bogomil's CD collection: 008

ビクトリア:《おお、大いなる神秘》
——「クラシック長期予報」の試み

Victoria: "O magnum mysterium"

 今年(1995年)の夏の暑さは異常だった。この猛暑、自然のなせるワザで誰に責任があるわけでもないが、毎年気になるのが気象庁の発表する長期予報。今年の猛暑はまったく予想されていなかった(昨年もそうだった)。気象衛星や超高速スーパーコンピュータを駆使して予想した結果が外れたのである。

 寛大な筆者としては「責任者、出てこい!」というつもりはないが、夏バテの頭にカチンときたのが気象キャスターの解説。「日本付近の気圧配置があーなって、こーなって、それで猛暑になったんですね」などともっともらしい解説をしていたが、そんな説明、今さら聞かされてもなんの役にも立たない。この種の解説を「後知恵」という。一見もっともらしい分析に思えるのだが、結果が先に出てしまっているのだから、どうとでも説明できる。聞く方も専門家の説明だから妙に納得してしまう、つまりいいくるめられてしまうのである。

 音楽の分野でも、この種の「後知恵」的な評論や論述がしばしば見られる。最近の例ではグレゴリオ聖歌ブーム。一昨年からスペインのシロス修道院で録音されたグレゴリオ聖歌のCDがヨーロッパで爆発的に売れたそうで、海外のブームにすぐ便乗したがる日本のレコード会社が飛びついた。「柳の下のドジョウ」を狙ったCDやコンサートが企画され、さらにカルチャースクールなどでもグレゴリオ聖歌をテーマにした講座が登場するなど、日本でも昨年はちょっとしたブームになった。これに関連して、「ブームの背景を探る」式の解説や評論も新聞、雑誌に散見されたが、クラシック音楽の中でも馴染みの少ないジャンルとあって評論家の筆致も、今ひとつさえなかった。

 ところで、グレゴリオ聖歌に関しては、このシリーズの初出第26回(『あんさんぶる』No.294、91年7月号)で『グレゴリオ聖歌はコンソメの味』と題して取り上げたことがある。その一節を再録してみよう。

「…西洋音楽の原典といわれる、グレゴリオ聖歌。無伴奏でユニゾンで歌われるカトリック教会の聖歌は、単純、素朴なだけに心にしみるものがある。いわば、クラシック音楽のコンソメだ。日本のわらべ歌に似た節まわしもあって、ちょっと意外な、どこか、なつかしい感じさえする。…」

 このグレゴリオ聖歌、以前は世界中のカトリック教会で、ミサなどの典礼で歌われていた。そのままいけばある程度、日常的に聴くことができるのだから、CDでブームになる、などということは起こらなかっただろう。

 しかし、ここ20年ほどで大きな変化が起きた。現在もグレゴリオ聖歌はカトリックの正規の典礼聖歌だが、第2ヴァティカン公会議以後、母国語による聖歌も典礼に用いてよろしい、ということになった。信仰の面からは、信者が自分の理解できる言葉で聖歌を歌うことが重要である、とされたのである。その結果、ヨーロッパ人でさえ、ほとんどの人が理解できないラテン語によるグレゴリオ聖歌は、観光客目当ての大聖堂などでは歌われることがあるものの、一般の教会では次第に歌われなくなってきている。

 教会音楽の伝統がない日本のカトリック教会ではグレゴリオ聖歌はほぼ消滅した、といっても過言ではない。1960年代までは日本でもクリスマスなどの大祝日のミサでグレゴリオ聖歌が歌われることがあったが、「意味もわからずにラテン語で歌うのはいかがなものか」という考え方が徐々に浸透し、現在では少なくとも日本人を中心とするミサではまず歌われることはない。

 このような状況でグレゴリオ聖歌がCDでブームになるということは、本来歌われるべき場である教会では存続できなくなり、世俗の世界で生き延びざるを得なくなったといえるかもしれない。他の可能性としては、一般民衆に根強い土俗的な(シンクレティズムを含む)カトリック信仰への回帰、あるいは東欧社会主義国家の崩壊と不況による進歩幻想の挫折からくる一時的な復古趣味、という可能性も考えられるが、いずれも後知恵の域を出ない。実際のところは、ごく偶発的なものだろう(日本でのブームは、相も変わらぬ欧米追随型である)。

 さて、今回はこの種の古い時代の音楽の次なるブームを大胆にも、また無謀にも予測することにしよう。広義には「15〜16世紀の宗教合唱ポリフォニー・ブーム」。さらに限定して、ここではスペインの作曲家、トマス・ルイス・デ・ビクトリアVictoriaのブームを予測したい。ビクトリアは、大局的にはパレストリーナに代表される16世紀後期の様式に基盤を置くが、一部の作品、たとえばモテト《おお、大いなる神秘 O magnum mysterium》に認められる劇的表現や、ある種の神秘性は独特のものだ。なお、この予測は「長期予報」であって、この場合、「長期」というのがどのくらいの期間を意味するかは、読者の判断に委ねたい。


*Discography:

《ビクトリア:レクイエム/ミサ/モテット》
ゲスト指揮、ケンブリッジ・セント・ジョンズ・カレッジ合唱団
LONDON POCL-2793

【追記】

 残念ながら本稿執筆後14年を経過した2008年に至るまで、「15〜16世紀の宗教合唱曲ブーム」は起こっていない。昨今流行のヒーリングミュージックとしてのブームを期待しているのだが、それもまだ。やはり「予報」はむずかしい。安易に「未来予測」をするべきではない、と反省している。

94/08 last modified 08/03


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