのに随分時間がかかりました。

 私が習っている教会のオルガンは古いものを弾くのに適しています。そこでフレスコバルディやスヴェ−リンクを弾いてみたらとてもよかったので、今度はポジティフオルガンをやりたくなりました。昨年、オルガニストの友人の家でポジティフを弾かせてもらって、すっかりとりこになってしまいました。

 そこで今回、ポジティフもリサイタルで弾くことにしました。この企画はある人の助言によるものなのですが。家にはペダル付きの電子オルガンしかないので、ポジティフは色々なところに出掛けていってさらっています。毎回新しい発見があって、楽しんで練習をしています。

 パイプオルガンは趣味としてずっと続けていきたいと思っています。弾きたい曲がたくさんあるので、それが弾けるようになるのが「夢がかなっていく」ようで楽しいんです。チェンバロは「どんな曲でも弾けて当たり前」でなくてはいけませんから「楽しい」だけではすまないところがあります。音楽をやっていく上で「楽しみ」ができた事は、きっとチェンバロにも活かされると思っています。

2001.1.16

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7.ブルージュ国際コンクール

 私がブルージュ国際コンクールを受けたのは1983年の夏でした。このコンクールのチェンバロ部門は3年に一度です。その前年、ベルギーに留学しましたが、できればこのコンクールを受けたいと思っていました。初めてコーネン先生のお宅に伺って弾いた時「ブルージュを受けるか?」と言って下さり、ホッとしました。課題曲が出たのはいつの事だったのかよく覚えていないのですが、予選では「バッハの平均律第2巻のニ短調のプレリュードとフーガ」セミファイナルでは「ファーナビーのファンタジア」本選では「J.S.バッハのトッカータ、ト短調」と「C.P.E.バッハのコンチェルト、ニ短調」の課題曲を含めて15曲用意しなければなりませんでした。

 まず、課題曲が出たところで問題が発生しました。本選の課題曲のトッカータで、手が小さくて届かない箇所があったのです。58,59小節めの左手で9度を弾くのですが、私には届きません。頭を金づちで殴られたようなショックで、家から飛び出して、近くの商店街をうろうろしていました。何故こんなにショックだったかというと、ピアノをやっていた頃、手が小さくて課題曲が弾けない、という事が何度もあったからです。チェンバロでも同じ目に遭うとは思いませんでした。

 気を取り直してコ−ネン先生に電話しました。そうしたら「じゃ、アルペッジョで弾けばいいじゃないか」とおっしゃいました。でも、そこはどうしても音をずらして弾きたくなかったのです。2,3日悩んで、先生の家にうかがった時「この問題に固執するようだけど」と言ったら「Kyoko,音楽ってそういうものか? 」と言われました。この一言で、私は「どんな事があっても音楽を続けていこう」と決心しました。

 そこの部分は思いなおして、15曲に取り組み始めました。ただ、どうしても15曲を思い通りに仕上げる事は難しく、うまく仕上がらなかった曲もありました。ヴァイオリン奏者の若松夏美さんが「私の知ってる子が2人受けるんだよ。2人とも上手なんだ」と言ってたし、参加者は62名もいたので、予選を通ればいいかな、と思っていました。

 予選で弾く曲は前日に知らされ、会場で練習ができました。私が当たったのは「フレスコバルディのトッカータ(第1巻の9番)」と「ヘンデルの組曲第2番」でした。会場練習ではものすごくあがってしまい、ヘンデルを通して弾く事が出来ませんでした。本番前は別室で少し楽器に触れることができたのですが、本番とはタッチが全く違う楽器でやりにくかったです。本番はすごく緊張したものの、なんとかつっかえずに弾けました。

 演奏が終わってから会場をぶらぶらしていると、見知らぬ外国人の聴衆が「よかった」と声をかけてくれました。これはコンクールの最後まで続きました。

 予選通過者は、アルファベット順に発表されました。予選は通りたいと思っていたので、発表が進むにつれ、ドキドキしてきました。「クリストフ・ルセ」が発表されたので「呼ばれるなら次だな」と思っていたら「キヨコ・スジマ(現地読みだとこうなってしまうんです)」と呼ばれホッとしました。

 最初はブルージュにずっと泊まる予定にしていたのですが、ホテルがひどくて、水は茶色いし、部屋に蚊がたくさんいてうるさくて眠れないので(運河が多いので)ひとまずブリュッセルに帰りました。次にブルージュに行った時は、蚊とり線香を持っていきました。

 セミファイナルは2日間に分けられ、私は1日目でした。曲は課題曲と「バッハのイギリス組曲第5番」から数曲と「F.ク−プランの曲」(何を弾いたのか、覚えていないんです)でした。これを指定された時、少し動揺しました。というのも、1ヶ月前に行われた音楽院のプルミエ・プリの試験でやはりバッハの同じ曲を弾いたのですが、すごくあがっていてプレリュードを弾き始めて5,6小節でわからなくなり、最初から弾きなおしたからです。

 子供の頃から試験、発表会など、人前で弾く機会は多かったのですが、止まって弾きなおしたのは、後にも先にもこの時だけです。「もし、同じところでわからなくなったらどうしよう」という不安があり、止まったところあたりの指番号を全部書き込みました。なんとかそこも無事に弾け、自分としてはまずまずの出来でした。

 ブリュッセルに戻り、友達の家でおしゃべりをしていたところ、若松さんが来て「2日目の人はみんな下手だったよ。きっとファイナルに残るのは1日目に弾いた人だから、さらっておいた方がいいよ」と言われました。もう、あまり気力が残っていなかったのですが、一応ファイナルの曲をさらいました。

 セミファイナル通過者を発表する時は、コ−ネン先生もバカンス先から駆け付けて下さいました。発表までにはまだ時間があるだろうと、先生とカフェでのんびりお茶を飲んでいたのですが、若松さんが探しまわったみたいで、カフェで私達を見つけ「Kyoko、通ったよ」と教えてくれました。

 そうです。何と、発表の時に私は現場にいなかったのです。でも、これがかえってよかったみたいです。現場にいたら、きっと興奮したでしょうから。すぐに会場に行き、本選で弾く曲を知らされました。コンチェルトは2,3楽章、それとバッハのトッカータでした。4名残ったのですが、私は1番最初に弾かなくてはなりませんでした。

 前日のオケ合わせは30分だけ。一回通して、気になる部分をもう一度合わせてもらって終わってしまいました。オケと弾くのは初めてだったので、とにかくオケとずれないように気をつけました。

 本選は素晴らしいホールで行われました。ステージに立った時「こんな所で弾けるだけでも幸せだ」と思いました。でも、最初に弾いたトッカータはドキドキものでした。何しろ本選まで行くと思っていなかったので、さらい込んでいなかったのです。弾いていて、足が震えてくるのがわかりました。(手が震えなくてよかった) コンチェルトは気持ちよく弾けました。

 発表は下位から呼ばれました。まず、第5位が呼ばれ、次は第3位でした。もう、ここまできたら何位でもいいと思っていたので、名前が呼ばれて審査員に「おめでとう」と声をかけられ、満足でした。第2位はピエール・アンタイ、第1位はクリストフ・ルセでした。久々の第1位が出たという事で、会場は沸きかえっていました。ちなみに若松さんが言っていた「知ってる子」とはこの2人でした。

 その後、レセプションがあり、審査員にも講評を頂くことができました。審査員はK.ギルバート、J.ハイス、G.レオンハルト、T.ピノック、J.ゾンライトナーの各氏でした。

 このコンクールは私にとって大きな挑戦でしたが、聴衆の方々がとても暖かくてどこでも声をかけて下さったのが一番嬉しかったです。

 今年はチェンバロ部門です。どんな結果が出るのか、楽しみです。

2001.6.27

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8.ゴルトベルクの夏

 バッハのゴルトベルク変奏曲。(数年前までは「ゴールドベルク」と表記しましたが、今はこの方が一般的だそうです)この大曲の存在は小学生の時から知っていましたが、初めて楽譜を目にしたのは大学生の時でした。手が小さくて弾けるのはバッハとモーツァルトと近代フランスものしかなかった私は、毎年やってくるピアノの試験で弾く曲を選ぶのに苦労していたのです。

 ある時ピアノの先生が「ゴールドベルクを抜粋でやってみれば?」とおっしゃいました。さっそく大学の図書館に行き、楽譜を見ましたが「やってみたい」という気持ちはまったく起こらず、音を出さないまま楽譜を返してしまいました。

 初めてこの曲を聴いたのは80年、鍋島元子先生のリサイタルでした。このときは途中で楽器のトラブルが発生し、演奏を一時中断する、というハプニングがありましたが「1曲で1つの演奏会ができてしまうなんてすごい曲だなー」というのが実感でした。先生は「いろんな時代や国の作曲家のものを弾くより、1曲だけの方が楽なのよ」とおっしゃっていましたが、第15変奏まで40分近く弾き続けること自体が驚異でした。

 それから楽譜を買い、少しずつ譜読みを始めたものの、まず第1変奏で壁にぶつかりました。当時はレオンハルトのレコードしか持っていなかったのですが、同じようなテンポで弾いてもどうもしっくりこないんです。それでまた挫折しました。ただ第25変奏は「きれいな曲だなー」と思い、譜読みをしました。

 チェンバリストにとっては必須のレパートリーですから、いつかはレッスンを受けたいと思っていましたが、ついに留学中も最後まで譜読みをする事はありませんでした。

 帰国してから何年目だったでしょうか。やっと譜読みができたのでベルギーに行ってコーネン先生のレッスンを受けました。でも、この時は所々アドヴァイスを下さっただけで、その後さらってみたものの、演奏会にかけるまでには至りませんでした。

 10年以上前から愛媛県の松山で定期的に演奏会をさせてもらっているのですがある時「是非ゴルトベルクを」と言われました。それがずっとひっかかっていて「いつかはやらなければ」と思っていましたが、目先のことに追われ、なかなか実現しなかったのです。

 おととしあたりから「そろそろゴルトベルクを弾かないと、きっと一生弾かないで終わってしまうだろう」という思いが芽生え始めました。それで、おととしベルギーに行った際にレッスンに持って行きました。ちょうどその年の5月、コーネン先生が来日なさっていたのですが、リハーサルにお邪魔したところ、先生は「第16変奏」をさらっていました。「なんでゴルトベルクをさらっているの?」と聞いたところ「9月に弾くんだ。この曲を弾くには最低3ヶ月は必要だ」とおっしゃいました。先生はすでに何度も演奏していらっしゃるにも拘らず、です。

 この時のレッスンの様子は「エッセイ5」に書いてあります。

 去年の夏、松山でリサイタルがありました。この時すでに「次はゴルトベルクを」と思っていたので、「来年はゴルトベルクをやらせてください」と話しました。その予告のつもりで、アンコールに「アリア」を弾きました。

 今年は「ゴルトベルクの年」と位置づけて、元日からさらいました。ただ、1月は31日にリサイタルがあったので中断。3月から本格的にさらい始めたものの、この曲ばかり弾いているとかえって行き詰ってしまったのです。そこで、急遽7月にリサイタルを組みました。この時は「インヴェンション全曲」を弾いたのですが、ゴルトベルクと平行してさらっていると、両方にうまい具合にアイデアが湧いてきました。

 7月のリサイタルが終わり「ゴルトベルク一本だ!」と思ってさらい始めましたが、通して弾くにつれて、テンポ設定に悩みました。1つ1つの変奏を弾いていると「これでいいかな」と思っても、いくつかの変奏とつなげてみるとしっくりこないんです。特に悩んだのは「第3、4、19変奏」です。また、最も難しい「第20,26変奏」もなかなか弾けるようにならず、苦労しました。

 また悩んだのは「繰り返し」の問題です。全部繰り返すと80分以上かかってしまいます。それに「第25変奏」は後半も繰り返すとかなり長い。そこで「後半を繰り返さない変奏」と「必ず繰り返す変奏」だけ決めておき、あとはその場で考えることにしました。

 いつも演奏会に来てくれる友人が「演奏会じゃなかなか手の動きが見えないからいつか近くで見てみたい」と言っていたので「じゃ、ゴルトベルク全曲通すのに付き合ってくれない?」と頼みました。本番の1週間前にこうして「リハーサル」ができたのです。全曲通すと、やはり問題点が見えました。まず、60分以上弾いたところで弾く「第26変奏」はやはり苦しいこと(特に感情移入する第25変奏の直後なので余計に難しい)そしてテンポ設定が決まらない変奏がいくつかあることなどです。1週間でなんとかテンポは決まりました。ちょうどコーネン先生に用事があってFAXした時「もうすぐゴルトベルクを弾きます」と書いたら「速い変奏は速く弾きすぎないように」と返事が来ました。

 本番はマチネだったので、前日から松山入りしました。堀榮蔵さんの楽器を池末隆さんが3日間かけてヴォイシングしてくれていたので、とても弾きやすい状態になっていました。本番は落ち着いていたものの、前半はいまひとつ気持ちが乗りませんでした。第15変奏の後で15分間休憩を入れたのですが「このまま後半の序曲にいくのはまずい」と思って気分転換を試みました。打ち上げで「後半の序曲はガラッと変わってよかったですねー。休憩時間に何をしてらしたんですか?」と言われましたが、それは「秘密」です。問題の第26変奏をなんとか終え「あとは気力だ」と思って気が緩んだら第29変奏でグチャグチャになってしまいました。集中力は最後の1音まで保たないといけませんね。

 ・・・というわけで一応無事に終わったのですが、このまま弾かないとまた何年先になるかわからないので、年末か来年早々に東京の個人のお宅で演奏する予定です。11月のレコーディング(オールバッハです)の準備と平行して練習しなければなりませんが、今年は私にとっては「1年遅れのバッハイヤー」だと思ってもう一度ゴルトベルクを練り直したいと思っています。

2001.9.13

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9.レコーディング記

 11月13日から15日まで、レコーディングをしてきました。今回で3回目のレコーディングです。場所は前回と同じ、山梨県の牧丘町民文化ホール、会社も前回と同じくコジマ録音です。

 プログラムはオールバッハにしました。以前からオールバッハでアルバムを作りたいと思っていたのですが、いざ「やる」という段階になったら、曲目が全然決まりませんでした。結局何人かのご意見も参考にさせていただき、弾きこんだ3曲をメインにして、間に平均律のプレリュードとフーガを2曲入れました。

 前2作は私の楽器(フレンチモデル)を使ったのですが、今回はバッハという事でジャーマンを弾きたかったので、東京古典楽器センターのブルース・ケネディ製作のミートケモデルを貸していただきました。レコーディングまでに数回練習させていただき、少しずつ楽器に慣れていきました。自分の楽器を弾いてしまうと勘が狂ってしまうので、最後の練習から2日間は何も弾かないでいました。

 初日は電車でお昼過ぎに現地入りすると、もう楽器も録音機材も準備ができていました。しかし、音をだしてみるとマイクの位置(今回は2本のマイクを楽器の前に立て、高い所から録りました)や楽器の位置がなかなか決まらず、とりあえずお昼にしました。

 さて、いよいよ録音開始。まずは指慣らしに「平均律第1巻のハ長調」を始めました。プレリュードは音をはずすことはまずないのですが、なかなか気分がのれず、OKテイクが出ません。後でやり直すことにしてフーガにいきました。この曲だけは今回の曲目の中で、唯一本番で弾いたことがないんです。これもなかなかうまくいかず、ディレクターの小島さんからいろいろと注文が出ました。6回ぐらい弾いてやっとOKが出ました。


 次は「半音階的幻想曲とフーガ」です。この曲は長いので、幻想曲とフーガは分けて録音しました。つなぐ関係で、フーガの入りまで弾いて切ります。幻想曲は気分的にのれて、パワフルに弾けたと思います。フーガは最後の左手のオクターブのところで難航しました。私は手が小さいので、どうしても隣の音をひっかけてしまいます。この箇所は途中でつなぐわけにはいきません。成功するまで、そこだけ7,8回録りました。

 それからまた「平均律のプレリュード」を録り直しました。今度は硬さが取れたのかうまく流れ「Cdurのきれいな響きが鳴っていた」とOKがでました。

 2日目はまず「平均律第2巻のホ長調」を録りました。この曲は何度も弾いているので、問題なく終わりました。お昼近くになっていたのですが、食後はゆっくりした曲から始めたかったので、調律を少し変えてもらい「イギリス組曲第5番」のプレリュードに入りました。(今回は調律は曲ごとに変えてもらいました。調性が一番美しく聞こえるように、佐藤さんにおまかせしました)この曲は本番や試験で何度も弾いていますが、何度弾いても難しい曲です。テクニックもいるし、パワーや躍動感も必要です。練習でも何度も録音して聴きましたが、なかなか「のれた」演奏がなかったのです。でも、録音ではうまくのれたと思います。技術的に難しい箇所(装飾音がきれいに入らない)だけ、何度か録り直しました。

 遅めのお昼は地元に住むいとこの家でご馳走になり、リフレッシュしてきました。道中の紅葉も満喫してきました。レコーディング中はホールに缶詰めのため、外が明るいのか暗いのか、晴れているのか雨が降っているのかさえわからない状態です。気分転換は必要です。この日の後半は「イギリス組曲」の残りを録りました。1曲をだいたい5,6回弾きますが、たいてい4回目以降のテイクがうまくいきます。私は10回弾いてももっといいものが出来るとは思わないので、5,6回で次に進めてしまいます。録り終わってまだ少し時間があったのですが、残りの「パルティータ第2番」を弾くには気分転換も調律転換も必要ということで、この日は早めに終えました。

 最終日は「パルティータ」の録音です。初日は夕方から雨が降ったのでそれほど乾燥しなかったのですが、2日目から乾燥が気になっていました。この日は湿度が30%まで下がってしまったので、雑巾になるようなものやタオルを濡らして、どこからか持ってきた洗濯物干しのようなものに掛けてステージに置いておきました。

 最初の「シンフォニア」は、出だしは4フィートを入れたいけど、Allegroの部分では抜きたかったので、そこで分けて録音しました。録音は順調に進んだのですが、最後の「カプリッチョ」は難航しました。この曲は4日間弾いてなかったのです。他の曲はそんなに難しくないけど、この曲は技術的にも難しいし、精神力が必要です。途中で崩れてしまうと、たいてい良いテイクは録れないので、何度か途中でやめました。なんとか最後まで通せても、なかなか納得のいく演奏ができませんでした。そろそろ精神力も限界に近づいた頃、やっといい演奏が出来、OKがでました。

 今回は3回目という事で、前2回の反省をふまえて録音に臨んだつもりです。「タッチミスを恐れない」「表現したいところは思いっきりやる」「全体の流れを常に見据える」ことなどです。

 これから編集、ジャケット作成、解説を頼んだりと、CDにするにはまだまだ時間がかかります。編集は前回同様、全て立ち会う予定です。発売時には、リサイタルを予定しています。ただ、CDと全く同じ曲だとつまらないと思うので、何曲か入れてあとはバッハが影響を受けた人々の作品でプログラムを組もうと思っています。

2001.12.22

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10.サロンコンサートによせて

 久しぶりのエッセイになりました。6月に近江楽堂でリサイタルを行って以来、これからどんなコンサートをしたいか、考えてきました。いい曲なんだけど、リサイタルで取り上げるには組み合わせが難しい曲、まだ本番では弾いていないけど1回は弾いてみたい曲、それらを弾く機会を持つにはどうしたらいいのか・・・。そして得た結論が、自宅で定期的にコンサートを開くという事です。

 チェンバロが置いてある部屋の隣の部屋が、ずっと空き部屋になっていました。練習用オルガンが置いてあるだけで、物置状態になっていたので、思い切ってその間の壁を取っ払ってしまおう、という考えは前々からあったのですが、広げると光熱費もかかるし、工事費も予測が出来ないし、なかなか実行に移せないでいました。業者に相談したところ、「柱がどう入っているかによって、壁を取り払えるかどうかわからない」ということでした。柱を取ってしまうと、2階が落ちて家が崩れる危険があると・・・。しかしうまく壁を取り払うことが出来、梁を入れることによって、2階が落ちるのを防ぐことが出来ました。工事費は思ったより安く、2日半で工事は終わりました。そして、思ったより素敵な空間が出来上がりました。

 空間が広がると、楽器の響きは全く違って聴こえます。最初はとまどいましたが、慣れてくるに従って、楽器がより良く鳴るようになりました。

 そこで年3〜4回、定期的にコンサートを開き、そのうち1回はアンサンブルのコンサートにする予定です。来年は、トラヴェルソ奏者の中村忠氏に共演をお願いしてあります。また、毎回バッハの「平均律クラヴィーア曲集」から順に2曲ずつ取り上げ、全曲演奏を目指します。しかしここで難題が・・・。2回目は、平均律の嬰ハ長調を弾くことになります。私は、たいてい調律を1/6にしてありますが、それだととても響きが汚いのです。この曲を綺麗に鳴らす調律にすると、組み合わせる曲に限りが出てきます。早くも、プログラムで悩んでいます。

 ソロコンサートをする場合、私は半年前からプログラムを考え、3ヶ月間かけてさらいます。そして2週間前に1度ピークの状態に持っていき、その後1回くずして、本番にまたピークが来るようにしています。なかなか思い通りいかないこともありますが・・・。

 第1回のコンサートの詳細は、トップページに載せてあります。また、皆様からのリクエストにもおこたえしていきたいと思っていますので、お聴きになりたい曲がありましたら、どんどんメールしてください。お待ちしております。

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11.第17回古楽コンクールを聴いて

 4月26、27日に甲府で開かれた古楽コンクールを聴きに行ってきました。このコンクールには伴奏者として参加したことはありましたが、聴くのは初めてです。今回は私のところで8ヶ月ほど勉強し、今ミラノで勉強している生徒が受けたので、応援もあって行ったわけです。

 今年はチェンバロ、手鍵盤のみのオルガン、そしてアンサンブル部門でしたがチェンバロ部門以外の応募者はありませんでした。24名がエントリーしましたが、3名が棄権、予選は21名の演奏を聴きました。

 予選の課題は1)P.フィリップス:'Amarilli'か'Fecedavoi'とラモ:クラヴサン曲集第1集を12分程度にまとめたものの組み合わせか、2)パッヘルベル:《Hexachordum Apollinis》より任意のアリアとJ.S.バッハ:ファンタジーとフーガイ短調(BWV903)の組み合わせ、そして通奏低音課題はヘンデルのヴァイオリンソナタイ長調(HWV361)か、リコーダーソナタヘ長調(HWV369)から応募者が選択したものでした。

 ステージにはソロ用に楽器が3台(フレミッシュ、イタリアン、フレンチ)と、通奏低音用に3台(ジャーマン、イタリアン、フレミッシュ)が並べられ、各自が選択できるようになっていました。予選を聴いて驚いたことは、皆テクニックがしっかりしていたことです。中にはピアノっぽい弾き方をしていた人も何人か見受けられましたが、途中でくずれたりミスを多発する人が少なかったです。ただ、初期ものは様式感に欠ける人も多くいました。また、通奏低音課題はステージ上で初めてソロ奏者と合わせたにもかかわらず、皆きちんと合わせていて感心しました。

 予選は夜7時半ごろまでかかり、結果が発表された頃には8時半をまわっていました。7名が本選に進みましたが、私の予想とほぼ一致していました。本選に残ったのは、やはり個性があり、自分のやりたいことを聴衆にわかるような演奏をしていた人達でした。私の生徒は演奏順が1番だったので、耳が慣れていなくて審査員にどのような評価を受けるか心配でしたが、無事予選を通過しました。

 本選では展示会に出品された36台の楽器からどれを弾いてもよかったので、生徒の楽器選びに少し付き合い、ホテルに泊まりました。翌日の本選では自由曲(12分程度)、ソレルのソナタより奏者が選んだ2曲の中から組み合わせを前日に発表されました。そして予選でラモを弾かなかった人はラモ、バッハを弾かなかった人はバッハを弾くように、とのことでした。通奏低音課題はヘンデルのカンタータ《Lucrezia》よりあらかじめ決められたレチタチーヴォとアリアでした。午前中に4人が弾きましたが、皆さんややあがっていたのか、特にバッハでくずれた人が目立ちました。バッハはどの曲もそうですが、1度くずれるとガタガタと行きやすく、こわいです。

 午後の3人は比較的落ち着いていましたが、皆さん「安全運転」になってしまったような気がしました。予選でも感じたのですが、バッハは推進力のあるエネルギッシュな演奏をした方がいませんでした。ラモは、クーラント、ジーグで躍動感に欠けた人が多かったです。通奏低音はヘ短調という難しい調であるにも拘らず、皆きちんと弾けていました。ただ、これは全体的な傾向だったのですが、和音の入れ方が皆似かよっていて、すごく主張したい和音のインパクトが弱かったことと、裏にまわる音がなかったのが気になりました。

 午後3時から昨年の入賞者による演奏会が行われた後、5時から結果が発表されました。表彰式を前にして、審査委員長の有村祐輔先生が「ピアノは人間が弾いても猫が弾いても同じ音がすると言った人がいるが、チェンバロもそう思われがちです。でも、実際は弾く人によってまったく違った音がするのです」とおっしゃっていました。欲を言えば「チェンバロらしい音」を出していた人がとても少なかったです。

 3位はイタリアから来たBenuzziさん、2位に松岡友子さん、そして久々に出たという1位には野澤知子さんが選ばれました。(松岡さん、おめでとう!)Benuzziさんは通奏低音に難があったものの、日本人にはない良さを持っていました。松岡さんは音がとてもきれいでした。まだ若いので、経験を積めばどんどん良くなるでしょう。野澤さんの演奏は2年ほど前に聴きましたが、その当時はまだピアノ的な弾き方をしていたものの、今回はテクニックもしっかりし、すでに成熟した音楽を聴かせてくれました。

 残念だったのはお客さんの数がとても少なかったこと。あんなにたくさんの楽器が展示され未来をしょってたつであろう奏者が揃うわけですから、もっとたくさんの人が応援してくれればと思いました。2日間皆さんの演奏を聴き、音楽に対する真摯な姿勢に心をうたれ、私も新たな気持ちで音楽をやっていこうという気持ちになりました。

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12.アンサンブルの愉しみ

 自宅「スペース“調”」でのコンサートは今までに5回行い、そのうち2回はアンサンブルでした。私はアンサンブルはとても好きなのです。最初にバロック・アンサンブルを始めたのは、大学を卒業して間もないころでした。当時は、故鍋島元子先生の古楽研究会に入っていて、アンサンブルクラスでも勉強していました。

 最初に弾いたのがガンバのあまり知られていない曲でした。ガンバを弾いていたのが福沢宏さんです。しかし、古楽研究会を1年でやめてしまったので、しばらくはアンサンブルをやる機会がありませんでした。そんな折、友人の演奏会で福沢さんとバッタリ会ったのです。そこで「今度アンサンブルをやらない?」という話になり、福沢さんのお宅に伺いました。

 その後、私が2段鍵盤の楽器を手に入れたので、いろんな人がうちに集まるようになりました。福沢さん、リコーダーの安井敬さん、ヴァイオリンの高田あずみさん、トラヴェルソの中村忠さんなどです。みんなが譜面を持ってきては初見大会をやりました。当時はバロック演奏のCD(いや、まだレコードの時代だった?)が今ほどありませんでしたので、自分達で音を出してみるしかなかったのです。通奏低音のレッスンは数回受けたことがありますが、こうやってみんなといろんな曲を弾くことによって、力がついていったと思います。

 アンサンブルをやっていて楽しいのは、一緒に音楽を奏でる喜びを感じられることです。ひとりでソロばかり弾いていると、時として行き詰まります。そんな時、アンサンブルをするとアイデアをもらえます。ベルギーでの恩師、ロベール・コーネン氏は「チェンバロのパッセージは、ほかの楽器でどう弾くかイメージすることが大事だ」と常々おっしゃっていました。

 ですから、他の楽器と一緒に弾くことは、ソロを弾く時にもプラスになるのです。また、バロック・アンサンブルで楽しいことは、本番で即興的なことをやり、それをお互いに楽しむことです。即興的な部分はリハーサルの時はおおまかな事しか決めません。あとは本番の雰囲気でやっていきます。

 ”調”には25人しか入りませんから、人数の多いアンサンブルは残念ながら出来ません。本当はバッハの「音楽のささげもの」などやりたいのですが。しかし、今後も3回に1回はアンサンブルにしようと思っています。今後出演していただく予定の方は、ガンバの平尾雅子さん、ソプラノの山内房子さん、リコーダーの安井敬さんなどです。

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13.レコーディング記(2004)

 2004年10月20日から3日間、神奈川県立相模湖交流センターでレコーディングをしてきました。今回は、1枚のCDでリサイタルを聴いているような物を作りたかったので、スウェーリンク(涙のパヴァーヌ、ファンタジア・クロマティカ)、ベーム(ただ愛する神の摂理に任せ)、F.クープラン(オルドル第18番)、バッハ(パルティータ第6番)というプログラムを組みました。

 楽器はフレミッシュ、フレンチ、ジャーマンの3台を東京古典楽器センターよりお借りして、フレミッシュはミーントーンに調律しました。

 3台の楽器の響きの違いを明確に出したかったので、事前にプロデューサー(アルケミスタの武田さん)、ディレクター(キングインターナショナルの本杉さん)と打ち合わせをし、色々なCDを聴き比べて音のイメージを作っておきました。

 初日はあいにく台風23号が接近していた日でしたが、無事に会場に着きました。私が着いた時にはもうすでにセッティングは出来ていましたが、音決めをするのに2時間以上かかりました。マイクの位置や向きを決め、床が鳴る所にマイクスタンドを重し代わりに置いたり、ホールの前方座席を引っ込めたりと、色々な作業が行われました。低音域と中音域のバランスがなかなかとれずに苦労しましたが、なんとか「これで行こう」という線が決まりました。

 時刻は午後1時を回っていましたが、音決めをしている間にクープランをずっと弾いていたのでテンションがあがってきていた事と、少しでも録音をしておくと気が楽になるので、最初の2曲を録音しました。ディレクターの指示が細かく、微妙なニュアンスを要求され、1曲目はけっこう時間がかかりましたが、2曲目はすんなり行きました。

 午後3時にやっと昼食。4時ごろから録音を再開しましたが、雨音がだんだん激しくなってきました。そしてクープランをあと2曲残したところで、もう出発しないと道路が閉鎖されるという情報が入り、初日はそこで切り上げました。

 2日目はまだ小雨が残っていたものの、台風は通り過ぎていたので一安心。残っていたクープラン2曲を録音しました。最後の曲は今回録音した曲の中で唯一、本番で弾いたことがない曲です。演奏会に何度もかけると曲が練り上げられて行くのですが、この曲はリズム感を出すのに苦労しました。

 2日目はフレミッシュとジャーマンを使う予定でしたが、そうすると1日で3台の楽器を使うことになります。それは色々と負担が生じるので予定を変更し、ジャーマンでバッハを録音することにしました。

 昼食をはさんでバッハの録音が始まりましたが、ここでも音決めに時間がかかりました。楽器が変わるとマイクの位置も微妙に変わります。まず最初のトッカータはとても緊張したものの、緊張感が上手く伝わるような演奏が出来ました。レコーディングは何度でも録り直しが出来るので
緊張することはないのですが、ある程度の緊張感がないといい演奏は出来ません。

 コレンテでは早いパッセージを修正するのに苦労しました。演奏会では興奮状態にありますから、多少テンポが速くなったり、あるパッセージで先に進みすぎてもいいのですが、視覚のないところで聴くCDではそれがとても気になります。レコーディングでは音を間違えないようにと気を配るあまり、ノリの悪い演奏になってしまう危険性があります。そうならないように演奏会のノリで弾いてしまうとまずい結果になります。その辺りがレコーディングの難しさです。

 サラバンドでは各人から色々な意見が出ました。何度も試行錯誤をしたあげく、拍子感を大事にしながらも私が表現したいことは思い切ってやる方向で弾きましたが、かなり時間をかけました。後で聞いた話ですが、スタッフはこの日が一番疲れたらしく、頭も耳も限界だったということです。そこで8時半を回っていたので2日目は終了。3日目にかけることにしました。さすがに疲れたので私はスタッフとは食事に行かず、ホテルの部屋で食事をして休みました。

 最終日はベームから録音を始めました。というのも、バッハのテンションにするには時間がかかること、また、前日のサラバンドでとても楽器が鳴ってきていたので、鳴るようにするためには時間が必要なことと判断したためです。

 ベームは宗教曲ですのでコラールの歌詞の意味も重要になってきます。礼拝ではオルガンで何度も弾いている曲ですが、なかなか上手くいかず、8分程度の曲なのに録音に2時間半かかりました。そこでお昼を入れてしまうと緊張感が途切れるので、バッハの残り2曲も続けて録音しました。

 遅い昼食をはさんで午後4時からスウェーリンクの録音に入りました。楽器はフレミッシュに変わりましたが、ここでは音決めにさほど時間はかかりませんでした。「涙のパヴァーヌ」はわりと楽に出来ましたが、「ファンタジア・クロマティカ」は大曲です。集中力も限界に達していましたがなんとか終了しました。

 今回はディレクター、エンジニア(P00の小伏さん)、プロデューサーが皆活発に意見を言ってくださり、今までとはまた違ったいい物が出来上がるのではないかと思っています。

 また、調律してくださった佐藤さん(東京古典楽器センター)。私のうるさい注文(調律の狂いだけでなく、この音が沈んだ響きがするだの、この音がキンキンするだのといった)にも常に応えてくださり感謝しています。

 発売は3月末の予定です。こういうプログラムのCDはなかなかないと思いますし、楽器を3台使い分けたのもあまりないと思います。楽しみにお待ちください。

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14.デビュー20周年リサイタルによせて 

 ベルギーでの2年半の留学生活を終えて帰国し、デビューリサイタルを開いてから、早や20年の歳月が流れました。その間、リサイタル、アンサンブル、モダンオーケストラの客演等、さまざまな活動をしてきました。

 今回のリサイタルは、デビュー以来主なレパートリーとしてきたF.クープランとJ.S.バッハの曲を中心に、近年積極的に取り組んでいるバッハの先達たちの作品でプログラムを構成しました。昨年10月に録音したものと共通の曲もありますが、すべて同じではつまらないと思い、多少違う曲も入っています。

 スウェーリンクの「涙のパヴァーヌ」は何回か演奏会で取り上げている曲です。なじみのあるメロディーですし、演奏会の始まりとしては適切だと思います。次に、フローベルガーの「カンツォン第2番ト調」を持ってきました。この曲は演奏会で取り上げるのは初めてですが、半音階を含む主題が魅力的で、弾けば弾くほど好きになってきました。次に演奏するベームの「プレリュード、フーガとポストルディウム」とは調性が同じなので、2曲続けて演奏します。この作品は、私がチェンバロを始めて間もないころ、ラジオで流れたのを聞いて「カッコいい曲だなー!」と思いました。たくさんの和音を鳴らすのはチェンバロにとっては難しいことなので(ただ音を弾くだけではいけない。「鳴らす」のが難しいのです)、かなり長い時間をかけてさらい、数年前に初めて演奏会で弾きました。

 F.クープランの「オルドル第18番」は、27曲あるオルドルの中でも私が最も良く弾いている曲です。ヘ短調の情緒あふれるアルマンドに始まり有名な「修道女モニク」、ヘ長調のパワフルな「喧騒」、そして同じ音域を上下の鍵盤で演奏する「Piece croisee」も入っていて、全部通して弾くと様々なタイプの曲が楽しめます。

 J.S.バッハの「パルティータ第6番」は、デビューリサイタルでも取り上げました。その時のテープが残っていたので聴いてみました。若い時のエネルギッシュな演奏で、それはそれで悪くないなと思いましたが、20年経つと解釈がずいぶん違ってくるものもあります。この曲の持つ奥深さが出せればと思っています。

 楽器は久しぶりに私の所有するもの(1981年、堀榮蔵作 グジョン-フレンチモデル)を使います。

 尚、お仕事帰りに演奏会に来てくださる方々の事を考え、開演を7時15分にしました。殺伐とした事件が多発している中で、ひとときでも音楽とともに時間を過ごしていただければ幸いです。

2005.3.10

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15.ブルージュ国際コンクール2007&近況

 2年半ぶりのエッセイになってしまいました。家庭の事情で演奏活動を自粛せざるをえない状況でしたが、また少しずつ再開していきたいと思っています。

 今年はとりあえず2つのアンサンブルの演奏会をやります。1つは6月に終わりましたが、昔懐かしいメンバー(安井敬さん、高田あずみさん、福沢宏さん)と一緒でした。留学前にはこのメンバーで何度か演奏会をやったのですが、今回はなんと25年ぶりぐらいだったようです。25年、それぞれの活動をしてきて得たものをぶつけ合い、時にはリハーサルが7〜8時間にも及びました。

  もう1つは9月28日に若松夏美さん、平尾雅子さんと一緒にやります。私にとっては少々過酷なプログラムになってしまいましたが、楽しみです。詳細はトップページに載っています。楽器はレオンハルトが来日した際に使用したミートケ(東京古典楽器センター所有)をお借りします。

 さて、今年のブルージュ国際コンクールはチェンバロとフォルテピアノ部門でしたが、チェンバロ部門で21年ぶりの入賞者が出ました。 3位に入賞した松岡友子さんです。彼女は高校3年生の時に都留音楽祭でチェンバロに触れ、すっかり魅力に取り付かれたようです。

 都留で教えていたのは曽根麻矢子さんですが、当時、曽根さんはまだパリに住んでいたのでレッスンが出来ず、私に電話がかかってきてお引き受けしました。 私が教えていたのは1年足らずですが、すごく貪欲に色々なことを吸収しようという姿勢が印象的でした。ミラノに留学することはすぐ決めたようです。ミラノの空気が合っていたのでしょう。本当に熱心に勉強している様子です。私の生徒の発表会の第1回出演者でもあります。

 また、芸大入学前にソルフェージュを教えていた縁で同じ発表会に出演した脇田英里子さんは、セミファイナリストになりました。

 今年5月に3年ぶりにヨーロッパに行き、バッハゆかりの地を巡り(これは特筆すべきものはありませんでしたが)、コーネン先生の所にも寄ってレッスンを受けてきました。 オリジナルのデュルケンを弾かせてもらい、改めて楽器から得たものがたくさんあります。先生は17世紀オリジナルフレンチを手に入れられましたが、修復に大変な時間がかかっています。でも、もうすぐ出来るだろうから「2年後にまたおいで。」と言ってくださいました。

 また、教会の小さなオルガンも見に連れて行ってくれ、石造りの大きな空間に響くオルガンの音に感動しました。私は何も譜面を持っていなかったのですが、フレスコバルディやクレランボーを少し弾かせてもらいました。オルガンも勉強が中断したままですが、いつの日か再開して、半分まで進んだバッハのパッサカリアを通して弾きたいと思っています。

2007.8.10

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16.第22回 古楽コンクール〈山梨〉を聴いて

 4月26,27日に甲府で行われた「古楽コンクール〈山梨〉」に行ってきました。今回は伴奏もしたので、予選では全員の演奏は聴けませんでした。

 予選の順番と弾く曲は、当日の午前9時に発表されました。初期ものと(途中までというのもあった)フランスものとドイツものが細切れで計10分でした。いかに様式感を出すかが問われるな、と思いました。

 初期ものはモダン楽器から入った人には遠い存在で、最初はとっつきにくいです。私もそうでした。「シンプルなものはシンプルに」と言われるのですが、ピアノでは「歌って、歌って」ばかり言われてきたので、余計なところで歌ってしまうのです。時にはロマン派の歌い方になってしまうこともあります。シンプルな魅力がわかってきたのは、最近のことです。

 私はチェンバロ奏者ですから、どうしても通奏低音に耳が行ってしまいます。最近の傾向なのか、やたらと和音をじゃらじやらと鳴らす人が多かったです。アルペッジョ過多のように感じ、それが続くと疲れます。アルペッジョをたくさん入れるところと、あまり入れないでもっと旋律が聞こえるように通奏低音を弾くと、メリハリがつくように思いました。

 本選に残ったのは6名。予想通りの結果で、入賞者のレベルは高かったと思います。

 審査員の方々も講評でおっしゃっていましたが、自分(の世界)だけで弾いている人が多く見受けられました。つまり、聴衆とコミュニケーションをしていないということです。コンクールであれ「人に聴かせる」ということを意識しないと、と思いました。

 私は生徒の発表会を1〜2年に1度やっていますが、必ず聴衆を意識するように言っています。発表会前のレッスンでは、楽器から離れた所に座って聴きます。そうすると、音が聴衆の方に響いてくるかがわかりますから。

 人前で弾くというのはいつでも難しいことですが、音楽という「瞬間芸術」(私の大好きな演出家の蜷川幸雄氏が、よくこの言葉を使います)を聴衆と共有する、その楽しみ、喜びを忘れないでいたいものです。

2008.4.29

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17. ヨーロッパ旅行記 2008 その1

5月30日から6月11日まで、ヨーロッパに行ってきました。

 最大の目的は、ロベール・コーネン先生が6年前に手に入れた17世紀フレンチのオリジナルチェンバロを弾くためです。昨年行った時は「2年後に出来るからまたおいで」と言ってくださいましたが、今年初め「3月末に出来る」とメールが入り、今年なら行けると思い、レッスンの休みの取り易いこの時期を選びました。

 ただ、ロベール(以下、ロベールと呼ばせていただきます)からメールが入る度に完成時期が遅くなっていくので、本当に大丈夫だろうかと心配しましたが、ロベールが車でフランスのアラン・アンセルムのアトリエまで取りに行ってくれました。カプラーがうまく作動しないということで、ロベールは「10日からのレコーディング(フルート奏者の前田りり子さんの通奏低音)ではカプラーは使わないからいい」と言ったそうですが、日本から見に来る人がいるということで、アランが夜を徹して作業してくれたそうです。本当に感謝です。

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 製作者はローズ孔に「CLF」というイニシャルが入っていることからClement Le fevre ではないか、また、製作年は1650年ごろだそうです。 ふたの絵はブリューゲル調で、この時代にはブリューゲルの絵がたくさん模写され、あちこちに出回ったため、それを真似たのだろうということです。また、天使とその周りの紋様は、ルイ13世時代の典型的な装飾だそうです。

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 外装はまだ出来ていなくて、白塗りの状態でした。ジャックは新しいものを取り付け、爪はデルリンでしたが、いずれ鳥の羽軸に替えるそうです。

 二段鍵盤で音域はB〜d(但し、最低音のBと最高音のcisとdは18世紀に加えられたもの)、ショートオクターヴでミーントーンに調律してありました。ピッチはヴェルサイユピッチです。

 最初にロベールが弾いてくれたのを聴いた時、今まで聴いたことのない音色で感動しました。何と表現したらいいのか言葉が見つかりません。弾いてみると大変繊細な楽器で、弾いたら壊れてしまうのではないかと緊張しました。コピーとは全く違います。

 この楽器に最適なのはL.クープラン、ダングルベール、シャンボニエール、フローベルガーといったところでしょう。「フレスコバルディはどうかな?」とロベールが言うのでトッカータを1曲弾いたところ「うん、いけるね」と言っていました。

 新しい楽器を「語らせる」ためには時間がかかります。タッチやアーティキュレーションもどうすればこの楽器に最適なのか、試行錯誤を重ねなければなりません。どちらかというと、私が弾くのをロベールが聴いて、色々と考えているようでした。

 ロベールは「オリジナルを弾くのは重要なことだ。楽器から色々なアイデアを得られる」と言っていましたが、我々は現地まで飛ばなければならないのが辛いところです。でも、大変貴重な時間を過ごしました。

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デュルケンもまだお宅にあったので、弾かせてもらいました。

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 ベルギーの他には、松岡友子さんの住んでいるミラノに滞在しました。ミラノは留学時代に2度経由しただけで、ちゃんと観光したことがなかったのです。また、松岡さんがFrancesco Corti(昨年のブルージュ国際コンクールの入賞者)と2台チェンバロのコンサートをパレルモで行ったので、それに引っかけて、シチリア島にも行ってきました。この話はまた次回に。

2008.06.13

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18. ヨーロッパ旅行記 2008 その2

 今回はベルギーの他に、ミラノとシチリア島に行ってきました。ミラノはちゃんと観光したことがなかったので、1度訪れたいと思っていました。美術館や楽器博物館もあるので。

 絵画と音楽は密接な関係があるので、絵を観ることは大切だと思います。私はルネッサンスのイタリア絵画が好きで、講習会にも行ったことがあります。ミラノでは2日間で3つの美術館を巡りました。中でも印象に残ったのがダ・ヴィンチの「音楽家の肖像」です。

 ミラノではオルガンを弾かせてもらいました。サン・ジョアキーモ教会というところのオルガンです。私はオルガンは4台しか弾いたことがなく、こんなに鍵盤が重いのは初めてでした。特にペダルが踏んでも音が鳴らない!色々な曲を遊び弾きしてきましたが、ヨーロッパの教会の空間に鳴るオルガンの音は、やはり違いました。ミサにも与ることができました(私は本当はプロテスタントですが)。

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 ベルギー訪問後、ローマ経由でパレルモに向かいました。大都市とは聞いていたものの、すごい車とバイク(というかスクーター)の量。信号がほとんどないので、その往来の中をぬって人々が道路を渡るのですが、その度にクラクションを鳴らすので、クラクションの洪水でした。アラブ、イスラム文化が混在したものはいくつか見てきましたが、ハイライトのパラティーナ礼拝堂が修復のために完全閉館していたのは残念でした。

 パレルモに行った目的のひとつは、松岡友子さんとフランチェスコ・コルティ氏による2台チェンバロのためのコンサートを聴くことでした。キアラモンテ宮殿で行われました。21時15分開演ということで、真っ暗な時間なので、午前中に下見してきました。ガイドブックには現在は非公開と書いてあったのですが、見学することができました。誰もいなかったせいか、館内を説明しながら案内してくれました。これは、宮殿内に残された壁画です。

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 イタリアだからコンサートは時間には始まらないだろうと思っていましたが、15分遅れで開演。若い2人のエネルギッシュな演奏でした。コルティ氏は実にダイナミックで男性的、それを松岡さんが中和している感じで、いいアンサンブルでした。それぞれが1曲ずつ現代音楽をソロで演奏しました。私は作曲科出身ですから現代音楽を書いていたわけですが、チェンバロのための現代音楽には色々と思うところがあります。そのことについては、また機会があったら書きたいと思います。

 ヨーロッパ旅行ではオリジナルも弾けたし、若い人の演奏も聴けたし、パワーをもらいました。やっと家庭の事情が好転してきたので、今年の秋はいくつか演奏会をします。生徒の発表会もあります。12月には、東京では3年半ぶりのリサイタルも予定しています。

2008.6.18

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19. 発表会

 11月9日、近江楽堂で門下生の発表会を行いました。私のところでは1年半から2年おきに発表会を行っています。今回は昨年3月以来、1年8ヶ月ぶりで、16人の生徒さんが参加しました。初出場以外の方には、前回と違う国の作曲家の作品を演奏しましょう、ということにしました。

 しかし、16人の作曲家を揃えることは難しく、3部構成にしたので「1部に1バッハ」にしました。あまりマイナーな作曲家の曲を選んでも、結局面白くありませんから。また、今回は全員ソロということで、初めての試みとしてイタリアンとフレンチの2台を使いました。イタリアンではカベソン、ファーナビー、スヴェーリンク、フレスコバルディの作品が演奏されました。会場では楽器がよく鳴っていました。ただ、2台使うと調律が大変で、調律をお願いした太田垣さん(久保田工房)にはご苦労をおかけしました。

 私の生徒さんは皆さん社会人です。忙しいお仕事、家事、育児の間をぬって練習しています。なかなか練習時間が取れず、本番に間に合うかどうか心配な人もいましたが、皆さんなんとか弾ききりました。人前で演奏するということはとても集中力、精神力のいることです。音大を出ていない方が半分ぐらいいらっしゃるので、そういう方にとっては尚更大変だと思います。でも、それに挑戦することは素晴らしいと思います。

 アマチュアとはいえ、人前で演奏するということは聴衆と時間を共有することですから、独りよがりの演奏にならないようにと注意しています。皆さん、音楽と真摯に向き合う姿勢が感じられました。聴いていてゾクッとする感動を覚えた演奏もありました。

 また、毎回、曲目解説を参加者自身に書いてもらっています。これもとてもいい勉強になると思います。

 今回は参加できなかった方、また、夏ごろから始められた方もいるので、次回はさらに大所帯になるかも!? 大掛かりな発表会は準備にも時間を要するので、その間に我が家のスペースでミニ発表会を行うことも考えています。

2008.11.10

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20. リサイタルによせて

 12月4日(木)、オペラシティ3Fの近江楽堂で、3年8ヶ月ぶりのリサイタルを行います。今回のプログラムは色々な国と時代の作曲家を取り上げ、ヴァラエティーに富んだものになっています。しかし、通してみるとこれが意外に難しいことがわかりました。フローベルガーはドイツの作曲家ですが、組曲はフランスの影響を大きく受けているので、イネガルも使います。続くベームはかっちりとしたドイツ音楽に仕立てなければなりません。

 ラモーは今回選んだ曲は気分の変化には難しくありませんが、内容が濃いので精神的には大変です。続くスカルラッティのK52は和音を多用した曲で、スカルラッティとしては異例です。ここもフランスものとの切り替えが難しいです。

 リサイタルでは、1〜2曲は今まで一度も弾いたことがない曲を取り上げます。今回はフローベルガーの2曲がそうです。また、ラモーのこの3曲はかなり久しぶりに弾きます。バッハのパルティータ第3番はベルギー国営ラジオの録音で弾いたことがあるだけで、演奏会で弾くのは初めてです。第3番は6曲の中で一番地味というか渋い曲で、なかなか取り上げる気持ちになれませんでしたが、年齢とともにこういう傾向の曲が弾きたくなってきました。

 楽器は東京古典楽器センターのミートケ(ブルース・ケネディ 1995年製作)をお借りします。今まで2度練習させていただきましたが、無駄な力が一切要らなくて、とても弾きやすい楽器です。レオンハルトが来日するときに、よく使用しているものです。

 まだ、お席に余裕がございます。皆様のご来場をお待ちしております。

2008.11.27

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21.2009年は

 年が明けて早3週間が経とうとしています。
 
 今年は通奏低音のレッスンに力を入れたいと思っています。やはり数字の意味を知らないと、ソロの曲の解釈も違ってきます。生徒さんの中にはソロよりアンサンブルの方が好き、という方もいらっしゃいます。どういう形でレッスンをしていくかは考え中ですが、いずれにしても個人レッスンではなく、ある程度まとめてやりたいと思っています。
 
 そして来年は「アンサンブルの会」をしたいと思っています。生徒さんは基本的に通奏低音を弾く、という発表会です。
 
 今年の私のメインイベントは、コーネン先生の手に入れた17世紀オリジナル楽器でのレコーディングです。4月末にベルギーのアルデンヌで行います。曲はL.クープランとフローベルガーという2人の作曲家に絞りましたが、曲目はまだ確定していません。特にフローベルガーはいい曲がたくさんあります。ヴァラエティーに富みつつ統一感のあるプログラムを組みたいのですが、なかなか難しいです。また、最近は様々な版があり、曲の順番(組曲でジーグを2番目に持ってくるか)、音の選択やタイを付けるか付けないかなど、色々と決めておかなければならないことがあるのですが、なかなか決められません。
 
 演奏会ではその場で即興でやれますが、レコーディングではあらかじめほとんど決めておかないと、編集の時にとりとめのないことになってしまうので。
 
 もう少し時間をかけて練りたいと思っています。
 
 遅くなりましたが、今年が皆様にとって良い年でありますように。

2009.01.17 

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22. 第23回 古楽コンクール〈山梨〉を聴いて

4月末からのレコーディングが諸事情により出来なかったので、5月2日、3日に行われた古楽コンクールを、生徒の応援がてら、聴きに行ってきました。
 
今年はチェンバロ部門とアンサンブル部門でした。チェンバロ部門は通奏低音もパルティメント課題もなく、ソロだけだったせいか、過去最多の32名(キャンセル5名)が出場しました。
 
予選で弾く曲は(1) P.フィリップス:アマリッリ または H.パーセルの任意の組曲(6番を選んだ人が圧倒的に多かった)(2)J.S.バッハ:トッカータ ホ短調 BWV914 か ト長調 BWV916または ヘンデル:組曲 第1番か第2番 または W.F.バッハ:ソナタ 第1番 か 第6番 の2曲でした。
 
楽器はイタリアン(野神俊哉作)、フランコフレミッシュ(デュコルネ作)、ジャーマン(ケネディ作)の3台が用意されていました。
 
(1)はアマリッリを選んだ人が多かったのですが、初期バロック様式とは思えない演奏も少なくなかったです。パーセルでは、6番の3曲目のホーンパイプが3拍子の拍子感がなく、ただすっ飛ばして弾いている人がほとんどでした。
 
(2)は技巧の差が歴然と出てしまいました。特にW.F.バッハのソナタ第6番の3楽章はとても難しいですが、技巧的にちゃんと弾けていたのは一人だけでした。J.S.バッハのトッカータはホ短調を選んだ人が多かったですが、4つの部分の違うキャラクターをうまく表すのが難しかったようです。ヘンデルは第1番はピアノチックに弾いても、それなりに曲になるなと思いました。それに対し、第2番は聴かせるのが難しいと思いました。
 
コンクール半ばでフランコフレミッシュの音が狂いだし、あわてて調律したり、すぐ後にはジャーマンの爪が折れて付け替えたり、楽器のトラブルがあったのは演奏者にとってかわいそうでした。狂っている音があると「あっ、次に弾く音は狂っていて嫌な響きがしてしまう」と思って集中できなくなります。爪が折れるのは本当に事故ですが、これも音が鳴らないので、演奏者はあわてて上鍵盤で弾いていました。演奏会ではこういうとっさの判断をしなければならないケースもありますが、コンクールでは集中度が落ちるので、かわいそうだったと思います。
 
27名、全て聴いたらさすがに疲れてしまい、アンサンブルは聴きませんでした。
 
予選通過者は7名。「この人はいいものを持っているし、自分の表現したいことがわかる」と思えた演奏が少なく、私の印象としては、ミスタッチの少なかった人が残ったような気がします。
 
本選は聴かず、昇仙峡に足を延ばしてきました。普段はレッスンが詰まっていて、数日間空けて旅行をすることが困難なのでなかなか出かけられませんが、新緑ときれいな水、山など自然に触れて、リフレッシュできました。
 
コンクールを聴いて自分がチェンバロを始めた頃やコンクールを受けた頃のことを思い出し、初心に戻れたので、またレコーディングが出来ることを目指してやっていこうと思います。
 
また、しばらくお休みしていたスペース”調”の演奏会も復活させたいと思っています。
 
追記:入賞者は2位が2名でした。

2009.05.07

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23.ロベール・コーネン氏の公開レッスン

5月25、26日とわが師、ロベール・コーネン氏の公開レッスンが我が家で行われました。前日までロベール(以下、こう呼ばせていただきます)はツアーで回っていたので、1人1時間のレッスンで1日5人はけっこうハードだったようですが、もうすぐ喜寿を迎えるとは思えない元気さでした。

写真23-1(クリックすると拡大されます)

レッスンではロベールがたくさん弾いてくれて、その後に生徒さんが弾くとガラッと変わっていて、マジックだなと思いました。共通しておっしゃっていたことは「歌を歌っている時をイメージして息を吸って」「他の楽器でどう弾くかをイメージして」「これは鍵盤で弾くオーケストラの音楽なんだ」等々でした。

写真23-2(クリックすると拡大されます)

F.クープランを選んだ方が多かったのですが、クープランは曲のタイトルの訳し方が難しいです。その訳が全然違っていたこと(ある曲のタイトルの意味は私のフランス語の先生に伺っていたのですが「そんな解釈はクープランの世界にはない」とのことでした)、また、タイトルが何を意味しているかはたいして重要なことじゃないという意見が、私にとっても新鮮でした。重要なのは楽譜と最初に書いてある指示(Tendrementとか)をよく見ることであると。例えば第6オルドルには有名な「神秘な障壁」という曲がありますが、これもタイトルが何を意味しているのか色々な説があるけど、どれが本当かはわからない。でも、テンポが早すぎると失敗するということでした。FUZEAUのファクシミリ版にはタイトルの意味が書かれていますが、これはその辺の音楽学者が書いたものだからあてにならないそうです。

スヴェーリンクやフレスコバルディの曲はオルガンでも弾けますが、ロベールは元々オルガニストなので、オルガンをイメージした解釈が多かったです。「ここではストップを足すからもっと時間を取って」「ここはvoix humaine(直訳すると「人間の声」)というストップを使って弾きたい部分だから、もっと柔らかく」等々。

アンサンブルは2組ありましたが、ロベールが通奏低音を弾いてくれると音楽がスムーズに運び、通奏低音奏者の責任の重さを痛感しました。派手に右手の和音を入れるわけではないのですが、構成がとてもよくわかります。レッスンの後、打ち上げに行った時にロベールに「最近のアルペッジョをじゃらじゃら入れる通奏低音をどう思う?」と聞いたら、首を横に振っていました。

最近の古楽器界はずいぶん変わってきたようですが、ロベールのような「味のある」演奏に触れることは少ない気がします。

私も聴いている人の心が豊かになる演奏が出来れば、と思いました。

2009.5.27

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24. 教え子たちの活躍

 8月28日、府中の森芸術劇場で行われた「優美なメロディー」というコンサートを聴きに行きました。チェンバロは松岡友子さんでした。お話つきで、バロック音楽を聴いたことがない方にもわかりやすいと思いました。イタリアものだけを集めたコンサートは難しいと思いますが、プログラムに流れがあって楽しめました。私の好きなイタリアンチェンバロの響きも心地よかったです。

 夏に行われたブルージュ国際コンクール(今年はオルガン部門)では、小学生のころにピアノを、その後はソルフェージュと和声を教えていた青木理津さんが本選に残りました。オルガンを始めて5年めだそうですから、頑張ったと思います。妹の青木早希さんは昨年、シャルトル国際オルガンコンクールで優勝し、活躍しているようです。11月には東京でもリサイタルがあるので、楽しみにしています。早希さんも私のところでピアノを勉強していましたが、お姉さんと違う楽器がやりたいということで、12才の時からオルガンを習い始めました。小さいころから本番に強く、なんともいえないパワーを感じていました。

 教え子たちの活躍は嬉しいし、私も頑張らないと、と励みになります。ソルフェージュを教えた生徒はたくさんいるので、各方面で活躍しています。そういえば、桐朋の子供のための音楽教室の講師(ソルフェージュ)をしていた時に初めて教えたクラスには、今やチェンバロ界で大活躍のSさんがいました。当時はおさげ髪の中学生でしたが、とても印象に残っています。

 9月にも、入試前にソルフェージュを教えていたWさんの演奏会に行く予定です。

青木早希さんのページ

2009.8.31

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25.スペース”調”コンサート再開
 

 18日、1年9カ月ぶりに我が家でホームコンサートを行いました。今回は出会って30年目(!)のリコーダーの安井敬さんにご一緒していただきました。留学前からよく家に来ては音出し初見大会をやっていた仲間です。安井さんにはティン・ホイッスルも吹いていただきました。

 気軽な会にしようと思ったのですが、プログラムはほとんどオーソドックスなバロック音楽で、終わってみればけっこう濃密でした。ティン・ホイッスルと一緒にやったことはほんの少しありますが(パーセルのチェンバロ曲のメロディーをホイッスルが吹き、伴奏をチェンバロで弾いた)、本当のホイッスルナンバーをやるのは初めてでした。キャロラン(オキャロランとも言う)の曲を4曲演奏しましたが、元々旋律しか残されておらず、伴奏は後で現代人によって付けられたものです。ですからどのように弾いてもいいし和音もどう付けてもいいのですが、私にはアイデアがなかったので、楽譜に書いてあることを元にバロックっぽい装飾を入れたり通奏低音風にしたりと少しアレンジを加えて弾きました。

 コンサート後にはいつもお茶やワイン、お菓子を出して、時間のある方は談笑なさっていきます。楽器を間近に見られたり演奏者から説明を受けられたりする貴重な時間です。お客様から「癒されました」とか「いい時間を過ごせました」とおっしゃっていただけるのが嬉しいです。

 余談ですが、今回は堅苦しい感じにしたくなかったので、衣装はちょっと変わったものにしてみました。写真ではわかりにくいかもしれませんが、娘が働いているデザイナーズブランドショップで購入したものです。そのお店にはビジュアル系バンドが衣装に使う服も置いてあり、一般的にはあまり着られない服が多いですが(それに高い!)、ちょっと冒険してみるのも楽しいものです。

※画像をクリックるすと拡大されます。
 

 次回は2010年1月24日、初めての試みとしてモダン楽器(ヴァイオリン)と一緒にやります。モダンの世界も最近は当時の演奏や解釈に基づいて弾こうというやり方が多くなったようですが、間違った解釈もかなり根付いているようです(究極なのが「ヴィブラートをかけてはいけない」という解釈)。ヴァイオリンは妹がやっていたので身近な楽器ではありますが、自分が弾けるわけではないので、こういう音を出すにはどういう技術が必要だ、ということがなかなか伝えられないです。どういう風に仕上がるかわかりませんが、私も研究しがてら本番に持っていきたいと思っています。

2009.10.19

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26.チェンバロによる現代曲

 14日、青木早希さんのオルガンリサイタルに行ってきました。フランスものばかりのプログラムで私もほとんど知らない曲でしたが、前半45分、後半45分、集中力が途切れない素晴らしい演奏でした。

 プログラムは現代音楽が多かったです。私は作曲科出身ですから大学時代は現代音楽を書いていたのですが、実はよくわからないのです。チェンバロのための現代曲(ソロ)は、演奏会では1曲しか弾いたことがありません。アンサンブルでは4〜5回ほどあります。そのうち1曲は自分の書いた曲なのですが。オーケストラではシュニトケの作品は何曲かやりました。シュニトケの作品には急に協和音が現れたりして、ホッとさせられるところがあります。

 先日、あるチェンバリストと現代音楽の話になった時「チェンバロの曲、書いてよ」と言われました。作曲は頼まれればしないわけではありませんが、最近はお琴の曲や子供のためのピアノ曲など、現代音楽ではないものを書いていました。でも、そう言われて「う〜ん、書いてみようかな」という想いもあります。

 私は机や楽器に向かって書くタイプではなく、頭の中で考えることが多いです。それを譜面にし、どうしても音が思うように作れない箇所だけ弾いていました。今回はふっと浮かんだパッセージがあったので譜面にしようと思ったのですが、もう絶対音感がないので弾かないと書けないのです。絶対音感はないのに415のピッチでは書けない。440にしないと音が作れません。楽器の鍵盤移動を頻繁にするのはあまり好ましくないので、とりあえずピアノで音を作ってみようかと考えています。ピアノはペダルが使えるし、オルガンは音が保持出来ます。音がすぐに減衰してしまうチェンバロのために書かれた現代曲がチャカチャカした曲になってしまうのは、楽器の特性によるのかもと思っています。そこをどうクリアするのかが難しいです。

 とりあえずスケッチをためて(曲を書くときは冒頭から順番に書くのではなく、スケッチを書いてそれを並べていきます。皆さんがそういうやり方をしているのかどうかは知りませんが、学生時代はそうやっていました)、ある程度まとまったら曲にしてみたいと思っています。何年先になるかわかりませんが。

 余談ですが、学生時代にスケッチをため、ベッドの上に譜面を並べて「あ〜でもない、こうでもない」と考え、そのままにして出かけてしまったら、散らかった部屋を見るに見かねて母が掃除をしてしまい、並べたものがすべておじゃんになってしまったことがありましたっけ。

2009.11.17

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27. 通奏低音講座 実践

 11月22日、リコーダーの安井敬さんをお迎えして、通奏低音の実践を行いました。

 初めてアンサンブルをする方、今まで経験のある方とレベルは様々でしたが、皆さんきちんと合わせられました。

 初心者にとって難しいのは、きちんと拍を守らなければならないことです。ソロだといい加減になりがちな箇所も、きっちりと弾かないといけません。そしてこれは全体に言える事ですが、左手の低音が核になっていることが大事です。

 上級者の方々は、和音の種類によって目立たせたい箇所を見つけ、また、どうやってメリハリをつけるか(たとえばクレシェンドの仕方)等を勉強しました。また、管楽器とやる時にはブレスが重要になってきます。鍵盤楽器は物理的には息をしなくても弾けますが、本来はブレスをしながら弾くものです。これが意外と知らない人が多く、「本当に息をするのか、しているつもりでいいのか」と質問されたこともあります。歌っている、または管楽器を吹いているつもりで、本当に息をするのです。それを体験できたいい機会だったと思います。

 来年の発表会「アンサンブルの会」も予定が決まりました。歌、リコーダー、バロック・ヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバのプロの奏者をお迎えし、ヴァラエティーに富んだ発表会になりそうです。

 翌23日は、安井さんの生徒さんに私が通奏低音をつけるという会を行いました。

 普段はなかなか通奏低音と合わせる機会はないそうなので、どこでどんな和音が鳴っているのか、またどこがカデンツで終わり、どこからフレーズが始まるかを体験できたと思います。それがわかると旋律の演奏の仕方も変わってきますから。全部で16曲お付き合いし、ちょっと疲れました。通奏低音は数字を読みながら弾くという点で目を酷使するので、それもなかなか大変でした。

※画像をクリックるすと拡大されます。

 今週末はモダンオケの仕事ですが、アリアだけ半音下げることになり(歌手がいつも古楽器とやっているので、a=415でないと歌いづらいそうです)、ハ長調の曲がロ長調になり、転調しているホ短調のところは嬰ニ短調になり、ダブルシャープも出てきて頭が混乱しています。こういう調性で通奏低音を弾いたことがないので・・・。

2009.11.24

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28. 「2010年は」

 あけましておめでとうございます
 
 今年1年が皆さまにとって良い年でありますよう、お祈りいたします。
 
 今年最初のコンサートは24日に行うホームコンサートです。
  
今回は初めてモダン楽器と一緒にやります。ご一緒する井上直子さんは大学の同期ですが、高校(都立の普通高校です)でも同級生でした。時を経て一緒に演奏できるというのは、感慨深いものがあります。
 
 私にとってちょっと困っていることはピッチの問題です。モダンですから442ですが、通奏低音ならモダンピッチで弾くこともあるけれど(オーケストラの仕事などで)、ソロをモダンピッチで弾くことは滅多にありません。ですから慣れないと弾けないのです。ずっと442にしておきたいですが、レッスンはやはり415でないと・・・。
 
 寒い季節ですから朝は部屋の温度も下がっていて、18℃に上げるのに時間がかかります。それから調律をしますが、日々違うピッチで違う調律法にするのも大変です。そこで平均律にして鍵盤移動だけにしようと試みましたが、442でも平均律は気持ち悪くて弾けません。本番は1/8にする予定です。
 
 今年前半の一番の仕事は発表会です。生徒全員が通奏低音やオブリガートを弾く「アンサンブルの会」にします。旋律楽器奏者4名はプロの方にお願いしました。生徒さん達はプロの方とご一緒出来る機会は滅多にないと、とても張り切っています。リハーサルの段取りやプログラム作り(毎回、曲目解説を生徒さんに書いてもらっています)など、雑事がたくさんありそうですが、私は裏方に回って皆さんに楽しんでいただけたら、と思っています。
 
 大変な仕事を引き受けてくださったプロ奏者の方々には感謝です。

2010.01.07

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29. 趣味の話

今回は音楽の話は少し置いておき、趣味の話です。

音楽家は9時〜5時で仕事をしているわけではなく、演奏会の前になると「あの部分はどう弾こうか」などと1日中考えていることも多いので、オンとオフの切り替えが難しいです。気が向けば突然夜の11時にさらうこともありますし。よく「音楽家は趣味と実益を兼ねていていいわね」と言われますが、音楽はまったく趣味の領域ではありません。

では、リラックスタイムに何をしているかといえば、私にはこれといった趣味はありませんが、スポーツ観戦は子供の頃から好きです。生で観戦するのは稀で、ほぼテレビ観戦ですが。

最初に興味を持ったのは大相撲です。父(学生時代はフィールドホッケーの選手だったそうです)が好きでよく見ていたので、私もつられて見るようになりました。贔屓の力士というのもいましたが、私が一番注目したのは、土俵に上がって塩をまいて見合って、ということを繰り返していく中で、いかに集中力を高めるかということです。小学校低学年の頃からそういうことに興味を持って見ていました。最近の大相撲は何かと騒がしく、興味は薄れました。

そして忘れられないのが東京オリンピック。

マラソンコースが甲州街道を走り、私の住んでいる調布市内で折り返し、また戻ってくるというものでした。私の通っていた小学校は甲州街道沿いにあるので、マラソンの日は授業は休みで、みんな歩道に出てマラソン観戦をしました。背の小さかった私は一番前のかぶりつきの席で見ました。2年生だったのですが、アベベの姿は今でも脳裏に焼き付いています。

身体が小さくてスポーツが出来なかった私にその楽しさを教えてくれたのは、小学校4〜6年生の時の担任の先生です。体育がご専門で、定年後にJOCの委員を務められました。それまではピアノが弾けるということで先生たちに優遇(時には冷遇)されてきた私を、特別扱いせずに可愛がってくれました。泳げるようになって、自分でスポーツをする楽しさを覚えました。小学校の卒業文集に「20年後の私」という題で作文を書いたのですが、私は「水泳でオリンピックに出て金メダルを取りたい」と書きました。もちろん「夢のまた夢」でしたが。

中学、高校と部活でスポーツをやっていましたが、音大に入ってからスポーツとは縁遠くなりました。今では事情が違うみたいですが、私が子供の頃、音楽家を目指す子は体育の授業は見学をしていたのです。怪我をすると危ないからです。そういう人たちが多い中でスポーツの話題は出ませんでした。

今では自分がスポーツをすることはほとんどないですが、見るのは大好きです。個人競技が好きで、水泳、ゴルフ、マラソン、テニス、卓球、そしてお正月は箱根駅伝です。ただスポーツ中継は土、日の昼間から夕方が多いので、レッスンと重なってしまい、なかなか見られないのが残念です。

中でも興味を持っているのはフィギュアスケートです。トリノ五輪以降、かなり詳しいことまで勉強しました。何故フィギュアスケートかというと、音楽とともに滑ることもありますが、自分の滑走時間までに集中力を高めなければいけない、名前をコールされたら出て行って滑らなくてはならない、というところが、舞台に出る私たちの仕事と似通っているからです。集中力を高めるというのは難しく、高めようと思っても高まらないこともあるし、逆に特別なことをしなくても平常心でいられることもあります。また、直前までなんでもなかったのに舞台に出たら頭が真っ白になったり、と色々経験してきました。ですから、自分がリンクに立っているような気持ちになってしまいます。

今回のオリンピックでは男女ともメダルが期待されているだけに目が離せません。男子も好きな選手はいますが、女子はとても応援している選手がいるので、本当にドキドキものです。

スポーツも自分を限界まで追い込みます。そういう姿に私はパワーをもらえるのです。

2010.02.18

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副嶋恭子 k-soejima@mbc.ocn.ne.jp


初期鍵盤楽器製作家・演奏家副嶋恭子