bogomil's CD collection: 031

ショパン、にがいかしょっぱいか

J. Field: Nocturns

 ある日POPサーバにアクセスすると、一通のおかしなメールが届いていた。タイムスタンプが「July 10, 2020」となっている。どうやら、インターネットの中には時空間のトポロジー的歪みがあるらしく、未来のメールが紛れ込んできたようだ。なかなかおもしろい内容なので、今回は筆者が未来に書くであろう原稿をお届けする。

〈begin〉

 久しぶりにおもしろい音楽映画を見た。タイトルは『悲しみのノクターン』。例によって日本の配給会社はなんともセンチメンタルな題をつけたものだが、原題は"Frederic and John"。ノクターンとフレデリクといえば、すぐ見当がつく。そう、フレデリクとはショパンのことだ。ではジョンの方はというと、アイルランドの作曲家ジョン・フィールド。ショパンにくらべればずっと知名度は低いが実在の人物だ。音楽史の本には「ノクターンの創始者としてショパンに影響を与えた」などと書いてある。

 さてこの映画には史実とは違う部分や原作者の想像によって作られている部分があり、シェーファーの『アマデウス』と同様、あくまでフィクションとして見なければならない。ただショパンがパーティーで人の物真似をしてウケるところなど当時の記録に残っているし、結構、如才なく振る舞っているところも、あながちフィクションとはいえない。一方事実上この映画の主役といえるフィールドの描き方も面白い。冒頭に出てくるクレメンティにコキ使われるシーン。舞台がイギリスということもあってディケンズの小説を思わせるが、これは事実だったようだ。

 ただ筆者としては、原作者が『アマデウス』のサリエリの描き方と同様に、最終的にフィールドをショパンよりも才能のない作曲家として評価しているところが気に入らない。映画には出てこないが、フィールドのピアノ協奏曲第7番ハ短調の第1楽章には、ショパンのop.9-2によく似たエピソードがある。この協奏曲はパリで1823年の12月25日に演奏されている。

 このクリスマスの演奏会はパリでは重要な催し物だったそうで、シューマンやショパンも聴いている。興味深いことに、ショパンは「フィールドの弾き方は嫌いだ」というようなことを手紙に書いているだけで、この曲そのものについての感想は述べていない。しかしシューマンは好意的に批評している。後にフィールドがこの部分だけを取り出して、《ノクターン第12番》としていることも考えあわせると、当時このエピソードの部分は好評だったのかもしれない。

 現在の感覚からすれば、確かにフィールドの音楽は地味で、和声や旋律にショパンほどのおもしろみはない。しかしだからといってフィールドを二流の作曲家と評するのは、現代人の傲慢だろう。当時のレルシュタープという批評家は次のように言っているくらいだ。

 「フィールドがほほえむと、ショパンは意地悪く顔をゆがめる。フィールドがため息をつくところでショパンはうめく。フィールドが肩をすくめるところでショパンは身体全体をよじる。フィールドが料理にちょっと薬味を加えるところで、ショパンは粉唐辛子をひとつかみふりかける。つまり、フィールドの魅惑的なロマンツェをゆがんだ凹面鏡の前に置くとあらゆる繊細な表現が雑なものになる。それがショパンの作品だ。我々は、ショパン氏が自然に帰ることをひたすら願うものである。」

この批判は、新しい音楽がなかなか受け入れられない例として読むこともできるが、筆者はレルシュタープを、ショパンを理解できない頭の硬い保守主義者として片付ける気にはならない。「フィールドのあっさりしたところも、なかなかいいじゃないか」という気持ちも理解できるからだ。

 料理の味つけの場合、ある人が塩味がちょうどいいと感じても、それを薄いと感じる人もいれば、塩辛いと感じる人もいる。同じことが音楽にもいえるのであって、レルシュタープはさしづめ薄味好みの批評家だったわけだ。現在の我々は圧倒的にショパンを聴き慣れているからフィールドを聴くとなんとなく物足りなく感じるが、もし我々がショパンを知らずにフィールドをずっと聴いてきたなら、逆にショパンを「くどい」と感じたかもしれないのである。

 もっともこの映画の音楽上の細部をあまりあげつらうべきではないかもしれない。英仏海峡トンネルが開通し、多少歩調の乱れはあるものの、欧州統合が実現した現在だからこそ、アイルランドとポーランドという複雑な、そしてある意味で不幸な歴史を背負った国の音楽家を題材とした映画が作られたといえるだろう。なお30年前の1989年発売の旧フォーマットのCDだが、フィールドのノクターンはChandos CHAN8719/20、ピアノ協奏曲はSOUND 3414で聴くことができる。

〈end〉


【付記】
 フィールドのノクターンを当時のクレメンティのピアノ会社が製作したスクエア・ピアノで演奏したCDが1995年に発売された。この新しいレーベル、これまでに7枚、歴史的楽器で演奏したピアノ曲のアルバムをリリースしている。

・Three Square - John Field Nocturnes - Joanna Leach (ATHENE ATH CD1)
・Haydn Sonatas and F minor Variations - Joanna Leach (ATHENE ATH CD2)
・Four Square - Recital - Joanna Leach (ATHENE ATH CD3)
・Clementi on Clementi - Clementi Sonatas - Peter Katin (ATHENE ATH CD4)
・Schubert Impromptus - Peter Katin (ATHENE ATH CD5)
・Schubert - Die schone Mullerin - Richard Edgar-Wilson, Joanna Leach (ATHENE ATH CD6)
・Schubert - Drei Klavierstucke/ Moments Musicaux/ Valses Nobles - Peter Katin (ATHENE ATH CD7)

1989/9 last modified 2008/10


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