bogomil's CD collection: 014

シェーンベルク:《ワルシャワの生き残り》---良楽は耳に苦し
Schönberg: "A Survivor from Warsaw"

 シェーンベルクの《ワルシャワの生き残り A Survivor from Warsaw》op.46は、いろいろな意味で考えさせられる作品だ。

 まず、ナチスによるユダヤ人迫害、という重いテーマを扱っていること。それも迫害から生きのびたひとりの男性の回想という形をとって、具体的に語られているところが迫真性を増している。「反戦」、「平和を守ろう」というスローガンはよく耳にするが、概して観念的で具体性に乏しく、何回も繰り返されるとどこか陳腐にさえ聴こえてくる。「戦争はいけません」などということは誰でもわかっていることで、問題は「どうしたら戦争を防げるか」ということだが、その解決策なくただ抽象的なスローガンを唱えるだけでは大した意味があるとは思えない。

 広島の原爆や東京大空襲について何千トンの爆弾が落されて何万人の人が犠牲になった、と説明されても想像を越えた量なので実感することができない。しかしそれらを体験した個人の言葉は重い。ひとりの人間が自分の目で見、耳で聴いたことの方がはるかに具体的なイメージを喚起する。

 《ワルシャワ》の場合も、描かれている状況はほんの数時間のことでしかない。しかしその数時間がそこにいる一個人にとっては重大な意味を持ち、そして聴いている者が追体験できる、いわば等身大の時間であることがかえって問題の重大さを強調する。

 演奏時間が約8分であることも印象を深くしている。このような深刻なテーマであれば数時間かかる大オラトリオにすることも考えられるだろう。 しかしシェーンベルクはごく短い時間に集約する方法を選んだ。これは彼がピアノ曲や管弦楽曲で試みた「警句的形式」に通じるものだが《ワルシャワ》では特に効果的だ。この作品はいわば「重厚短小」な作品なのである。なにごとによらず、ぐだぐだ長いのはよくない。特にお説教が長いのは逆効果といわれる。テレビのコマーシャルでも製品名をひとことパッというだけの短いものが効果的らしい。

 さて、この《ワルシャワ》は「声楽とは何か」という問題の再考を迫る作品でもある。ちょっと聴くと朗読のバックに音楽が流れている一種のラジオ・ドラマのような印象を受ける。これはシェーンベルクが開拓したシュプレッヒゲザング Sprechgesang、シュプレッヒシュティンメ Sprechstimmeと呼ばれる手法で、《月に憑かれたピエロ》ではまだ多少音高の変化が「歌」的だったが、《ワルシャワ》ではほとんどナレーションと区別がつかない。しかし楽譜を見るとナレーションのパートが厳密に音符で書き表されていることに驚かされる。音の高さはもはや5線ではなく1本の線の上下に相対的に指示されているに過ぎないが、音の長さは正確に8分音符、16分音符といった音符で書かれている。

 つまりここでは、ナレーションと楽器による音楽のタイミングが厳密に規定されて作品が出来上がっているのであり、したがって朗読やラジオドラマで「ナレーションのバックに音楽が流れている」状況とは一線を画したものなのだ。この意味ではこの作品はあくまで「伴奏付き独唱歌曲」といわなければならないだろう。ドイツ・リートの精神を受け継ぐもの、シューベルト、シューマン、ヴォルフの歌曲の延長線上にあるもの、といっても過言ではない。あるいは、そもそも「朗読」というものが広義の歌のひとつ、と考えるべきなのかもしれない。

 《ワルシャワ》は作曲技法の面では12音技法用いていることが大きな特徴だ。「体系化された無調」というべき12音技法は旋律的にも和声的にも不協和な響きが多い。特に最後に歌われる12音技法による男声合唱《イスラエルよ、聞け》は何度聴いても鳥肌の立つような凄味がある。

 このように全体としてこの作品はいわゆる「美しい旋律、きれいなハーモニー」という音楽からは遠く隔たっている。 しかし人間は、いつも甘く柔らかいパウンド・ケーキばかり食べていてはいけない。虫歯になるし、顎の力が弱くなって思考力も鈍る、といわれている。堅く、カライもの、ニガイものも食べなくてはならない。この《ワルシャワ》は、さしづめ堅くてすっぱい黒パンのようなもの。甘くて耳当たりのよい音楽ばかり聴いて、音楽的な肥満や音楽的糖尿病になっている現代人にとって、人間本来の音楽感覚をとりもどすための「健康食」になるかもしれない。よーくかんで食べなければならない音楽だ。

 戦争とそれに付随する残虐行為は人間の尊厳を否定するものだ。だから人は目をそむけ、音楽はといえば、せいぜいその痛みを和らげるための感傷的な調べを提供するという消極的な態度をとるぐらいしかできない。しかし《ワルシャワ》はこの重い問題を正面からとらえた極めて稀な音楽の例といえるだろう。

 この作品がアメリカで初演されたときの興味深いエピソードが伝えられている。演奏が終ったとき、あまりの衝撃に聴衆は拍手することができなかった。もう一度演奏され、そのあとで盛大な拍手が起こったという。他の曲であれば「そんなバカな」と一笑に付すエピソードだが、この作品に限っては「そうかもしれないな」と納得してしまう。筆者もこ曲を聴き終わった後、とても拍手などする気にはなれないからだ。


*Discography:

・「シェーンベルク:合唱作品集」(CBS/SONY CSCR 8390~1)
・Schoenberg: A Survivor from Warsaw (Grammophon 431 774-2)
・Penderecki/ Schönberg/ Van de Vate (CONIFER CDCF 185)

※この曲の表題は、英語式に「ワルソーの生き残り」と訳されることもある。

92/06 last modified 09/05


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