bogomil's CD collection: 2001
137-148

※このページは以下の12編のエッセイを収録しています。

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スゴイ音楽 !
---ペンデレツキ《ルカ受難曲》

2001.01

 クリスマスは12月25日。これはわが国でも広く知られているが、同じキリスト教の祝日でも、復活祭(イースター)がいつか、となると一般にはほとんど知られていない。

 もともとキリスト教の典礼・礼拝では、毎年11月から翌年の5月にかけてキリストの生誕から受難、復活、昇天をたどっていく。12月25日のクリスマスもその一環だ。そして本来的な意味ではクリスマスよりも重要といってよい復活祭は「春分後の満月直後の日曜日」に行われることになっており、3月から4月のいずれかの日曜日になる(今年は4月15日)。「何月何日」と決められていないので、わが国では一般に広く知られるまでになっていないのだろう。

 さて、この復活祭の直前の1週間(聖週間)に、教会ではキリストの受難を記念する典礼や礼拝が行われる。現行のローマ・カトリック教会の典礼では、復活祭の1週間前の日曜日(枝の主日)に『マタイによる福音書』の、火曜日には『マルコによる福音書』の、水曜日には『ルカによる福音書』の、金曜日(聖金曜日)には『ヨハネによる福音書』の受難の部分を(しばしば複数の司祭が役割を分担して)朗読する。そして土曜日を経て、日曜日にキリストの復活を祝うのである。

 この受難から復活のプロセスは、キリスト教徒にとっては非常に重要な意味を持っている。「受難」すなわち神の子キリストがみずから十字架上で苦しみを受けて死ぬことにより、人類の罪があがなわれた、とされるからだ。このために12世紀頃からこの受難の物語をよりリアルに典礼劇として演じたり、受難曲として、荘厳な音楽劇として演奏することが広まった。

 音楽的に充実した受難曲としては16世紀後期のカトリック作曲家のラッスス、ビクトリアの作品があり、17世紀以降ではルター派のシュッツの《マタイ》、《ルカ》、《ヨハネ》の3受難曲やバッハの《ヨハネ受難曲》、《マタイ受難曲》が知られている。 

 この「受難曲」というのは音楽としてはいささか特殊な性格を持つ。題材が題材だけに、当然のことながら明るく快活な音楽ではない。苦しみと悲嘆に満ちた音楽、ということになる。

 しかしバッハの《マタイ》を聴いてみると、いささか感傷的な音楽ではあっても、今となっては受難の物語の持つ深刻さ、重みはそれほど伝わってこないように感じられる。バッハの時代には、この音楽もある程度は深刻なものだったのかもしれないが、あるいはまた当時でさえ、これは「信仰のため音楽」というよりは「受難の時期にも上演できるオペラ的な音楽作品」すなわち、ある意味で「娯楽のための音楽」として聴かれたのかもしれない。

 もし「現代の宗教音楽」としての存在理由を感じさせる受難曲を聴きたいのなら、筆者としてはポーランドの現代作曲家クシシュトフ・ペンデレツキ(1933生)の《ルカ受難曲》(1965)*1を推薦したい。これはキリスト教的な内容はさておき、純粋に音楽として聴いたとしても極めて戦慄的な作品だ。

 作曲者自身の指揮による1989年の録音*2を聴いてみよう。

 編成はソプラノ、バリトン、バスの歌手と朗読者、合唱、管弦楽。この点ではバッハの《マタイ》とほとんど同じで、オラトリオの形式をとっている。ただし《マタイ》の歌詞がドイツ語であるのに対し、こちらはラテン語の歌詞による。

 しかしもっとも大きく異なるのは音楽の語法。ペンデレツキは無調的な旋律とトーン・クラスターと呼ばれる不協和音を重ねる管弦楽の書法によって、鋭く耳に突き刺さる響きを生み出している。

 この《ルカ受難曲》は、音楽というものが人を楽しい気分にさせたり、心を慰めたり、感傷的な気分にさせるだけなく、精神的な苦痛をもたらすこともできる、ということを示した作品だ。

 あるいはまた「寒く、冷たい」、「ぞっとするほど物淋しい、荒涼として身もすくむような感じ」、「身の毛もよだつほど恐ろしい」という古典的意味での「凄さ=すごさ」を感じさせる音楽でもある。

 シェーンベルクの《ワルシャワの生き残り》(1947)、リゲティの《レクイエム》(1965)とともに「20世紀の宗教音楽」の傑作といってもよいだろう。

 特に印象的なのがラスト。無調的で不協和な、沈痛な音楽の最後に長三和音が鳴り響くのだが、調性音楽の中ではありふれた長三和音が、ここでは何とも異様に感じられる。何度聴いても恐ろしいほどに衝撃的だ。

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*1:原題は「Passio et mors domini nostri Jesu Christi secundum Lucam=ルカによる、われらが主イエス・キリストの受難と死」
*2:Penderecki: St Luke Passion( ARGO 430 328-2)

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「癒しの音楽」への疑問
---プロコフィエフ:《サルカズム》

2001.02

 最近、音楽療法に関心が高まっている。それ自体は結構なことで、今後の発展が大いに期待される。適切に用いれば音楽療法は自閉症児の治療や高齢者・障害者の機能回復に有効だし、アメリカでは犯罪者の社会復帰に役立つという研究もある。しかし一部の商品化された「癒しの音楽」など、音楽療法ブームに便乗した安直な発想にはいささか疑問を感じる。

 たとえば精神的に疲れているときや悩んでいるときには心を慰めるような音楽を聴くとよい、といわれる。これは日常の体験からも納得できることだ。しかしそれは単に音楽に逃避するだけ、一時的な気休めに過ぎないのではないか。

 そもそも精神的に疲れたり悩むのには、それなりの理由があるはずだ。仕事がうまくいかない、人間関係がギクシャクしているなどなど。とすれば、まずはこれらの原因を解消することが本来的な意味で疲れや悩みを解消することにつながる。この部分には手をつけずに音楽に慰めを求める、というのは本質的な解決にはならない。

 これは身体的な諸症状で考えてみればよくわかる。連日残業を重ねて肩がこったり腰が痛くなったりしたとき、なにやらスッとするような薬を塗れば気分が紛れるが、これはあくまで一時的な対症療法に過ぎず、そのまま無理な仕事を続ければ症状は改善されないばかりか、さらに悪化するだろう。ほんとうに治したいのなら思い切って過剰な残業をやめるべきなのだ。

 心理的なストレスによる症状の場合も同じで、原因となったストレスを取り除くことが正攻法。「それができたらねえ…」というつぶやきが聞こえてきそうだが、その努力をせずに、ただ音楽を聴くことで紛らわしていたら、やがてもっとひどい症状になってしまうだろう。

 精神的に疲れたときに心を慰めるような音楽を聴くのはいいが、そこで終わらせずに、気力を回復し問題に正面から立ち向かえる状態を目指すべきだ。実際、音楽心理学では、落ち込んでいる人にはまず慰めるような音楽を聴かせ、徐々に明るく快活な音楽を提示していくことで立ち直らせる方法が研究されているという。

 しかし市販の「癒しの音楽」や「ヒーリング・ミュージック」のCDに入っているのは、間のびしたメリハリのない音楽の連続で、ぬるま湯につかるような感じのものが多い。これではリラックスするというよりも無気力になる。こんな音楽を聴いていると、妙にものわかりよく状況を受け入れ、あきらめてしまう過剰適応あるいは敗北主義になってしまいそうだ。

 かつて権力者はしばしば宗教を用いて来世の幸せを約束し、人々に苛酷な現実を受け入れさせた。「この世でマジメに苦労すればするほど、来世では幸せになれますヨ」などというのは支配する側にとって都合のいい話なのだ。同様に「上手にストレスを解消しましょう」などと、ストレス社会そのものを糾弾せずに、ストレスを受けるのがまるで個人の受け止め方の問題であるかのように説明するのはどうもウサンくさい。

 また昨今は「他人とうまくやっていく」という現世での幸せのために、他人を傷つけない「やさしさ」がもてはやされ、他人にちょっとでも迷惑をかけると「困った人」とみなされる風潮も手伝って、自分の意志をストレートに主張することが嫌われる。

 その結果、表面的には人間関係が良好に見えても、一皮むけば互いにストレスがたまっているというねじれ現象も起こるが、これはこれで不健全。本当に不当な扱いを受けたら抗議するべきだし、場合によっては怒ることも必要だ。

 不愉快なことがあって落ち込んだ時には、ここはひとつ「癒しの音楽」の対極にあるような音楽、つまり激しい怒りを感じさせるような、攻撃的な音楽を聴いてみてはどうだろう。たとえばプロコフィエフの《サルカズムSarkazmy》作品17*。このタイトル、英語では「Sarcasms」で「風刺」、「皮肉」、「あてこすり」、「いやみ」といった意味だ。筆者はロシア語の微妙なニュアンスはわからないが、英語では「相手を傷つけようとする悪意のあるいやみ」という感じだ。

 もともとは「肉を裂く」から「肉を裂くような言葉」という意味になったというから、同じ皮肉やあてこすりでも「アイロニー irony」とは異なり、まさに「癒し」とは正反対。聴いてみると、なるほど、このタイトルが納得できてしまう音楽だ。

 ちなみに全5曲には

I. Tempestuoso
II. Allegretto rubato
III. Allegretto precipita
IV. Smanioso
V. Precipitosissimo

 という発想/速度標語が付されている。このうち、「precipita」と「precipitoso」は「大急ぎで」、「まっさかさまの」、「smanioso」は「いらだたしく、あせって」あるいは「熱狂的に」という意味だ。

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*Prokofiev - Fugutive Visions, Sarcasms, etc. Frederic Chiu.(harmonia mundi france HMU 907169)

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子離れできない母親の話
---モーツァルト:《魔笛》

2001.03

 モーツァルトの最後のオペラ《魔笛》*の物語はいささかまとまりのないメルヘン。しかし象徴的なキャラクターが登場することもあって、しばしば深読み、裏読みされてきた。ワケ知りの解釈の典型は、このオペラがフリーメーソンの思想を反映しているというもの。

 フリーメーソンとは「義務を免除された石工」。ヨーロッパでは古くから石工=建築職人の地位が高く、高度の技術を伝承して教会や城の建築に従事したため、他の商工業者に課せられていた義務を免除されたことに由来するという。彼ら建築職人は一種の職業組合(ギルド)を形成していて、厳格な入会審査と規律を要求していたが、これがやがて自由・平等・博愛を促進する思想的な組織になったらしい。

 近代のフリーメーソンは1717年にイギリス各地の石工の支部=ロッジの代表がロンドンに集まり「英国総ロッジ」を結成したときに始まるとされる。そしてモーツァルトもフリーメーソンに加入しており、その思想が《魔笛》にも反映しているのだそうだ。確かに《魔笛》にはなにやら入会儀礼=イニシエーションを思わせる試練の場面があったりする。

 しかし一見、思想的な含蓄があるようでもそれは極めて断片的で曖昧。物語のプロットにしても音楽にしても、このオペラはささまざまな要素の寄せ集めであり、その中にフリーメーソン的要素も紛れ込んだゴッタ煮といったところ。仮に当時の社会思想の味付けがなされているとしても、基本的には大衆ウケを狙った娯楽作品だったのであり、古代密儀やらフリーメーソンの思想やらも、いわばパロディとして、おちゃらけの素材、笑いをとるためのまじめくさった背景だったのではないか。

 まあモーツァルトの真意は本人に聞かなければわからないが、現代の私たちはこのオペラから、母と娘、父と娘の関係という、もう少し素朴な主題を読みとることが可能だ。母と娘というのは、いうまでもなく夜の女王とパミーナの関係。

 父と娘の関係、というのは明示されていないが、ひとつの仮定として、夜の女王とザラストロがかつては夫婦で、その娘がパミーナであり、やがて親が離婚し、娘が母方に引き取られた、とすれば納得できる(ベルイマンがこの解釈で映画化している)。

 設定を現代日本に置き換えてみると…

 自己中心的でヒステリックな母親はスナックの経営者。3人の女性を働かせているママさんで、キンキン声でカラオケを歌うのが好き。このわがまま勝手な母親との暮らしに耐えられなくなった娘は思いあまって建設会社を営む父親の元へ身を寄せる。そこにはおかしなストーカーまがいの社員もいるのだが、父親が守ってくれるし、なにより母親の過干渉よりはマシ。

 しかし母親は娘を取り戻そうと、ある晩、酔って店に泊まった大学生の青年を言葉たくみに説得する。「前の亭主が娘を帰してくれないのよねえ」とかなんとか。青年はその話を真に受けて建設会社にバイトとなって潜り込むが、娘の話を聞くうちに、母親のところへ連れ帰るべきではないと思うようになり、建設会社の正社員となるべく入社試験を受ける。

 これを知った母親は、今度はストーカーまがいの社員を抱き込んで建設会社に放火しようとするが、ガードマンに発見されてあえなく御用…

 とまあ、こんな話。

 昨今「パラサイト・シングル」なる新語も登場して、成人してもなかなか独立しない若者のことが話題になる。現在では生活水準が上がり、女性が仕事をする場も増え、結婚に対する意識も変化した結果、結婚せずに親と暮らす女性も増えてきているようだ。

 娘が親との楽な暮らしから抜け出せないケースもあるだろうが、状況はそれほど単純ではなく、親が娘をなかなか手放したがらないケースも多いのではないか。

 母親あるいは父親が娘を自分の所有物とみなすような場合は、たとえ「娘のためを思って」のことであっても本人の意志を無視して娘の人生をコントロールしようとする。結婚を認めるにしても親の気に入った相手との結婚しか認めない、結婚後も自分の近くに住まわせ、何かと干渉するようなことになりかねない。

 キタキツネの母親は、子ギツネ達が成長すると、自分を慕ってきても激しく噛み付いたり蹴飛ばしたりしてわざと追い払う。一見、子ギツネがかわいそうに見えるが、これは実は子ギツネをひとり立ちさせるため。いつまでも甘えさせていては、かえって子ギツネの自立を妨げてしまうことになる。

 人間も同じで、親は子供が成人に近づいてきたら、そろそろ自立させる方向へ持っていくべきだ。というよりは、たとえ親の目にはまだまだ未成熟に見えたとしても、心を鬼にして子供をひとり立ちさせ、世間の荒波に出すことが本来の親としての責務とさえいえるだろう。

 「まだウチの子はひとりではやっていけないから…」などというのは、子離れできない親の言いワケ。子供の自立以前に、親が自立できていないところに問題がありそうだ。

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*モーツァルト:歌劇《魔笛》クリスティ指揮(エラート WPCS-10321/2)

加筆修正:2008.09.03

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元祖音楽療法?
---クーナウ:《聖書ソナタ》

2001.04

 バッハの先輩格にあたるドイツのヨーハン・クーナウ(1660-1722)の《聖書ソナタ》は旧約聖書のエピソードを標題とする6組のソナタからなる。第2ソナタは《サウルの憂鬱が音楽によって癒される》と題された標題音楽。これは旧約聖書『サムエル記上』第16章からの物語だ。このソナタをジョン・バットがクラヴィコードで演奏したCD*1を聴いてみよう。

 第1楽章は「王の悲しみと怒り」。憂鬱あるいは悲哀を感じさせるものの、怒りはあまり感じられない。第2楽章には標題はないが、この第2楽章が「王の怒り」の表現のように感じられる。第3楽章は「元気を回復させるダビデの竪琴の歌」。軽快で明朗な長調の音楽。第4楽章は「鎮められ、満ち足りたサウルの魂」。短調でややかげりがあるが、第1楽章よりはしっかりした気分を感じさせる。

 そう、このサウルのエピソードは憂鬱症になった人物が音楽によって癒されたケース、つまり音楽療法の実例としてしばしば取り上げられる。しかしこの物語を現代の感覚で読んでしまうのはちょっと危険だ。ここには、ある種の非合理的な観念が隠されているからだ。

 『サムエル記上』第16章16節には「神から出る悪霊がサウルに臨む時、ダビデは琴をとり、手でそれをひくと、サウルは気が静まり、良くなって、悪霊は彼を離れた」*2と記されている。竪琴=ハープの類いは古代から現代の未開民族にいたるまで、広く呪術的な楽器として用いられてきた。

 このサウルの物語でも、竪琴が悪霊を追い払うために使われている。現代の精神科医や心理学者は、精神医学が未発達の時代には、さまざまな病気がしばしば「悪霊の仕業」とみなされたと解釈している。しかしこれは現在では文字通りに受け取れるものではない。

 現代の医学では、病気は病原体によるものであったり臓器の変質によるものであったりと、医学・生理学的に解明されていて、適切な医学的治療を施すことによって改善される。さらに生化学や大脳生理学などの進展によって、現在では精神的な病気でさえ、ある種の化学物質で治療できることがわかっている。たとえば躁鬱病は炭酸リチウムという極めて単純な化学物質によって治療できるという。

 古代社会や未開社会で病気の治療に音楽が有効とされたのは、このような医学的知見が知られておらず、結局のところ呪術的な方法に頼らざるを得なかったということを意味する。つまりサウルが音楽で癒されたというのは、現代的な意味での音楽そのものによって癒されたのではなく「悪霊を追い払う力を持つとみなされる音楽」によって癒されたということであり、これはまじないや祈祷で病気が治った、という話と等価なエピソードなのだ。

 現在ではほとんどの人が現代医学に信頼を置いていて、まじないや祈祷で病気が治る、と本気で信じる人は少数派のはず。それを「音楽療法」などといわれると、何かもっともらしい効能がありそうな感じがするとしたら…現代科学や現代医学の負の側面に対する反動が、人々を非合理的で非科学的な方向に逆行させるのかもしれない。

 ところで薬の効果を確かめる手段として「二重盲検法」という念の入った手続がある。

 病気の人間はただの小麦粉でも「この薬はよく効きますよ」といわれて飲めば症状が改善されることがある。このような暗示による効果(プラシーボ効果と呼ばれる)を排除して本来の薬の効果を確認するために、その薬に外見や感触がよく似ているがまったく効果がないニセの薬を用意し、投薬する医師を2群にわけ、1群には本ものを、他の1群にはニセものを、いずれも「これは有効な薬です」といって患者に与えるように指示する。

その結果、本ものを投与した患者にだけ薬の効果が明らかに現われ、ニセものを投与した患者には統計学的に有意な効果が現われない場合に初めてその薬の有効性が確認されることになる。

 音楽療法の実例は数多く報告されてはいるが、その効果は、たとえばこの「二重盲検法」のような手続で検証できるのか。あるいは「こういうケースにこういう音楽を用いると、こういう効果が現われる」というような、誰がどんな対象者に行っても同じ結果になる「再現性」があるのか。

 少なくともサウルのエピソードはこうした検証に耐えるとは思えない。これは歴史的事実ではなく、音楽の呪術的な力を述べた神話とみなすべきものなのだ。

 今後、わが国でも音楽療法が広く実践されそうな状勢だが、現代医学の一分野としての、科学的検証に耐える音楽療法と、カルト的な民間療法に取り込まれたり疑似宗教化した音楽療法モドキとは、慎重に区別されなければならないだろう*3

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*1:Kuhnau / The Bibilical Sonatas - John Butt (harmonia mundi HMU 907133)
*2:『旧約聖書』1955年改訳(日本聖書協会)による。

■追記

*3:この意味では、音楽療法はしばしば代替医療 Alternative Medicine あるいは補完医療 Complementary Medicine(いずれも「現代西洋医学領域において、科学的未検証および臨床未応用の医学・医療体系の総称」と定義される)のひとつに位置づけられる。

 ホメオパシー、菜食主義、リフレクソロジーなどのさまざまな代替医療を取り上げた『代替医療ガイドブック』の中で著者キャシレスは音楽療法についても言及しており、音楽療法はあくまで補完医療として有効であること、その効果についての明確な理論はまだ存在しないことなどを簡潔に指摘している。

 現在は「心の病い」とされているような精神疾患も、上述のようにやがてその脳神経における生化学的メカニズムが解明され、治療法が確立されていくことだろう。これが正攻法。そして音楽療法は、あくまでそれまでの代替医療、補完医療と見るべきだ。

 この点を踏まえるなら、たとえば自閉症や学習障害、発達障害の子供に音楽療法が有効だ、というようなことを軽々しく云々するべきではない。保護者が過剰な期待を持つ危険性があるし、結果的に正攻法の治療の妨げになることもありえるからだ。

■関連リンク:

・代替療法 alternative health practices

・代替医療としての音楽療法

■ブックガイド:

・キャシレス、バリー・R:2000『代替医療ガイドブック』 春秋社[原著(c)1998]

「音楽療法は立証済みの補完療法であり、多くの病状や問題に効果を上げている。治癒力はなく、いくつかの補完療法のように、重大疾患の治療法として勧められることもない。しかし、優れた補完医療法の例にもれず、幸福感や生活の質を高め、症状を軽減し、初期治療やリハビリテーションの効果を高めてくれる」(p.402)

・下條信輔:1996『サブリミナル・マインド』(中公新書1324)
 プラシーボ効果をさらにひとひねりした心理実験についての興味深いエピソードが述べられている。

加筆修正:2010.08

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100円CDの《運命》は???
---カラヤンのベートーヴェン第5を聴く

2001.05

 先日、100円ショップ(ダイソー)で文房具を買った後、なにげなくレジの横を見てびっくり!なんと1枚100円の音楽CDが並んでいるのだ。よく見るとクラシックもあり「若き日のカラヤン」というシリーズが10枚もある。なるほど、古い音源を利用したCDなのだろう。

 『ベートーヴェン』*1を手にとって裏面を見てみると、交響曲第5番と第8番が収録されていて合計演奏時間57分32秒。カラヤン指揮、ウィーン・フィルの演奏で録音年は「1946・1948」となっている。これは確かに古い。おそらくモノラル録音で、音質も悪いだろうと思ったが、なにしろ100円。ちょっとした話のネタにはなりそうなので再度レジへ行って105円を支払って買ってしまった。

 帰宅して早速、開封。ちゃんとしたプラケースに入っている。ディスクもまともで、レーベル面は日本語表記。解説はなし。タイトルシートの裏面にはダイソーが発売しているCDシリーズの一覧が印刷されているだけ。まあ、こういう点は価格が価格だけに当然といえば当然。問題は音質と演奏。期待せずに聴いてみたのだが意外な結果が…

 最新のデジタル録音に比べれば周波数レンジ(低音・高音の伸び)もダイナミック・レンジ(強弱の幅)も狭いが、「プツプツ」、「サーサー」といったノイズは意外に低く抑えられている。音質的には我慢できる、というよりも音楽がきちんと伝わってくるだけのクォリティは確保されているといってよい。演奏そのものもさすがにカラヤンだけに、一定の水準はクリアしているし、決して古さを感じさせない。現代でもじゅうぶん通用する演奏だ。

 試しにフルトヴェングラー/ウィーン・フィルが1954年に録音した同じ第5のCD*2を聴いてみる。音質はダイソーと大差なく、むしろフォルテの部分での「ブツッ」というノイズが気になる。演奏については評価がわかれるだろうが、全般にカラヤンの方が速め。フルトヴェングラーはよくいえば重厚だがちょっと重たい感じがする。

 ただし、筆者がこう感じるのは、最初に聴いた第5が、カラヤン/フィルハーモニアの演奏だったからだろう。鳥のヒナが最初に見たものを親鳥と認識する「刷り込み」のように、私たちも最初に聴いた演奏をいわば「親演奏」として認識し、自分なりの「標準」として記憶してしまうのかもしれない。

 さて、このダイソーの100円CDをどう評価するべきか、ちょっと考え込んでしまった。音質は現在の水準からすれば決してよいとはいえない。透明で鮮度の高い響きを求めるファンには薦められない。この意味では「安かろう、悪かろう」という感じもする。

 しかし音楽の場合は古くて音質が悪ければすべてダメというわけではない。演奏がよければ「歴史的名演」となるわけで、このCDをコレクションに加えたくなるようなカラヤン・ファンやベートーヴェン・ファンも存在するだろう。実際、SP盤以前の古い録音でも、名演とされる演奏は今でもCD化されて聴かれている。トスカニーニやパッハマンのファンも存在するのだ。

 数年前には新録音で1枚1000円(秋葉原では750円)のナクソス・レーベルの出現に驚かされたが、この100円CDもかなりのインパクトがある。デフレもここまできたか、と複雑な心境になってしまう。しかしこういった見方はクラシック・ファンの立場、それもちょっとマニアックな世界の話で、100円CDの趣旨とはちょっとずれているかもしれない。100円クラシックCDは、むしろクラシックの本来の意味での大衆化という点で評価するべきだろう。

 21世紀の現在、世界のほとんどの地域ではすでに封建的あるいは絶対主義的な王制や貴族社会は解体しているし、存在しても昔日の輝きを失って芸術の庇護者とはいいがたい。大富豪は依然として存在するがあまり表舞台には登場せず、文化的貢献度は低い。つまり、今やふつうの庶民が主役の時代。

 こういう時代に、クラシック音楽に高級感や上流イメージを付与するのはいささか時代錯誤で滑稽でさえある。また蘊蓄(うんちく)を傾けて作曲家の人生や思想を論じたりする教養主義もエリート意識に通じ、一段高いところから一般大衆を見下しているように感じられるとすれば庶民には歓迎されないだろう。

 この意味で、筆者としては「解説なし、100円」のクラシックCDに拍手したい気持ちがないわけではない。ただ果たしてこのシリーズが定番ロングセラーとなり、あるいはさらに過去の名演奏がシリーズ化されて発展するのか、あるいは一過性のアダ花に終わるのか、現時点ではまだ何とも判断がつかない。

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*1:クラシック音楽6“若き日のカラヤン”ベートーヴェンCD No.6 発売元ザ・ダイソー
*2:東芝EMI TOCE-11004

【追記】
 ダイソーの100円クラシックCDはその後も販売されている(2005年11月現在)。

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音楽は嘘がつけない
---グリエール:《コロラトゥーラ・ソプラノと管弦楽のための協奏曲》

2001.06

 電子メール(以下メール)が携帯電話で送受信できるようになって飛躍的に普及し、それに伴って最近ではさまざまな社会問題も生じてきている。最近マスコミをにぎわしたのが「出会い系サイト」に関連した事件。ついには殺人事件まで起こってしまった。

 携帯電話がメールを扱えるようになる前は、伝言ダイヤルを使って似たような事件が起きたが、こういう事件が起こると、まずはニュースキャターや解説者たちが「町中で声をかけられても、初対面の人にすぐには付いていったりしない。それと同じことがインターネットの世界でもいえる」とコメントする。

 確かに基本的にはそうなのだが、声による町中でのいわゆる「ナンパ」と、文字だけのメールによる場合とでは大きな違いがある。

 文字だけのコミュニケーションはしばしば誤解を招く。文字だけのコミュニケーションといえばかつては葉書や手紙で、これらには一定の書式、スタイルがあった。単なる形式との見方もあるかもしれないが、この書式があるために不必要な誤解を免れていた面もある。ところがインターネットのメールでは、この手紙の書式が使われず、しばしば会話調の話し言葉の文章が使われる。

 これはかつてアメリカや日本でインターネットやパソコン通信の通信速度が遅く、料金が高かったために、文章をできるだけ簡潔にする必要があったことに起因する。たとえば「それはさておき」を意味する「By the way」はスペース込みで10文字分だが、これを「BTW」と略して3文字として時間と費用を節約したのだ。

 しかし本来、実際の会話では言葉の言語的意味だけが伝達されているのではない。声の調子、抑揚、間合いの取り方などの微妙なニュアンスから、表情、身振りなどの情報が総合されて伝達され、言葉を補っているのだ。

 メールではこれらの非言語的なニュアンスがすべて欠落する。ところが読み手は抽象的に文章の論理だけを読むことができない。ではどうするのか。欠落したニュアンスを無意識的に自分の想像で補って読んでしまうのである。これが、メールのやりとりが、実際の会話では考えられないような大きな誤解を生む原因となる。

 このためにメールによって人間関係がうまくいかなくなったり、ウェブページ上の各種掲示板で言い争い(ネット喧嘩、フレーミング)が絶えない、という状況が生じている。

 ネット恋愛というのも、これまた想像によって補われる部分が多く、お互いに自分の都合のよい相手のイメージを肥大化させてしまうと非常に危険だ。おそらくうまくいくケースよりも失敗するケース、こじれるケースの方がはるかに多いと思われる。

 気持ちや感情を表現するために顔文字なるものも使われているが、パターンが限定されていて、とても実際の会話でのニュアンスは表現できない。

 「IT革命」とやらでインターネットのビジネスでの利用も喧伝されているが、ネットショップは意外に商売になっておらず、以前に紹介したアメリカの通販会社CD Worldもいちどつぶれてしまった。企業間の取引も、重要な商談はまだまだメールでは成功しないだろう。

 恋愛にせよビジネスにせよ、実際に会って、生身の声で相手と話して初めてコミニュケーションが成立するのだ。つまるところ、日本語や英語といった自然言語からコンピュータ言語にいたるまで、言語は論理的な内容の伝達には適しているが、感情の機微や気持ちを伝えるコミュニケーションの手段としては、はなはだ不完全なもの、ということになる。

 ところで音楽において言語が問題となるのは歌。私たちはふだんは何の疑問もなく「歌には歌詞がつきもの」と考えている。しかし、ほんとうにそうなのだろうか。

 誤解のないように付言しておくと、筆者はシューベルトやシューマンのリート、フォーレやデュパルクの歌曲に疑問を呈しているわけではない。すぐれた詩とすぐれた音楽の融合の例は多い。しかしそれでも歌詞=言語が音楽を束縛し、音楽のもたらす自由な感興を制限し、矮小化しているように思えることがある。

 いっそ、歌から歌詞を取り去ってみたらどうか。ということで今回紹介するのはヴォカリーズを集めたCD*。まずは定番のラフマニノフの《ヴォカリーズ》op.34-14。何度聴いても心にしみる名曲だ。他にもラヴェル、サン=サーンス、グラナドスなどのヴォカリーズが収録されていて、それぞれ面白く聴けるが、圧巻はグリエールの《コロラトゥーラ・ソプラノと管弦楽のための協奏曲》ヘ短調 op.82。歌詞がないにもかかわらず多くを語る曲だ。

 これらのヴォカリーズ作品を聴いていると、名ヴァイオリニスト、メニューヒンの「音楽は嘘がつけない」という言葉が強く実感される。

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*ナタリー・デッセー/ヴォカリーズ (東芝EMI TOCE-9725)

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エスタンピーからタンゴへ
---ピアソラ:《チキリン・デ・バチン》

2001.07

 昨今の日本では、パイプオルガンとえばコンサート・ホールの楽器、あるいは結婚式場のチャペルの楽器といったイメージだろう。もっとも後者の中には、パイプが発音するのは2〜3ストップだけで、他は電子的に発音するハイブリッド・タイプもあれば、実は電子オルガンで、音の出ないパイプが数十本、飾りとして並んでいるだけ、というのもあるから要注意だ。

 結婚式場のチャペルとパイプオルガンの結びつきは、オルガンにキリスト教の「教会」のイメージが強いことによる。海外旅行好きの人なら、パリのノートルダム、ロンドンのセント・ポール、ウィーンの聖シュテファンなどヨーロッパの大聖堂の大オルガンを思い浮かべるかもしれない。

 さてパイプオルガンの響きといえば、まずはバッハのニ短調《トッカータとフーガ》の冒頭部分か、ト短調《小フーガ》が典型的。いずれも2段以上の手鍵盤と足鍵盤を備えたオルガンで演奏されることが多く、しばしば鋭い倍音を含む華麗な響きとなる。これらのバッハのオルガン作品も、教会や王侯貴族の私設礼拝堂で演奏されたもので、キリスト教のイメージが強い。

 ところが、現存する最古のオルガン曲は、意外なことに教会音楽ではない。筆者が知る限り、楽譜が現存する最古のオルガン曲は1320年頃にイギリスで書かれたとされている『ロバーツブリッジ写本 Robertsbridge codex』(大英博物館蔵)に収められているもの。

 5線の譜表に初期の定量記譜法(音符の形状で音の長さが区別される)を用い、一部音名を示す文字によって記されているのだが、これは「エスタンピー」と呼ばれる中世の舞曲、つまりダンス音楽なのである*1

 西欧キリスト教では、ごく一部の地域と時代を除いて教会での舞踏は禁止されていたから、このエスタンピーは教会のオルガンで演奏されたのではない。宮廷あるいは裕福な階層の館で、ダンスの伴奏として演奏されたものだ。

 そう、教会以外でもオルガンは用いられていたのである。こういったオルガンを「教会オルガン church organ」に対して「世俗オルガン secular organ」と呼ぶ。もちろん、14世紀以前にも教会にオルガンはあった。ただ、初期の教会のオルガンはグレゴリオ聖歌や合唱曲をなぞるような使われ方をしており、独立した器楽曲としてオルガン曲が作られることはなかったのだ。

 さて世俗オルガンには比較的小型のものが多い。1オクターブ程度の音域で20本ほどのパイプを備え、膝の上にのせて左手でふいごを操作して送風し、右手でボタン式鍵盤を押して演奏するものがしばしば14〜15世紀の絵画に描かれている。このタイプは「持ち運びできる」という意味でポルタティフ(ポータブル)オルガンあるいはオルガネットなどと呼ばれた。

 4オクターブ程度の音域を持ち、ひとりでは持ち運びはできないが、数人で移動可能なオルガンはポジティフ(ポジティブ・オ)ガンなどとよばれ、このタイプのオルガンも、しばしば世俗オルガンとしてダンスの伴奏に使われた。

 前述のエスタンピーを聴いてみると、反復が多く、いささか退屈してしまう。これはやはりダンスの伴奏であって、聴くための音楽ではなかったのだろう。

 さて舞曲=ダンス音楽といえば、このエスタンピーから約400年後にはバッハがアルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグなどの舞曲からなる組曲を書き、さらにショパンがワルツやポロネーズ、マズルカを書き、そしてタンゴが登場する。

 アルゼンチン・タンゴは19世紀末、南米アルゼンチンの港町ブエノスアイレスの貧しい地域で誕生した。そして世紀の変わり目ごろにドイツからバンドネオン(アコーディオンの一種)が伝わって、器楽としての発展が始まる。

 このバンドネオンがタンゴの性格を決定したといってよいのだが、筆者にはこのバンドネオンが中世のポルタティフ・オルガンに重なり合って見える。どちらも手で風を送り、ピアノ式の支点のある鍵盤ではなく、押しボタン式の鍵盤を備えているからだ。

 近年、日本でもアストル・ピアソラのタンゴが一部で再評価されている。そこで今回紹介するのは、ピアソラのヒット曲《チキリン・デ・バチン》。もともとはバチンというレストランに来ていた4才の花売りの少年(「チキリン」とは、「坊や」、「小僧」といった意味の少年に対する呼称)を歌った悲しい歌で、ピアソラのバンドネオンでゴジェネチェが歌うと心が揺さぶられるが、ちょっと泥くさい。

 ここはひとつ、クラシック風アレンジの弦楽五重奏をバックにしたアルフレッド・マルクッチのバンドネオン*2で聴いてみよう…しかし、これもじゅうぶん泣かせる音楽だ。

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*1:中世・ルネサンスの楽器(東芝EMI/Ymanao Music YMCD-1031-32)
*2:Timeless Tango(Channel Crossings CCS 10997)

last updated: 2016.09.07

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あんな本はいらない
---ペツォルト:2つのメヌエット

2001.08

 一般に「バッハ作」といわれている2曲のかわいらしいメヌエット。ひとつはト長調で「レ、ソラシドレ、ソ、ソ」で始まり(BWV Anh. 114)、もうひとつはト短調で「♭シラソラレレ」で始まる(BWVAnh.115)*1。よく「バッハ小品集」といった曲集に収められていて、シンプルながら魅力的な曲。筆者もかつては、さすがバッハ、単純な構成でも奥が深い…と思っていたが、どうもこれは勝手な思い込みだったようだ。

 この2曲を書いたのは実はバッハ(1685-1750)とほぼ同世代のドイツのオルガニスト・作曲家、クリスティアン・ペツォルト Christian Petzold(1677-1733)。最近の欧米の楽譜やCDでは、この2曲はペツォルトの作と表記されるようになってきている。ではなぜ、この曲はバッハの曲になってしまったのか。

 バッハは1707年、マリア・バルバラ・バッハ(1684-1720)と結婚した。彼女はバッハの祖父の弟の孫娘にあたる。彼女との間にバッハは7人の子供をもうけたが、医学が未発達の当時は、幼児の生き延びる確率は低く、3人は生後すぐあるいは1才に達する前に死んでいる。それでも長男ヴィルヘルム・フリーデマン(1710-84)、次男カール・フィリップ・エマヌエル(1714-88)など4人は成人し、次男は後に父をしのぐほどの名声を得ることになる。

 しかしバッハがケーテンのレオポルト公に仕えていた1720年にマリアは急逝する。しかも、そのときバッハは公のお供で保養地に行っており不在だったという(ある研究家は、このときバッハが妻を失った悲しみから《半音階的幻想曲》を作曲したというが、これはいささか感傷的な憶測だろう)。

 そしてバッハは1721年に再婚する。相手はアンナ・マグダレーナ(マクダレーナ)・ヴュルケン(1701-60)で、レオポルト公に仕えていた歌手だった。ある研究家は、マリアの死後1年の再婚というのは当時としては遅く、マリアに対するバッハの愛情を示している、という。まあ、当時の社会慣習はそうだったのかもしれない。

 バッハはアンナとの間に13人の子供をもうけるが、その多くも幼くして死んでいる。成人し音楽家として名を残したのはヨハン・クリストフ・フリードリッヒ・バッハ(1732-95)とヨハン・クリスティアン・バッハ(1735-82)。フリードリッヒは地方貴族に仕えて地味な生涯を送り、クリスティアンはイタリアを経てロンドンに渡り、一時は大いに人気を得た。

 さてバッハは1722年と1725年の2回、アンナに小さな楽譜ノートを書き与えた(一部は彼女も書いたらしい)。これがいわゆる『アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帖』で、1725年のものには《フランス組曲》第1番、第2番や《平均律》第1巻のハ長調前奏曲、《ゴルトベルク変奏曲》のアリアなど、有名な曲が含まれている*2

 そして例の2つのメヌエットも、この音楽帖に記されていたためにバッハの作とみなされてしまったのだ。もちろんこの2曲は味のある小品で、バッハの作ではないからといって、いささかもその価値が下がるものではない。今後はペツォルトの作品として正当に評価されるべきだろう。

 ところで、おそらくこの『音楽帖』の存在に触発されて、偏執的なバッハ崇拝者と思われる人物がとんでもないものをデッチ上げた。アンナがバッハの死後、夫を偲んで書いたという体裁の『バッハの思い出』である。

 これは1925年にロンドンで出版され、音楽ファン、バッハ・ファンにはけっこう読まれたようで、邦訳もある。しかしこれはエスター・メイネルEsther Meynellが書いたフィクション。エスターというファーストネームから女性と考えられ、バッハの熱烈な崇拝者がアンナになりきって書いた、という印象を受ける。

 バッハの死後7年後に思い立って書いたにしては記述が詳細すぎるところがあって不自然。また事実関係は1925年時点で得られる情報、たとえばフォルケルやシュピッタなどのバッハ評伝を引き写しているようで、その後明らかになった事実関係は当然書かれていない。フィクションとして読めば問題はないのだが、日本ではまだ「アンナ・マグダレーナ・バッハ」の名で出版されているので敢えて注意を喚起したい。

 アンナがバッハに恋し、結婚にいたるまでを描いた第1章など、過剰にロマンティックで「慎ましいが情熱的な女性のひたむきな愛」の記述の連続で笑えるし、特に邦訳では日本女性の(お上品な)言葉づかいで訳してあり、これが筆者にはなんともくすぐったく感じられる。

 この『バッハの思い出』はあくまでアンナの名を借りた小説。「メイネル作」と明記されない限りは「買ってはいけない音楽書」の筆頭に挙げたい。



*1: Anhang(独語)=「付録、補遺」の略。
*2: J.S.Bach Clavierbüchlein für Anna Magdalena Bach (harmonia mundi france HMU 907042) 



【追記】
 Oxford Composer Companions J.S. Bach (1992)には「1925年、ロンドンで匿名で出版された」という記述があるが、1925年米ガーデンシティーで出版された初版にはEsther Meynellの名が明記されている。

Meynell, Esther.1925. The Little Chronicle of Magdalena Bach.  Garden City, NewYork: Doubleday, Page & Company.

※画像をクリックすると拡大されます。

 表紙。上にタイトルが、下に著者名が刻印されている。

 見返しにはバッハ家の情景を描いた絵がある。

 扉には書名と著者名。

 最後のページ

 ここには以下のように書かれている(日本語訳は筆者による)。

Those familiar with the known and authenticated
facts of Bach's life will realise that certain episodes
in this book are imaginary.


バッハの生涯についての既知の事実、
また実証された事実をよくご存じの方は、
本書のいくつかのエピソードが想像の産物であることを
理解されるだろう。

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サリガマパダニサ
---パキスタンの音楽家ヌスラットを聴く

2001.09

 私たちは映画『2001年宇宙の旅』(1968年製作)で描かれた「未来」としての2001年とはいささか異なった2001年に生きているようだ。あの映画では、2001年には成層圏を飛行する超音速旅客機が実用化されているがコンコルドは大事故を起こして将来が危ぶまれている。月面にはまだ有人基地はないし、高度な推論が可能で人間と対話できるコンピュータHAL9000も存在しない。そして、あの映画にはニューヨークの超高層ビルに旅客機が突入するシーンはない……

 今回の「同時多発テロ」の首謀者とされる人物は、イスラム原理主義の過激派指導者といわれ、どうやら現在アフガニスタンにいるらしい。そして9月末の時点で、アメリカはアフガニスタンに対して軍事行動を起こす準備を進めている。

 ところで、アフガニスタンとはどんな国なのか。基本的なデータを見てみよう*1。人口2582万人(98年、日本は99年で1億2658万人)。ひとりあたりの国民総生産はたったの200ドル(89年推定、97年の日本は3万7850ドル、アメリカは2万8740ドル)。日本に比べれば、はるかに貧しい国だ。したがって国防費も97年で2億900万ドル(同年日本は408億9100万ドル、アメリカは2729億5500万ドル)。

 教育水準も低く、初等教育在学率49%(95年)、高等教育在学率1.8%(90年)。日本はそれぞれ102%(96年)、40.3%(94年)。またアフガニスタンでは68.5%の人が字が読めない(95年)。

 平均寿命もおそろしく短い。男45歳、女46歳(98年)。「人生50年」にも達していないわけだ。これは食糧事情、衛生環境と医療の貧困、そして社会の不安定さを物語っているのだろう。ちなみに日本では男77歳、女83歳(93年)である。

 このような貧しい国を、富める国アメリカが援助するというのなら話しはわかるが、軍事的に攻撃するとしたら……もちろん筆者は今回の同時多発テロを容認しようというのではない。しかしこの事件を契機に報復的性格の強い軍事行動を起こそうとしているアメリカの姿勢もちょっと行き過ぎに思えてしまう。

 今回、ニューヨークのWTCでは多くの一般市民が犠牲となった。これは大きな悲劇だ。しかしアメリカが報復攻撃を行うなら、今度はアフガニスタンの一般市民が犠牲になるのではないか。そもそもアメリカはキリスト教徒が大多数を占める国。イエスは「右の頬をぶたれたら、左の頬を出しなさい」と教え、復讐を禁じたはずだ。

 さてこのアフガニスタン周辺の音楽はいったい、どんなものなのだろう。今回も何かと話題となっている隣国パキスタンには、最近、世界的に有名になった音楽家がいる。

 ヌスラット・ファテ・アリ・カーン。イスラム教のスーフィー派と呼ばれる一派は音楽を積極的に用い、カッワーリーという祈祷音楽を持つが、ヌスラットはこのカッワーリーを歌う専門的音楽家の家系の出身だそうで、やがてパキスタンで絶大な人気を得、さらには世界的に知られるようになった。

 彼の最後のライブ演奏を収めたアルバム『スワン・ソング』(1997年5月4日録音)を聴いてみよう*2。まずリズムのノリがいいことに驚かされる。伝統的なカッワーリーの枠内にとどまらず、電気楽器やサックスなども使い、ロックの要素も取り入れている。特にヌスラットは海外での演奏ではアップテンポに演奏して聴き手を退屈させないように配慮している。

 特徴的なのはヌスラットの音楽はリズム面でも旋律面でも反復の要素が顕著に感じられること。これは舞踏の要素であると同時に、ある種の宗教的恍惚感に結びつくものなのかも知れない。

 ところで、このアルバムの中でヌスラットが「リガリガ」とか「サリガマ」と歌っているところがある。これはインドおよびその周辺地域での音階音の呼称で、西洋音楽の「ドレミファソラシ」を「サリガマパダニ」と歌うのである。名称は異なっても、同じ7音音階が存在するのだ(ただし音階の種別はインド圏の方が複雑多岐)。

 異民族・異文化の宗教や言語の理解はなかなか容易ではないが、ヌスラットの音楽には理屈抜きにストレートに共感することができる。これは人類は「ヒト」という同じ「種」なのだ、ということを象徴しているように思える。

 同じ人類同士、助け合ってなんとか平和共存する道を探れないものだろうか。とはいえ、筆者は商業主義で儲けている音楽家が、悲惨な現実の政治的・経済的背景を直視せずに、ただ「音楽を通して世界平和を」などというきれいごとを並べたてることには偽善臭を感じるのだが。

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*1:データは『全地球資料2000年ワールド・アトラス』(集英社刊『imidas 2000』別冊付録)による。
*2:Swan Song / Nusrat Fateh Ali Khan (NARADA 72438-47857-2-7)

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リコーダー侮るべからず
---バッハ:《ブランデンブルグ協奏曲》第2番

2001.10

 読者のみなさんの中には小学校や中学校の音楽の時間に、いわゆる「縦笛」としてリコーダー(ブロックフレーテ)を演奏した方がおられることだろう。一般に小学校ではソプラノ(C管)、中学校ではアルト(F管)が用いられる。

 この楽器、学校で使われるのは合成樹脂製の安価なもので、ちょっと味気ない。またその扱われ方も「誰でも簡単に演奏できる楽器」として、いわば「簡易楽器」のイメージが強い。

 学校教育以外では、この楽器は古楽器の一種として一部の演奏家、愛好家によって演奏されているが、そのレパートリーは18世紀以前が中心で、古典派からロマン派のクラシック音楽でリコーダー用に書かれた作品は皆無といってよい。

 そもそも「プロのリコーダー奏者」をイメージできるだろうか。ブリュッヘンやペトリを知っている人はごく少数だろう。

 さて8穴のリコーダーの歴史は14世紀に遡り、ルネサンス、バロック時代には広く用いられたが18世紀後半にはすたれてしまった。その理由のひとつに、強弱の幅が狭いことが挙げられる。

 リコーダーの場合は、息の強さで音の強弱を付けることがほとんど不可能。強く吹けばピッチが上がり、弱く吹けば下がるからだ。このためにリコーダーの演奏はどうしても平板、単調になる。

 これに対して横笛のフルートは息の当て方でリコーダーよりもはるかに柔軟に強弱変化を付けることができるし、音量の点でもリコーダーを超えていたので、やがてリコーダーは衰退してしまった。

 しかし19世紀末にリコーダーは一部で復活する。まずは古楽、つまり18世紀以前の音楽への関心が高まり、当時のレパートリーを当時の楽器で、ということでリコーダーが再び用いられるようになる。これは鍵盤楽器におけるチェンバロの復興や、機械式アクションのバロック・オルガンの復興と同じ現象といえるだろう。

 さらにリコーダーの場合は古楽器としてだけではなく、教育用、家庭用、アマチュア音楽愛好家のための楽器としても用いられるようになる。そしてリコーダーのための現代作品も多少は書かれるようになった。

 それでもやはりリコーダーの表現力には限界があり、現在の音楽の要求には、アマチュアレベルの要求にさえ応えきれない、というべきだろう。ただし誤解のないように付言しておくと「リコーダーなんて大した楽器じゃない」と思ったら大間違い。決してリコーダーは「簡単に演奏できる楽器」ではない。とりあえず音は出るが、そこから音楽的な演奏を作り出すむずかしさは他の楽器と変らない。

 これはちょうど、誰でもピアノのキーを叩けば音は出るが、その音をつなげて音楽を作り上げられるかどうかは別問題ということと同じ。誰でも音が出せるからといって、ピアノのことを「簡易楽器」とはいわないとすれば、リコーダーも「簡易楽器」とみなすべきではないだろう。

 このことはリコーダーのために書かれたすぐれた作品を、すぐれた演奏家が演奏するのを聴けばよくわかる。そこで今回紹介するのは、ゴルツ/フライブルク・バロックオーケストラによるバッハのブランデンブルグ協奏曲第2番のDVDビデオ(2000年3月収録)*。

 この曲は、ヴァイオリン、オーボエ、リコーダー(アルト)、トランペットが独奏楽器として合奏全体と対比される「合奏協奏曲」の様式で書かれている。現代楽器によるアンサンブルの場合は、音量面からリコーダー・パートをフルートで演奏することもあるが、このグループのように少人数の古楽器による編成ならばリコーダーでも遜色はない。

 ちなみにこのDVDで用いられているオーボエはまだベーム式のキーが付いていないシンプルなバロック・オーボエだし、トランペットはピストンなしで、小さな指穴が3つほど付いているだけのバロック・トランペットだ。 

 さて、ここでリコーダーを演奏しているイザベル・クリーネンはなんとも見事としかいいようがない。技術の点でも表現の点でも、まさしくプロ。残念なことに日本の古楽の分野は限られた世界のために演奏家が厳しく淘汰されることが少なく、演奏家としての資質に疑問があるような「自称プロ」も散見されるのだが、クリーネンは「正真正銘のプロ」といってよいだろう。

 このDVDを鑑賞すれば、リコーダーに対する認識が大きく変わるはず。合奏全体もアグレッシブで気合いが入っている。ブランデンブルグのDVDとしては、アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス盤(1982年収録)も出ているが、筆者としては演奏の鮮度が明らかに高い点でゴルツ盤に軍配を上げたい。

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*J.S.バッハ ブランデンブルク協奏曲(TDK TDBA-0005)

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叫びとしての歌
---エリック・ドルフィー:《ファイアー・ワルツ》

2001.11

 久しぶりにエリック・ドルフィー(アルトサックス)の《ファイアー・ワルツ》*1を聴く。たまたま先日、新作の日本歌曲の発表会を聴いたばかりなので、ちょっと考えさせられてしまった。

 よく「歌は感情を表現する」といわれる。民謡、演歌、謡曲、詩吟、フォーク、ロック、オペラ・アリア、リートなどなど、洋の東西を問わず、さまざまな歌があり、そしてその多くはなんらかの感情を表現した歌詞を伴い、歌い手は感情を込めて歌う。

 しかし多くの場合、それはホンモノの感情ではなく、作りモノの感情。いわば、役者が芝居を演じるように、歌い手はなんらかの感情に突き動かされて歌っている「フリ」をしている、あるいは演じているというべきだろう。

 「演じている」という表現が行き過ぎだとしても、少なくともほとんどの場合、歌に込められるべき感情を「想像して」歌っているのであり、それは決してその瞬間のナマの感情ではないはず。

 早い話が恋の歌を歌う歌手は、歌っているその瞬間に、必ずしも実際に(歌詞が意味しているような)恋を体験しているわけではない。もちろん歌手によってはかなりの程度まで感情的に高揚することはある。しかし、それが真に迫れば迫るほど、筆者はどこか「芝居っぽさ」、「ウソっぽさ」を感じてしまう。この点ではアストラッド・ジルベルトやナラ・レオンが感情を抜きにしてクールに歌うボサノバの方が、かえってリアルだ。

 ほんとうに感情的になったら歌など歌えないのではないか。少なくとも常套句からなる歌詞に感情を託すことなどできはしないだろう。確かに言葉の「しゃべり」にもリズム、テンポ、抑揚、声色など、純粋な記号としての言語以外の音楽的要素が存在し、これらの要素は歌詞=言語では表現しきれない感情を表現するといえる。

 しかし歌詞を伝えようとする限り、歌い手にはどこかに冷静さが要求される。だから歌い手が歌詞の内容をきちんと伝えようと努力すればするほど、その歌は聴き手にとって「わかりやすくなる」反面、聴き手の意識に生起した感情を歌詞によって規定してしまい、特定の解釈を聴き手に強要することになる。説教臭くなり、押しつけがましくなるのだ。

 歌詞のない歌としてのヴォカリーズ(母音唱法の歌)やスキャットもまたほとんどの場合、作りモノ。人間のナマの叫びやうめきとはかけ離れた、様式化された声の表現で、いわば声で楽器を演じている。ここでも感情の発露としてのリアリティは乏しい。

 つまり本来、人間の感情をもっとも直接的に表現できるはずの歌が、文化的・社会的文脈からある一定の決まりごとに束縛され、限られた範囲内での「感情表現モドキ」になってしまうのだ。この点では、たとえばジェームズ・ブラウンの鋭い「アウ!」とか「ヘイ!」といった叫びは説得力があり、ウソっぽさを多少なりとも免れている。

 人はなぜ歌うのか、あるいは音楽を奏でるのか。これはとても筆者などの手には負えない大きな問題だが、そもそも「なぜ」という問いそのものが無意味で、理屈で説明しようとする愚かな試みであるような気がしないでもない。これは「人間はなぜ生きるのか」という問いと同じで、答えはあるようで結局はない。哲学者や宗教家はもっともらしい答えを提出するだろうが、しばしば同語反復か空疎な観念論になってしまう。

 さて《ファイアー・ワルツ》。ここでのドルフィーのアドリブはある意味で音楽としては支離滅裂。とてもまともなメロディーとはいえない部分もある。しかし、これはちょっと視点(音楽だから聴点というべきか)を変えて聴いてみると納得がいく。

 ドルフィーは、まさにサックスによって、言葉にならないひとり言をつぶやき、あるいはうめき、叫んでいるのだ。

 そしてこの点がなんとも不可解なのだが、筆者には彼が何かを演じている感じがしない。この瞬間にドルフィーは自分の感情をそのままサックスに注ぎ込んでいるとしか思えない。あるいは「自分の存在をサックスに注ぎ込んでいる」という感じだ。

 このことは彼の演奏の映像を見るとさらに実感できる。ジョン・コルトレーンとの《インプレッションズ》(1961年)の映像*2の中でドルフィーのアップが見られるが、これがなんとも異様。彼の演奏はドラゴンがうめき苦しんでいるかのようだ。そこに理性的な部分が皆無とはいわないが、筆者には演技ではない、根元的な叫びとしての歌が歌われているように思えてしまう。

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*1:Eric Dolphy at the Five Spot Vol.1 (NEW JAZZ OJCD-133-2 [NJ-8260])
*2:『コルトレーン・レガシー』(DREAMLIFE DLVC-1026、DVD)

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好ましい音・好ましからざる音
---エッシェンバッハの《バイエル》を聴く

2001.12

 先日、海外のニュース番組で、米軍の爆撃(誤爆)を受けて死傷者が出たアフガニスタンのある村のレポートを見た。父親を失って嘆く家族やガラスの破片で傷ついた少女が痛ましかったが、筆者がショックを受けたのは、母親(あるいは姉か)に抱かれているのに落ちつきなく身体を動かしている2〜3才の少女だった。

 ナレーションによると、彼女は家の近くに着弾した爆撃の激しい音にさらされて精神の安定を失ってしまったとのことだった。身体的にはまったく無傷だが、心に大きな傷を負ってしまったわけだ。それも「音」によって。 

 人間は音に対しては光に対してよりも無防備。光であれば目をつぶったり、目をそむければいいが、耳はそうはいかない。そして激しい音はしばしば強い恐怖心を引き起こす。身近な例では雷。突然の雷鳴に驚き、恐怖を感じた経験はないだろうか。これは聴覚が自分の身を守るために重要な役割を果たしているからだといわれる。

 たとえば私たちは目覚めるとき、聴覚によってまず周囲の音を意識する。視覚の方は目が覚めてもしばらくははっきりしないことも多いが、聴覚は即座に機能する。だから目覚まし時計は光ではなくて音を出すように作られているのだ。

 また視覚は知覚できる範囲が前方に限定されるが、聴覚は全方向からの音を知覚できる。このために聴覚は防御的な感覚器官となり、脳による聴覚刺激の情報処理もまた独特の進化を遂げてきたのだろう。そしてそのために突然の音や強烈な音は心理的に大きく影響するのだ。

 爆撃の激しい音で精神に異常をきたした少女の例は、音がいかに人間の心理に影響するかを示す極端な例といえる。そしてこれほど極端ではないにせよ、現代社会ではしばしば明確に、あるいは知らず知らずのうちに音が人々の心理に悪影響を及ぼす。

 飛行場周辺、幹線道路や鉄道線路付近の騒音、道路工事や建築現場での騒音などなど、いわゆる騒音はみな「好ましからざる音」であり、そのような騒音に継続的にさらされれば心理的に蝕まれる。

 最近、筆者が気になるのは騒音規制条例などによって比較的周波数の高い、はっきりそれとわかる騒音は押さえ込まれていても、可聴周波数の下限付近の意識しにくい低周波の騒音が発生しているケース。土木工事のブルドーザーやクレーンなどからしばしば出ている。意識される騒音は避けようとするからからまだいいが、意識されない騒音はそのまま放置されるから、慢性的な倦怠感や頭痛などの原因になることも充分考えられる。

 「日本人は虫の鳴き声も愛でるほど、音には繊細な感覚を持っている」などといわれることもあるが、各種の騒音のひどさや集合住宅の遮音性能の低さなどからすると、むしろ私たちは音に関して無神経な民族ではないのか。

 この国では音楽でさえ、しばしば騒音源になる。電車のホームの音の割れた奇妙なメロディや、夕方5時、6時に一斉に鳴る防災無線の暴力的な電子音。誰でも粗雑な演奏や不快な音を聴かされるぐらいなら、いっそ音などない静かな環境の方を選ぶはずだ。

 音楽もまた、特定の条件下では「好ましからざる音」という意味での「騒音」になりえる。どんな名曲であっても聴く人が不快に感じたら、それはその人にとっては騒音。

 もちろんルッソロの《都市のめざめ》やミュージック・コンクレートのように、一般に騒音とみなされている音を敢えて構成して音楽にする、というアプローチはアリだ。聴き手が不快に感じなければ、それは音楽になる。

 筆者がいいたいのは、人を不快にさせるような音を押しつけるのはやめましょう、ということ。

 特に無神経に演奏される音楽はしばしば人を不快にさせる。かつて、ある団地に住んでいた男性が上階の子供の練習するピアノの音に苛立ち、殺人に至った事件がある。

 確か、この男性は個人的な問題でかなり神経過敏になっていた。そんな彼にとってはピアノの音が極めて不快な音になってしまったのだ。犠牲になった子供たちに罪はないが、しかし筆者も無神経な演奏を聴かされるとしばしば不快になるから、この男性だけを非難する気にはなれない。

 プロ・アマを問わず、音楽に携わる人間はすべからく(押しつけられた)音楽は騒音になりえる、ということを認識しておくべきだろう。

 こんなことを考えながらエッシェンバッハが弾く《バイエル》*を聴いてみる。一部の基礎練習的なものはさすがに音楽として聴く気になれないが、ほとんどは鑑賞に値する名演。

 あのバイエルがここまで音楽的になるとは…驚異的かつ衝撃的だ。同じ曲でも、演奏によって不快な騒音にもなれば心にしみる音楽にもなることを端的に示したCDとえるだろう。

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*バイエル・ピアノ教則本[第44番ー第106番]エッシェンバッハ(Deutsche Grammophon UCCG-3051)
*2フェルディナント・バイエル(1803-1863)。原題は《ピアノ演奏のための予備練習》"Vorschule im Klavierspiel"。なお"Vorschule"とは「予備学校」という意味で、未就学児童の教育施設(保育園・幼稚園など)の意味でも使われる。

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bogomil's CD collection 2001

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